こんにちは、みなさんお元気ですか?

さて、昨日は当ブログで、国指定史跡新治郡衙跡をご紹介しました。
「新治(にいはり・にいばり)」というのは、奈良時代から存在する地名で、現在の茨城県筑西市は当時、常陸国新治郡(にいはりぐん・にいはりのこおり)に属していました。現在でも市内には「新治」という地名が残っていて、JR水戸線には新治駅があります。

さて、奈良時代に編纂された現存する日本最古の歴史書「古事記」や、同じく奈良時代の「日本書紀」に、この「新治」という地名が登場するのをご存知でしょうか。
ヤマトタケル(古事記では「日本武尊」、日本書紀では「倭建命」)が東国への遠征からの帰路に詠んだ歌に、こうあります↓

「新治 筑波を過ぎて幾夜か寝つる(新治、筑波を過ぎて、幾夜寝たことであろうか)」

実は新治というのは、とても歴史ある地名だったのです。

ちなみにこちらは、新治郡衙跡を歩いている時に偶然発見した土器の一部↓

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新治郡衙跡を訪ねても記念碑が建っているだけで、ただの田園風景にしか見えませんが、今でも遺物が出るのです。
なお、写真の土器は、元あった場所にそっと返してきました。


というわけでみなさんは、本物の土器を見たことがありますか?


■当時の地方の仕組み
基本的には国ー郡ー里(郷)に分けられ、郡の役人である郡司には、在地の有力者が選ばれた。郡の役所は郡衙・郡家といい、政庁(役人が事務を行う場)、正倉(租などを保管する場所)、館(国司・郡司などの宿泊所)・厨家(炊事場)ほかに分かれていた。

■古代常陸国(10世紀前半)の郡
新治郡、真壁郡、筑波郡、河内郡、信太郡、茨城郡、行方郡、鹿島郡、那珂郡、久慈郡、多珂郡