今日は1974年(う昭和49年)に発行された雑誌「ブルース・リー武術大特集・截拳道」を紹介します。
今読むと、時代を感じます。
まず、截拳道を「せっけんどう」と読んでいました、懐かしいな!
今はほとんど「ジークンドー」です。
まだ、カンフーという言葉がなく、代わりに中国拳法や空手を使っていました。
ブルース・リーは空手の名手と紹介していましたね。
この雑誌はブルース・リーの雑誌にして珍しく全部白黒です。表紙以外一枚のカラー写真もないです。
截拳道の鼓動
悲劇のスター、ブルース・リーが、単なる。 映画スターではなく、空手の名手として、自分があみ出した截拳道の創始者としても注目 されている。
中国拳法に、テコンドー、キックボクシング、 合気道と、あらゆる武術を加味し、彼は截拳道を創立し、世を去った。文武にすぐれ、実業家としても才能があったという、悲劇の人に人は同情を寄せ、とかく、過大評価する者が多い。それはそれで、人の情として許容される。しかし、武術の世界は、もっと冷酷である。技量を非難し批判するのが常である。ただ、截拳道のために、彼は必死にその技の研究に没頭した。狂気じみた感さえあったと聞いている。
彼がこうまでして截拳道の創造に賭けた、 その奥義とは何か。永遠のナゾといわれる死の遺産「截拳道」をめぐって、武術家の間では賛否両論がある。
彼の妻と子はアメリカに居住し、香港・九龍の豪邸は、もはや他人の手に渡った。いまは、彼の残した截拳道でしか、偲べないのかも知れない。
その彼の截拳道、死を迎えるまでの、三十二年間の人生の大半をついやして完成した拳法がそれだとすれば、彼の魂がそこに眠っているはずである。截拳道の非難は別としても、彼は映画以外に、偉大な一つの業績を残したわけである。
それは理屈というものを抜きにして、素直に認めざるをえない。映画だけにおいても、 世界を席巻したのも、また事実である。そして、不世出のスターといい、武術家か不世出の武術家とも認めはじめている。そこで、その「截拳道」のすべてを、あらためて見つめ研究してみたいと思うのである。
目次
截拳道の鼓動
截拳道への道
これが截拳道だ(ジェームズ・リー東京著)
中国拳法に流れる伝統
拳法の歴史
東洋の代表的な武術
習練
截拳道と拳法の基礎
型にこだわるな
相手は強者を選べ
修練を積み五感を働かせよ
ブルース・リー完全指導/截拳道トレーニング法
ブルース・リー語録
日本空手道
ブルース・リー 名言
良い教師というものは、自分の力なり、考え方を生徒に押し付けぬもの。