鉄になって間もない中学生の頃に読んだ宮脇俊三の本で、かつて山陰本線を走っていた国内最長の鈍行列車が紹介されていました。「ベンガラ色のDD51」を先頭に旧型客車が4両程度繋がって、単線非電化の線路を延々と走る。行商のおばさんや学生が乗り降りする中、筆者は始発から終着まで乗り通していました。そこに描かれていたのは失われた旧時代の鉄道の姿で、新幹線が次々と開業して日本がどんどん狭くなっていくのを感じていた当時の自分の心を激しく揺さぶったのを覚えています。

 

地元の電車に深い関心を持つ前の私にとって鉄道趣味とは懐古趣味そのもので、国鉄時代を想起させるシーンに強い憧れを抱いていました。ゼロロクやPFの貨物を追い求めたり、はまなすに惹かれたのもそういう事でしょう。時が流れて現在は地元をフィールドに鉄道写真作品としての美しさを追求するのが主だっていますが、鉄道趣味の原点であった国鉄時代へのリスペクトは忘れずにいます。SNSで爺鉄による古のVカットを眺めては、その時代に鉄をしていた方々を羨んでいます。

 

そんな折、八高線を旧客団臨が走るというリリースを目にしました。区間は高崎から小川町、つまり単線非電化です。八高線のDD51と言えば数年前まで頻繁に運転されていた「八高訓練」を思い出します。12系や旧客をプッシュプルして単線非電化を行く姿は実にカッコ良かった。しかし東の機関車全廃計画で新しく乗務員を養成する機会もなくなり、2020年以降にようやくネタ鉄の門を叩いた私がそれを撮る事は叶わず、夢のまた夢かと思われました。東の機関車たちのタイムリミットが迫るにつれて過激化する撮り鉄界隈の情勢からイベント列車の規模も縮小される傾向にある令和の時代に、こんな列車が設定された事に驚きと喜びを隠せませんでした。

一つだけ残念なのは編成内容。リリースによれば、

 

←小川町                          高崎→

DD51 842+スハフ42 2173+オハ47 2261+スハフ42 2234+DD51 895

 

客車はわずか3両(1両は青色)、これでは編成写真映えしません。なぜならDD51は幹線向けの車両であり、幹線を走る客車列車と言えば最低でも4~5両は繋がっててほしいので。それにプッシュプル自体も現役感を阻害する要素でしかない(要出典)ので、客車が長ければさほど目立たなくて済むものを、短編成でやられると後ろの釜が強烈に主張してきて「古さ」より「珍しさ」や「面白さ」が勝ってしまいます。私が撮りたいのはファニーな編成の先頭に立つレア貴重な機関車ではなく、かつて日本のどこかを走っていた普通客レの幻影だったから。

 

ゆえに編成の端を画角から排除する形でVな構図に仕上げる、という縛りプレイになりました。被写体に植えたネタ鉄のひしめく編成撮影地でバリ順シチサンを頂くという選択肢は真っ先に捨て去り、己の感性を頼りにファインダー越しのタイムスリップを試みるのです(あとついでにwhatではなくhowの撮影をするという現代の撮り鉄に求められる在り方を自ら実践したかったのもある)

最初に考えたポイントは、11月という設定時期。太陽高度が低いのでシルエットをどこかで撮れるかもしれない。コスモスや柿の実が見ごろかもしれない。風景派の知り合いと一緒に事前リサーチを行い、ストリートビューとネット上に転がっている先人たちの作品を参考にしながら候補地をリストアップしていきました。よさげなところをあらかた探したら残りは実際に沿線を探し回ることにして就寝しました。

 

当日は5時前に起き、まずは便乗者と落ち合う竹沢へ。八高線自体が初見だし、自分の運転で埼玉県の片田舎に行くのは初めてでした。がら空きの例幣使街道をスイスイ走って293号で鹿沼から佐野に抜けると辺り一面が濃霧で究極の視界不良。徐行運転を余儀なくされ、おっかなびっくり大型車とすれ違うなどしてこの先の天気を心配しました。足利市に入る頃には霧もなくなり、再びペースを上げて埼玉県へ。熊谷市街地も順調に抜けると便乗者が乗ってくる電車より大幅に早く到着できそうだったので、事前情報では原野と化していた古の有名撮影地オリタケを目指してみました。

現場へ通じる道には案の定鉄カーの縦列駐車が目立ち、定番より手前の妥協アングルにも既に大勢の鉄がポジショニングしていました。車を奥まで入れると出るのが面倒くさい事間違いなしなので、手前のちょっとした空間に置いて徒歩で定番に行ってみるとやはり大繁盛。見たことある方々が何人もいてビッグモーター竹沢店が開業していました。一夜にしてショバが復活してて誠に草生えましたわ(草は刈られてるんですけど)。

 

東上線に乗って来た便乗者と合流したら、残りの便乗者と合流する北藤岡までひたすら線路に沿って北上します。立ち位置や構図はもちろん、車を置ける場所がどこにありアングルからどれだけ離れているかも確認。今回のスジは八高訓練時代よりも立っているとか何とかでカツ目の追っかけになることが予想されるためです。ホントにカツい区間は追っかけませんが…

先達がカットを残している場所の他には意外と良い所がなかったものの、抜けの良い直線区間に差し掛かると鉄カーの群れとクソデカ雛壇をいくつも目にする事ができて面白かったです。線路際を覆い隠していたはずの草もことごとく消えていました。ロケーションの良い線区を客レが走るとすごいですね!JRも草刈り費用が浮いて農家も作業がしやすくなってwin-winでしょう(適当)

被写体によっては私もあちらの集団の一部になって美しい構図を求めに行きますし、そこに構えてしまえば高確率でVを得られるため感性頼みの撮影に比べて敷居は低いですが、その代わり駐車場所に悩んだりトラブルになったり何時間もそこに居なければいけなかったりきつい姿勢で待ち構えたりする必要がないという点で非常に気楽です。そういう現場を他人顔でスルーして自分だけのVを撮るってのもまたをかし。

 

あちこち下見してたら意外と北藤岡に着くのがギリギリになり、神流川橋梁周辺は泣く泣く捨てて一気に北上。北藤岡は高崎線から分岐するまさにその場所にあり、本線から分かれるローカル線の雰囲気でスナップできないかと考えて1発目に選びました。分岐の内側の畑にジヌッシーらしき方が居たので断りを入れて撮らせていただくことに。10分ほど迷走するも今一つピンと来る構図は作れないまま奥の踏切が鳴って、久しぶりに見るDD51が姿を現しました。

 

 

高崎線のレールが見えないからイメージカットとしては弱いですね。畑に植えられた花と絡めて撮ってる人もいてそちらの写真もVでした。脳内のイメージを踏襲するのも良いですが現場で別の着想を得ることも大切ですね。

爆速で撤収し、街中の渋滞をすり抜けて藤岡インターから関越道に乗って激走。寄居スマートで降りて松久駅前に飛び込みます。前日にインスタで見つけたVカットのパクリ構図ですが、おしゃれな駅舎と駅前児童公園の紅葉が客レとマッチしそうと思い2発目に選びました。しかし前回の記事でも書いたように、この年の紅葉は過去最悪の色づき。その上ピークも過ぎて落ち葉も多く、茶色い葉っぱで画角が埋め尽くされてしまいました。これは困ったぞ、と公園内を迷走するもこれといった構図は作れず、雰囲気で補完しました。

 

 

いやぁやっぱり汚いなぁ。D500のハイダイナミックレンジならもう少し綺麗に映るのかもしれないけど。旧客もあまり目立っていません。私の負けです。

 

次は寄居の停車を使った下道追っかけ。事前のシミュレーションではわずかに先行できる事がわかっていましたが、まず公園の駐車場から道路に出るまでに苦戦しました。それなりに交通量が多いうえに踏切もあって車間が不規則なため数分のロス。そのうえ寄居の街中は信号が多く渋滞も発生、超スローペースとなり間に合うかどうかのレベルで焦りました。混雑区間をなんとか突破してモノに先行し、住宅街の一角に滑り込み。柿の実狙いの同業者が結構いたので別角度から連結面を切り取りました。

 

 

江ノ電で魅せられたストリートスナップ的な画が撮れました。木造の小屋の中で眠るお古なトラクターがポイントです。かつて日本のどこかにあったかもしれない日常風景の一部を令和の世に再現できたんじゃないでしょうか。牽引機がお召仕様の普通客レなんて違和感の塊かもしれませんが😅

 

これにて往路は終了、別行動のしまちゃんとナマステランチで合流しようと事前に決めていた店に向かったら臨時休業でした。先方にその旨を伝えると深谷市内に1件見つけてくれたのでそちらを目指す事に。その前に、小川町で入換を撮りたい同乗者を送り届けるために駅前に向かうとヲタクが大量にいました。コスモスシーズンの倉ヶ崎より多かったと思います。

対向車と歩行者(撮り鉄)に気を付けて、普段なら絶対スムーズに通れるんだろうなぁと思いながら牛歩のように通過し、いったん戦線を離脱。一緒に入換のスナップを撮っても良いんですが私はもう普通に腹が減りました。という事で今回のお昼はこちら。ログハウス風の外見で入り口にお品書きがありました。

 

 

レギュラーメニューの最安値が1090円はリーズナブルですね。カレー2種類ついてナンのおかわりが2回まで無料はすごくお得。

 

 

ナマステランチは6月のホタル大樹以来食べていなかったので久しぶりに食べました。やがて復路の撮影地に場所取りをしたしまちゃん御一行様が到着し、皆で会食。激パの喧騒から離れて身内だけでマターリするのが心地よく感じるようになったという事は歳なのかな。

 

御一行は松久でエロ光編成写真を狙うため食べ終わったら解散。私は入換組を迎えに小川町に戻ります。相変わらず大激パなので少し離れた所で待ち、全員が乗ったら復路1発目の撮影地、寄居の鉄橋で真横アングルを狙います。

 

八高線の荒川橋梁は南側がトラス橋で北側がガーダー橋になっており、トラスの存在感を活かした画作りを考えていました。

ここは八高訓練の頃から風景撮影地の定番として知られているので結構混んでいました。まだショバの入り口に路駐する余裕があったから良かった。歩いて河原に降り、思い思いにポジショニングして待機。昼過ぎまで上空は薄雲に覆われていましたが、次第に露出が回復していきモノ通過時刻になると光線は全開に、流れていった雲が世紀末みたいな雰囲気を演出していました。11月の太陽は低く後ろ半分は影落ちするので、圧縮して牽引機と次位の青旧客にフォーカスする構図を組みました。おおよそイメージ通りです。

 

 

青黒いドンヨリ空を背に夕日を浴びて強烈な存在感を放つDD51と青旧客。良い組み合わせじゃないですか。

 

しかし本番はここから。ケツの釜も撮ったらカメラをゲバから外して猛ダッシュです。

前年の水郡線では迂回のできない一本道で深刻な鉄カー渋滞にハマってまともな追っかけが出来なかった反省から、事前に追っかけを徹底的にシミュレーションし、撮影後にどれだけ早くスタートダッシュを切れるかに全てを賭けました。

 

坂を駆け上がりながらゲバを畳んで車に戻り、全体の2番手で発進させる事に成功。後ろに続く数十台の撮り鉄カーの先陣を切って山道に突入し、すれ違う余裕のない狭隘道路にビビッて徐行する先行車にイライラしながらも着実にモノからリードを取り、山道を抜けた先の信号にも助けられ、先程の何倍も強い夕日が照らす松久界隈に飛び込みました。田園地帯の中にそびえ立つ定番ストレートの巨大な雛壇を遠目に見ながら、捻くれ者の我々は住宅街の一角を目指します。

車を降りて駆け出した先には逆光に輝くススキの絨毯、目論見通りの景色が広がっていました。

 

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 

先頭のDD51 895が煙を上げながら通過。本の中でしか見られなかった憧れの国鉄時代が今、目の前に……

この列車を撮りに来ていた人間の多くが押し寄せていた松久ストレートから高崎方面にわずか800m、我々ほか数名は児玉の鉄橋にムンムン漂う国鉄の香りに酔いしれながら、過酷な追走劇を静かに終えたのでした。

 

道路状況を考えるとこれ以上の深追いは困難と判断し、同乗者を神保原駅まで送り届けて解散。早朝からワンマン運転で居眠り運転しそうになりながら下道をダラダラ走って無事帰宅しました。撮影の余韻に浸りながら夜中まで編集し、翌日は昼過ぎまで爆睡したのは言うまでもありません。

 

今回は完全初見の線区かつ沿線事情に明るい知り合いもいないため、自力のショバ探しと当日朝に行った付け焼き刃レベルのロケハンで発揮できたパフォーマンスにはやはり限界がありました。家路につきながらSNSを見ていると続々と同業者による戦果が上がっており、自分より何段階も上の次元で作品を創っている人達がゴロゴロいました。同じ撮影地でも立ち位置や画角の違いで大きく差がついている事もあり、ああ、ここでこう撮ればよかったんだ、なんて考えてしまいます。こういう撮影は個々人の感性や経験値がじかに出力されるため、改めて自分はまだまだなんだという事もわかりました。

 

ゆえに当初の目標だった「昭和の普通客レを写真で再現」することができたかどうかは微妙と言わざるを得ません。それでも「妥協を許さず自分なりの最適解を出力する」という私の信念に基づいて撮影に臨み、首尾よく追っかけを行い全行程を無事に終えられた事が何よりの収穫でしょう。付き合ってくれた同乗者にも感謝です。

 

最後に、数を減らす希少な被写体を追いかける若い皆様が、できるだけ後悔せず実りある創作ができるように、私なりの撮り鉄術を冗長に解説する動画を添えておきます。