側は何の変わりないのに、更新するハメになる。
スマホの話。
何をした?
何をしたって、また話書くのであれだけど、ちゃんと説明書読まないで持ってるスマホが対応してないんじゃないか。
弄りに弄る、スマホ本体のシステムアップ促された。
やめるにやめれなくて更新するしか選択肢なく、重たいし、Wi-fi機能備えてないし進まないし更新やっと終わったか
仕様がガラッと変わり、別機種持ってる見たい。
慣れないから使い勝手悪い。
さて。
何度かブログ見てる読んでる堀越観音の話。
行く前にもブロ友さん書いてた。
だからじゃないが…
24号線通る度に、看板眺め行くのもアリか。
思うんだけど、11㎞と書かれた表示に敬遠してた。
だんじり見に行ってばっかりはと、思い付きの衝動にかられ、ゴールデンウィーク期間。
紀州堀越癪観音へ行って来た。
今まで何故、来なかったか言うぐらい。
最初はそうでもないだけに…
騙された。
山上がるにつれ、前から車来たらどうしよ言う狭い道になる、人のブログって何処へ行ったかぐらいは覚えてても中身はない。
1㎞程走ったのみで、段々と車1台が何とか通れるかな道。
大パニック、生きた心地のない運転
和歌山県かつらぎ町にある、紀州堀越癪観音。
旧、伊都郡四郷荘東谷村の小名堀越にあり、江戸時代後期の社号は「 癪除観音堂 」と記され、当所は寺社格ではなく小堂だったと思われる。
境内の規模は、不明。
創建以来、代々向井家が住職を務める世襲寺であり、癪の病に霊験があると云われる。
紀州堀越癪観音略式縁起によると、本尊の十一面観世音菩薩は、天智天皇四年( 666 )に役行者が葛城開峯の折、母公が癪の病となり、37日もの間、治癒の願いを込め、一刀三礼のもとに像を彫った。
燈明ケ嶽に庵を設けて安置して祈願した所、母公の病は平癒したと云う。
以来、「 癪除観世音菩薩 」と称えられ、効験利益を求める人々が毎日のように訪れた。その後、天正13年( 1585 )、豊臣秀吉による紀州征伐で根来寺が全山焼失。
癪観音も焼失し、本尊も行方知れずとなる。
時を経て…
慶長年間に至り、里人に喜平次と言う者あり、長年癪の病に悩まされ観世音に救い求めた所、ある日の夜、観世音菩薩夢に現れて、「 信心の誠篤き其の方我は泉州大津之浦の茅屋にあり、我を迎えて諸人の癪難を助けよ 」とお告げがあった。
夢より覚めると喜平次は直ぐに大津之浦へ訪れたが人影なく、菩薩探すも見つからず、途方に暮れて帰ろうとしたら突然、幽霊現れ光明と輝く観世音を示し、急ぎ迎い奉れと云いて消えたと言う。
その台座を見ると、堀越癪除観世音の書付けがあり、夢は真実だと悟り、その場で地に伏して拝み菩薩を背負って歓喜の涙を流しつつ、我が家に帰り、草庵に安置した。
以来、癪観音の威光は再び輝きを取り戻す。
その名は遠くまで聞こえ参詣に訪れる人は多く、霊像を信じる人々に霊験を顕わし御利益戴き病難を逃れる人が後断たずと記されている。
山ん中にひっそり佇む、本堂。
本堂には、修験道の開祖・役行者が母の癪病( 疼痛を伴う内臓疾患の俗称 )の際に祈願し、彫刻したと伝わる秘仏。
十一面観世音菩薩像祀る。
弘法大師像かと思ったら役行者像。
せっかく来たからと隅から隅まで境内歩く。
次の日の護摩焚きの準備にバタバタ、こちらのお参りは、スルーする。
その代わり、見事な法螺貝の音色を聞く。
もっと引きで撮っても良かったんだけどよりで。
何の話。
大銀杏の話。
樹齢は凡そ400年と言われてるが、200年程と言う方もいらっしゃる見たい正確な所は分からず仕舞い。
この日、護摩焚き行うから明日の準備で住職境内ウロウロ、そうやろなと会話。
待ってますよとの話に…
2度目ましての、家のコーヒー頂く
それだけ、親しく会話してたんだけど、お参りしててコーヒー頂いた人。
居ます(笑)?
何祀ってるか分からんけど、これを覗きに行った為に前から車来てどうしよ言う事には、ならずに済んだ。
茅葺き屋根な住居と言うか。
寺務所?も、兼ねてる見たいな所で御朱印を頂いた。
行こうかな思いながらが、何年経つか。
漸く行った。
和泉市から峠とトンネルを越えるのが12㎞ぐらいだから時間にして10分程なんだけど、妙寺から11㎞。
距離も似てるが、麓からどれくらいの時間で来たか覚えてません
山の中にある、手入れの行き届いたお寺。
人柄な良さもあるんだけど、また来る事はあるのか。
天気予報の中継で有名になったあそこ以外にここも銀杏が有名見たいだけども。
冒頭の話に戻す。
やっと書けたよ。