3月17日にグランフロント大阪うめきた広場にて行われた「 関西伝統文化フェアinグランフロント 」に大鳥区のだんじりが参加。


それを、マニアさんいそいそと見に行ったんだけど。


まさか小道具見るのにって並んでる話。

読んだのに何故真っ先見なかったか、悔やんでも後の祭り。


NHK大阪放送局出たのが、12時過ぎ。


谷四から歩いて、大阪駅まで行くんだけど。

しかも、間に合うと思ってたんだろうか。←自分の事なのに


結局間に合わない事悟り。


昼からでも見れると天満で瓶ビール飲み、昼飯食べ、神社見付けたと立ち寄ってから向かう。


グランフロント大阪前、うめきた広場。



開催した、関西伝統文化フェアって、何よ。
関西各地で様々な伝統文化見て学び体験出来る貴重な機会を提供する。

らしい…

主催が、関西広域文化観光資源活用地域活性化実行委員会。

だってさ。


これは、大鳥大社から写真引用。

( 雨天決行、荒天時中止 )天候状況によりて書いてたけどさ、雨天決行って書いてるし、降ったりやんだりの小雨。


だから、お昼前にした( 15時から )それ曳いてる見たいなの見れる思ったら間に合わない事悟って、飲み食い。

行けば15時からはなくなり、数分太鼓叩いただけ。





大屋根に向かって、見に来たで…

言ってないけど、気付かれた?
顔広いなぁと言われるか。←ぼる塾の田辺さん見たいな、まぁ~ねと言っとく?


顔合わせてから20ウン年以上じゃない。

まさか、屋根に乗るとは。



蟷螂山は、「 蟷螂の斧を持って降車の隧を禦がんと欲す 」と言う中国の故事に因んで。

そうそう、 降ったり止んだりの雨が降ってたからかどうかは、分からないがビニールの幕巻かれた越しじゃ…

写真にも映る様に人が入ってるからさ、じっーと見てたら中入れてくれるんかな思ってたら中には入れなかった件。

この人らは誰や?


ビニールの幕外しお目見したから写真撮った。

話戻す。


その起源は南北朝時代に遡ると言う。


足利義詮軍に挑んで戦死した当町在住の公卿、四条隆資( 1292~1352 )の戦いぶりが「 蟷螂の斧 」の様であった事から、渡来人で当町居住の陳外郎大年宗奇が卿の死後25年の永和2年( 1376 )四条家の御所車にその蟷螂乗せ。


巡行したのが始まり。


蟷螂山は再三の戦火に遭い、その都度再興されるも、元治の大火( 1864 )で大部分を消失したままであった。


昭和56年、117年ぶりに再興と言う。

歴史は古くても物はそうでないんやと…



バッタン、バッタンと。
動画で撮っても良かったんだけども。
生で見た。 

こんなん祭りちゃうわ思ってたけど年行くと行きたくなるものか、何なのか、雰囲気か…

祇園祭では、くじ取り言うのが行われる。
我々の所も、そう、なんでもかんでもやりたい放題ではない。

京都も、巡行する順番決める。

くじ改めの時、市長の前でしか蟷螂は横には向かない話、紐で操る、そこはオブラートにだけど色んな事含め解説付き。

山を初めて、間近で見れた。

今の時代に合わせ寛容な部分秘めてるからこそ。
実現か。

他所へ持って来たのは初めてだと。

我々のって言うかだんじりは、上海行ったりハワイにも、和歌山城に持って行き、だんじり曳いた。



この関西伝統文化フェア誰に向けてか。

梅田のド真ん中でやって誰に刺さってるのか。

謎、謎。


お昼前にしたのを生で見てないだけに何とも言えない。


イベントに呼んどきながら制約。

赤い不織布な上、数メーター動かしだけ。

行ったり来たり。


それ見てたのって動画を見てたら、界隈から来たマニアさんだけじゃ…


撮影頼まれたからじゃないが本町追っかけ伊勢まで行ってる自分、他地域に行く、珍しくないんだけど。


今の子らにって超が付く程の珍しい光景か。


大阪万博にだんじりが行く話あるけどさ。

行ったら行ったで騒ぐんだろうか。


ワタクシ、マニアさん30年以上(笑)