泉佐野がアツいと本のタイトルの様に書いた。
この前の話の本題。
気になるから行って見る、何度目?
最近、神社ばかりで寺へ行ってない。
気になりつつ、また新たな御朱印が出てんの?
いそいそと。
マニアさん喜んでご近所ウロウロ訪れに行って来た。
自宅から比較的近く、車だと簡単に行ける。
家の前の道、まっすぐ日根野の駅上がって行った方が早い様な気もしつつ、行く時は何故か熊取の大久保の村中抜けて。
話脱線しました
ブロ友さんが書く。
また戻るのが面倒だから一の鳥居は諦めて帰った話。
台風で倒壊し撤去された鳥居含め、実際は、4つある。
車置いた所から言うと浜へ下がり歩くのか。
その一の鳥居が、こちら。
ここ、まくら祭が有名で、安眠のご利益があると言う珍しい神社。
両サイドの木は多分、桜かな
創建の謂われ、日根神社は大井関大明神と称し、延喜式や国内神名帳にも名が出てる古い神社、創建には幾つかの伝承残る。
① 神日本磐余彦( 神武天皇 )が紀伊熊野から大和へ入る途中、日根野の地に神を祀り戦勝を祈願したのが神社の始まり。
② 神功皇后が朝鮮の戦いの帰途、岡本の船岡山に上陸し、皇后に助力し共に帰って来た神祀ったのが溝口大明神( 比売神社の事、現在は日根神社の摂社 )で、この神社が日根神社の始まりと言う。
③ 樫井川流域を開発した日根造は、新羅からの渡来人の子孫で、神祇志料にはこの日根造が日根神社の主神として先祖の億斯富使主を祀ったとされる。慶長七年の日根神社縁起由来には、「 当社大明神ハ古三韓新羅国修明正覚王一天四海之御太ニテ 」とあり、この説をとってる。
④ 天武天皇時代に大鳥神社より、分霊を勧請し神殿を造ったのが始まりと言われる説。
一の鳥居から境内まで300m程
あるか、何度も書いてるからこそ、参道の風景は、スルー。
あっ!割愛したなぁ言われるか。
野々宮丹生神社、野口恵昆須神社、岡前神社、赤之宮…
一つ一つ写真撮っててさ、あっ?狛犬。
それ、玉垣の中にある。
何を言いたいか。
手ぶれしてない様なで手ぶれしてる事多くて。
勝手に如意棒言うてるんだけど、3COINSのワイヤレス三脚自撮り棒。
あったら裾野をが広がるのかな?
思う事多々
これを書いても答えがないけど、モノクロのコピー紙から旅館やホテル、テーマパークばりのリッチな渡される由緒書き問題。
コレクションしてる訳ではないんだけど捨てるに捨てれず。
置いてたから役に立った由緒書き。