※過去記事の再アップになります。




心を見つめ直し、


掃除を始めようと決めた時、




あちらこちらに

ゴミが散らかっていた。




この感情はなんなのか?と、

一つ一つの感情を内観していくうちに、





あることに氣がついた。





悪い感情は、間違いなく内臓に溜まる。






コルチゾールやノルアドレナリンのように、






現実論的な発想で言えば、







内分泌系の働きによって、





不快な感情は

つくられるとされてはいるが、






そうではない何かを

感覚で感じとっていた。






それは現実論的ではなくて、




量子的な、

潜在的な、

神道的なもの。






そして、






不幸は移る。

ウイルスのように。







幸福もまたしかり。






想いの電波は科学では計測できない。






でも、






確実に何かが飛んでいる。







距離も時間も関係ない。






想いの電波とは、

五次元の世界の電波だ。






内臓に溜まった何かは、






多次元的にそこに溜まっていて、







この三次元の内臓には溜まっていない。






そんな感覚をいつも感じていたけど、






強ち間違っていないようだ。





カラダは、

いろんなエネルギーが

多次元的に重なってできている。





そして、








それらをキレイにしたいと、








いろいろもがいたが、






外側に答えを求めている時点で、

そこに答えはない。








何かのせい、

誰かのせいにしている時点で、






本質を見ようとしておらず、







健康的に生きているヒトは、





皆、自立した意識を持って

生活している。






何かのせい、

誰かのせいにしている時点で、







本当は何かを演じている。









その人間スーツを脱いだとき、







人間ではなく、

ヒトとしての人生がスタートする。







何かを演じるとは、







プロテインやエナジードリンクで一時的なパワーを手に入れて、





後でしっぺ返しがくることに似ている。






自然界にない栄養剤で育った野菜は、





みな元氣に見えるが短命だ。