『 20歳のM先生が 暮らした すごい場所 』R6-5月ーNO.30 | マルシの日々是好日

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日々是好日 日々出くわす出来事への思いを綴ってます。

久しぶりの M先生宅訪問。 マルシ、この日を楽しみにしていた

 

 

M先生は 早朝太極拳のお仲間   御年90歳。  Jさんズ(Jは爺さんのJ・・・失礼しましたお願い)の お一人でもある

 

勝手につけた ニックネームは「公園の乾隆帝」  別称「知の巨人」とも 呼ばれている

 

 

執筆活動を 長年続けて来られたが もともとは 裁判所勤務でいらした。

 

 

ある日、M先生と 公園のベンチで 「建物探訪」の会話をしていた折、「旧 岩崎久弥邸(東京)」の話題になった

 

 

岩崎久弥氏は 三菱財閥を創設した岩崎弥太郎氏の 長男。 彼の邸宅は かの有名な「ジョサイヤ・コンドル」の設計(洋館)によるもので、 かつては 和洋館並列型の 壮大なお屋敷であった。

 

 

「僕は 20歳の頃に・・・」 M先生の何気ない一言に マルシ卒倒!ゲローゲローゲロー  ベンチからずり落ちそうになった。

 

「 20歳の頃、 その 旧岩崎久弥邸に 住んでました 」

 

おいおいおい! 何ですと~???・・・M先生、華族の出ですか?

 

 

実は 昭和29年 この邸宅は「書記官研修所」として 使用されていたのだそうな

 

 

全国から集まった精鋭達の 学び舎であり 寮でもあったとのこと。 何という貴重な体験! 写真も見せて頂いた

赤〇印が 若き日の M先生・・・・洋館が教室 和館が寮とは なんて羨ましすぎる環境!

 

 

90歳のM先生、20歳の頃の写真見ながら 「 生意気だったんですよ 」と、苦笑  あらー!素敵!!

  

(ご本人の了解のもと 公開)

 

たくさんの資料を見せて頂き 憧れの昭和20年代に浸る

(雑誌:東京人 旧岩崎邸パンフレット ご本人撮影写真より)

 

当時 洋館160坪、和館500坪! 広大な敷地には まだ鬱蒼とした森が広がっていたらしい。

 

 

初めて見る 和館の 平面図! 

(雑誌:東京人 より)

 

大正初期、家族と使用人含め、55人が この邸宅で 暮らしていたと 綴られている。

 

 

まるで 和製「ダウントンアビー」である!! たまらんなあ! 

 

 

残念なのは、この屋敷の多くが 解体・撤去され 現存するのは洋館と和館の一部のみ

 

 

文化財として 全てを保存することはできなかったものか? 惜しい!!

(雑誌:東京人より)

 

M先生は語る 「桐の間という 広間で 僕達、研修生が 寝泊まりをしてましたねえ」 「もとは大名屋敷ですから 和館なんて 迷路でしたよ」・・・

 

 

昭和29年時、 この邸宅は 栄華を誇った当時の姿のままだったのか! 溜息タラー

 

 

鉛筆 鉛筆 鉛筆 鉛筆 鉛筆 そろそろ お開きの時間

 

 

M先生 「今日は よくしゃべったなあ(笑) 青年時代に戻ったようでした」

 

 

いやはや、こんな凄すぎる体験を 聞くことができて 貴重な出会いに感謝感激お願いお願いお願いお願い