8月末駒場東大で開かれたシンポジウム「福島原発で何が起きたか」に参加し発言したジャーナリストは残念なことに、TBS報道局キャスターの金平茂紀さんだけでした。その金平さんが朝日新聞デジタルのメディアリポート(9月10日)で
「日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを報じ損ねたのか?」
http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201209070270.htmlと題した記事を書いています。
長年原発問題に取り組んできた私には、とても納得のゆく記事です。
「だが、日本経済の景気後退から「失われた10年」といわれる局面に入って、原発に対する市民からの異議申し立て報道は、徐々に消えていった。とりわけ〈3・11〉以前の10年余りの時期、反原発・脱原発運動はマスメディアから、とりわけテレビからはほぼ完全に消え去っていた。
例外的な番組として記憶に残っているのは、大阪・毎日放送の『映像08 なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・“異端”の研究者たち』(2008年放映)くらいだ。いわゆる熊取六人衆について正面から取材していた。放送後に局に対し関西電力からクレームがつきトラブルとなった」
このトラブルが広く問題となることがなかったのを、どうしてだろうと不思議に思ったのを覚えています。
私が特に興味深く感じたのは、以下の 「メディアと市民の絶望的な『距離』」 でした。
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●メディアと市民の絶望的な「距離」
僕が個人的に抱いている悔悟を敢えて言えば、今の日本のテレビ報道の現場を指揮しているデスク、キャップ、編集長クラスに、「失われた10年」のなかで刷り込まれてしまった大衆運動軽視、蔑視の感覚に色濃く影響された世代が多いということがある。換言すると、スリーマイル島、チェルノブイリ、JCO事故直後に報じてきた異議申し立ての動きの価値を、これらの世代に継承できなかった僕らの世代の責任ということになる。
後続世代の大衆運動、社会的な異議申し立てに対するアレルギー、嫌悪感、当事者性の欠如には凄まじいものがある。デモや社会運動という語にネガティブな価値観しか見出せなくなっているのだ。これはおそらく日本的な特殊現象であり、かなり異様な事態である。欧米では、言うまでもなくデモは権利である。
だがこういう僕らの同僚たちが「アラブの春」だの、エジプトのタハリール広場の大衆行動については、ポジティブな評価を与えているのである。ニューヨークのウォール街占拠運動にさえ「あれは格差拡大に反対する99%の異議申し立てだ」と理解を示す。だが自分たちの足元で人々が繰り出すと、そこに連続性を見出すどころか、「距離」を置く同僚・後輩たちがいるという冷徹な現実がある。
既成メディアに対する人々の不信感は、この「距離」に由来する。6月29日に僕らは首相官邸前で大飯原発の再稼働反対デモの取材をしていたが、「お前らは取材してもどうせ放送なんかしないのだろう」「帰れ!」という言葉を浴びた。同行したカメラマンは必死に罵声に耐えていたが、ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長がニヤニヤしながらそれを見ていた。「メディアに対して厳しいね」と彼は言っていたが、それには理由があることを彼は知っている。日本での取材歴が長く、日本語も器用に操る彼は、近著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)の中できわめて本質的な指摘をしている。
〈私が12年間、日本で取材活動をするなかで感じたことは、権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚をもっているということだ。似たような価値観を共有していると言ってもいい。国民よりも官僚側に立ちながら、「この国をよい方向に導いている」という気持ちがどこかにあるのではないか。やや厳しい言い方をするならば、記者たちには「官尊民卑」の思想が心の奥深くに根を張っているように思えてならない〉
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「今の日本のテレビ報道の現場を指揮しているデスク、キャップ、編集長クラスに、「失われた10年」のなかで刷り込まれてしまった大衆運動軽視、蔑視の感覚に色濃く影響された世代が多い」という金平記者の指摘で、思い浮かぶ顔があります。
「権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚をもっているということだ。似たような価値観を共有していると言ってもいい」というニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長の指摘は、記者たちと接してきて私が感じさせられてきたことでもあります。
大衆運動軽視、蔑視の感覚に色濃く影響された世代を乗り越えて、庶民に寄り沿い報道する若い記者が増えることを願わないではいられません。