あの手の人たちが好きな「直感力」の本当の身につけ方 | 思考の散歩道

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毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

「ありのまま真理教」の人たちがよく口にする「自分の心に聞く」という言葉。これって現実逃避?自己正当化の最終兵器です。


でも本当にこういった直感力を使っている人はそんなことを口にはしません。


なぜか・・・それは身につけるための苦労を知っているからです。そんな簡単に出来ることではありません。でも本やセミナー、最近ではブログなどでも「自分の心に聞く」という答えを教えています。それは答えだけが一人歩きをしているだけです。


以前プロ棋士の方とお酒を飲んでいる時に「直感」についてお話をしたことがあります。彼らは膨大な時間と厳しい訓練を乗り越えて将棋での直感力を体得していました。


実は私も決算書を見ると直感があります。それは28年もこの仕事して決算書見て判断をしていれば直感力はつきますって。


以前病気で干された時期が一年ほどありました。そのあと復帰した時に直感力が落ちてしまっていて元に戻すのに大変だったと覚えています。


「直感力」は常に磨き続けなければ落ちてしまうものなんです。


だから自分の心に聞くという力は大変な苦労があって初めて手に入れることが出来、さらに磨き続けていかなければ失われてしまうものなのです。


一番簡単な方法・・・・といっても難しいですが、身体に聞くがあります。これもやるとわかるけれど自我が邪魔をするのですべての質問に有効かといえば嘘になります。


Oリングが身体に聞く一番簡単なやり方ですが・・・・


どうですか・・・都合が悪い答えの時にわざと開いてしまうことありませんか?


結局聞く自分自身の心の問題がクリアされないと土台無理なお話なんです。自分の都合のいい答えが降りてくるだけです。


一昨日の試験もそう。問題を沢山解いて、たくさん×もらってそんな自分と向き合って、それを延々と繰り返すと問題に対する直感力がついてきます。一昨日の試験のように問題量が膨大な時には問題を一瞬見ただけで「この問題には絶対に答えなければダメ」「この問題には絶対に手をつけてはダメ」と分かるものなのです。


人間関係もそう。多くの人と関わって、沢山×もらって、そんな自分と向き合って直すところは直しての繰り返しで直感力がつくものなのです。


さて・・・



みなさん、自分の心に聞くなんていって現実から逃げたり自己正当化していませんか。


逃げている間は成長は全くといってありません。ただ時が経過して貴重な時間を捨てているだけです。

ひとつだけ得られるものは・・・・ただ年齢を重ねるだけ。



もう軽薄短小な時代は終わったのです。