今日は誕生日なのですが昨年とは違う誕生日です。高校生のときから誕生日は親に感謝をする日と決めていました。
6年前に母が亡くなり昨年の8月に父が亡くなったので今年の誕生日は本人に感謝の気持ちを伝えることが出来ない最初の誕生日となりました。
さて本題です。
言葉は便利なコミュニケーションツールですが言葉の奥にある暗黙知が少なかったり、自分なりに解釈することで思考を止めてしまうことがあります。
というわけで・・・・
まずは・・・
もしかしたら今年の流行語大賞
「ありのままの自分」
あくまでも自分で調べたり考えたりして出した私なりの解釈です。
そもそも「ありのままの自分でいい」なんて言葉がどこから生まれたのか。いろいろネットで調べたけれど分かったことは多くの人たちと違う境遇の人たちのための言葉だということ。
私も病気や障がいを持っていますが、病気や障がいなどを持っていると差別はされるし、ひどいことを言われるしとあまりいいことはありません。
そうすると自分を責めてしまいます。私も自分自身を責めました。悩んで苦しんで「何で自分は普通の人と違うんだ」と落ち込みました。
そしてどん底へ・・・・
その時なんとなくつかんだこと。
自分の努力でどうすることも出来ないことは自分の欠点ではない。ありのままでいいんだ。自分を責めたり、どうすることも出来ないことを変えようと無理する必要はないんだと。
だからわたしは、今流行の解釈は気に入りません。
努力すれば変えることが出来るのに、そこを変えれば人生変わると分かっているのに、やりたくないから、嫌だから・・・「ありのままでいい」
そもそも自分の問題すら見ないのだから、もしかしたらそれ以前かもしれませんが(笑)
「いい人」
そもそもいい人ってどんな人だろう。
私の解釈は・・・
人を騙さない人、人を陥れない人、人を悪く言わない人、人のものを盗まない人、人を傷つけない人、人を殺さない人・・・・・つまり幼稚園で教えるような人として当たり前のことが出来る人。
最近「いい人になるのはやめなさい」なんて言葉が流行っている。
そのまま受け取ると・・・そんな人は「人を騙したくてしょうがない」「人を陥れたくてしょうがない」「人の悪口を言いたくてしょうがない」「人のものを見るとほしくなってしょうがない」「人を傷つけたくてしょうがない」「人を殺したくてしょうがない」こんな人ばかりなのか?
いま多くの人が口にする「いい人」は大別すると次の三つになると思います。
「いい人」
「便利な人」
「都合のいい人」
この中で「いい人」になるのに苦痛を感じるような人は・・・・病院に行ったほうがいい。
では「便利な人」「都合のいい人」はどうだろう。
昨日の記事になりますが、これが過剰になっている場合は潜在意識の優先順位の上位に過剰になる原因があります。
目的を達成するため、人間関係を良好にするため程よく「便利な人」「都合のいい人」をやっていてもそれほど苦にはならないものです。
「ありのままの自分でいい」も「いい人」も苦しんで辛抱してトコトン味わって見なければ反対側の世界は見えないものです。そこから逃げていると永遠にそれは追いかけてきます。
「共感」について。
本を読んでいたり、人の話を聴いたり、ブログを読んだりしてやたらと「共感」するときは注意するようにしています。一つは「確証バイアス」がかかっている可能性が高いこと。
もうひとつは、後ろめたい自分の気持ちを共感するような文章を読むことで安心させて向き合う必要がないと決めてしまうこと。
やたらと共感するときは注意です。
この世の中、結局辛く苦しい状態とトコトン向き合って味わってみなければ中庸にはなれないのだと思います。バランス感覚なんて言葉だけ先行する世の中でどれだけの人が極を味わっているのでしょうか。