自分の人生を振り返って自分は人を見る目がないなと痛感する今日この頃です。
もし自分に人を見る目があったら、人間関係のトラブルに巻き込まれることはとても少なくなるだろうし自分がトラブルメーカーになってしまうことも無い。
人に振り回されることもない。人に振り回される人は他人を振り回す人でもある。
人を見る力のある人になりたいものです。
ここ一年ぐらい人の本質をどうしたら見ることが出来るのか真剣に考えて実践してきました。
で・・・・人の本質は以前紹介したこの文章。
「彼らが何であるかということは、それゆえ、彼らの生産と合致する。すなわち、彼らが何を生産するか、ならびにまた、彼らがいかに生産するかということと合致する。それゆえ、諸個人が何であるかということは、彼らの生産の物質的諸条件に依存する」。
ドイツ・イデオロギー マルクス/エンゲルス著 広松 渉訳 岩波文庫
難しい文章ですが、ぶっちゃけ超簡約すると、「あなたが何であるかは、あなたが何を生産し、また、いかにしてそれを生産したかであり、それはあなたの人生と合致します」といったところか。
引用以上
人はよくこんな会話をしたり文章を書くことがあります。
「Aって本当にどうしようもないヤツだよな、最低のグズ野郎だ」
それからAに対する厳しい評価が始まり悪口に花が咲く。
そして必ずこう締めくくるのです。
「でもAの中に自分の欠点を見つけることが出来たのだから学んだよな、全ては必然・・・・・感謝できればいいね」と。
こんな感じで散々人を汚い言葉で罵った自分をよい人に見せるために「学び」の決意表明をする。
人は「共感」に弱い生き物です。
「私はこうしようと決めました」
「私は今回の件で○○を学びました」
この部分に人は共感をおぼえて「こんなに学びに前向きな人はきっといい人に違いがない」と評価してしまう。前の悪口の文章は吹っ飛んでしまう。
人は全てを見ることが出来ない。だから「共感」した部分にフォーカスしてその人を判断してしまう傾向が強いのだ。
先ほどのマルクスの言葉から考察すると・・・・「生産」したのは汚い言葉で人を罵ったことだけになります。
どう思ったか、どんな行動の無い決意をしたかは意味が無いことになります。
つまりその人は「汚い言葉で人を罵る人」というのが本質になります。
そんな人と関れば自分がAさんのように汚い言葉で罵られるのは時間の問題ということが明白になるのですが「共感」したところに目が行くのでその人に対する判断を誤ってしまうことになります。
視点を変えて行動の無い決意(継続できないを含む)がいかに意味が無いことかをわかりやすく説明してくれている文章がありますので紹介します。「共感」というファクターが入っていないので若干今日の記事とズレがありますが紹介します。
アンディー・アンドルーズ 著 希望をはこぶ人
第7章より抜粋
5羽のカモメが防波堤にとまっている。
そのうち1羽が飛び立つことを決意した。
残っているのは何羽だい?
・・・・・4羽です。
そうじゃない。5羽だよ。
いいかい?誤解されがちだが、決意そのものには何の力もないんだ。そのカモメは飛び立つことを決意したが、翼を広げて空を舞うまでは防波堤にとまったまま。
残りのカモメとどこも違わない。
人間だって同じだよ。
何かをしようと決意した人とそんなこと考えてもいない人とでは何の違いもないんだ。
ところが人は、他人のことは行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。
しかし、行動を伴わない決意は、期待してくれている人に対する裏切りでしかない。
引用以上
人の本質は行動にしか現れないことを心にとめて人間観察してみましょう。