いま『1985年』という本を読んでいます。1985年といえば「プラザ合意の年」ここからバブルが始まる。日本にとっては大きな転換点だった。そして10年後にオウム事件が起る。
こんな本を読んでいるものだからいろいろと興味が湧いて今までの日本はどんなふうだったのだろうと自分の思い出を紐解いたり当時の文献を調べてみた。
そして導き出された答えは・・・・・・
今までの日本は生きることの「基準」は時代が決めてきたのに対して、今は自分で自分の生きる「基準」を決めなくてはならなくなった。
終戦までの日本においては「自己実現」なんて言葉は無く多少の自由はあったものの、今のように「在りのままの自分」なんて極々一部の少数の人しか考えもしなかったでしょう。
戦後は復興の名の下みんなが必死で働いていた。この辺は映画『三丁目の夕日』あたりを見れば時代の「基準」が何となく分ると思います。
三作目では三浦友和が演じる医師が言うように「みんなが上を目指している」そんな時代でした。
1950年代後半はみんなが三種の神器(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が欲しくて頑張っていた。1960年代半ばにはそれが(カラーテレビー、クーラー、自動車)に変わっていく。
みんなが同じ物を欲しがりそれを得るために頑張っていた。
「頑張れば欲しいものが手に入り上にいける」そんな基準だった。
60年代に幼少期を過ごした私はテレビや学研の科学、1969年のアポロ月着陸なんかを見ながら「自分の未来は輝いている」そう信じました。
1970年代はオイルショックがあって一時は躓いたものの「欲しいもの」の方向性はみな同じでした。
1980年代は皆が同じ格好(ボートハウスのトレーナー等)をして雑誌ポパイやJJ、Cancanのライフスタイルをみんなが追っかける。1987年にバブルが始まり派手でチャラチャラした時代に。
そしてそんな時代の「基準」に終止符を打ったのがオウム事件でした。社会学者宮台慎治は「終わらない日常」にこの事件で終止符が打たれたと当時語っていた。
オウム事件から20年近くたってやっと1995年体制みたいなものが顕在化してきました。
時代によって決められた同じ方向に向って生きる「基準」はもはや存在しない。
ネットにより情報量は格段に増え、衣食住が満たされ、快適な日常生活も満たされ、何か買うときに置き場所考えたり、何を捨てるかを考えなくてはならないくらいモノがあふれている。そんな今の時代に人は何が自分は欲しいのか、どの方向性を選択するのかを自分で決めなければならない。
面白くもシンドイ時代に今私たちは生きています。
次回はそんないまどうやって自分の「基準」を決めるかについて思考の散歩をしてみたいと思います。
今週はこれでおしまい。
追伸、この記事を読んで今は「マーケッティング」が現実的には死後になっていることに気がつかれたでしょうか(笑)