別れの花火が上がる時 | 思考の散歩道

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毎日いろいろなことを考えています。そんな思考の散歩で感じたことを書いていきます。

人間関係は出会いと別れの繰り返しで出会いにも別れにもドラマがある。恋愛関係や双方またはどちらかが依存関係の場合は別れの場面でトラブルが起るものだ。


お互いが別のステージに上がる時にも別れは起る。ただこの場合トラブルは発生しない。不思議なものでこの手の別れの時に花火が上がるものだ。


以前異業種交流会に参加していたとき、まだ開業して間がない人たちが多くて仲間で学生時代のように毎週会って飲み会をしていた。仕事もその仲間からいくつも生まれた。


一年が経過し、なかなか全員が集まることが無くなってきた。そして二年を経過したときに仲間の一人が結婚、その披露宴は当時の仲間が全員集まり大盛り上がりのドンチャン騒ぎ、三次会まで誰も欠けることなく盛り上がりに盛り上がった。まさにドデカイ花火が上がった感じ。


そして・・・・・その日を最後に全員が集まることは無かった。会えば懐かしく昔話に花が咲く、近況を聞いてお互い頑張ろうでお終い。今でも年賀状のやり取りと年に一回程度数人が集まって飲み会をやる。


もう一例。


セミナーで知り合った仲間たちで人前で話をする勉強会を始めることになった。月に一度あつまって数人が人前で話をする。セミナーの常連だけあって話の内容はとても面白い。二年たった12月の会はオールスターが集まって盛り上がった。この会から有名になった人も数名参加した。


そして・・・・この時を最後に会は衰退していきました。


やっぱり花火が上がった。


個人対個人でも大きな花火とまで行かなくても、そんな出来事がある。後になって、あの時が花火だったと思うことが多々あります。お互いが人間関係でやるべきことはやったという満足感があり別のステージへと進んでいく。もちろんトラブルなんて起るはずもない。


成長や学びの人間関係で発生するトラブルは、どちらかが逃げた場合に発生する。逃げた側は逃げた自分を正当化するために言い訳をする。相手は未解消なエネルギーのもって行く場所を失い怒り、恨み、絶望を味わう。


自己を正当化することは事態を悪化させる・・・・グルジェフ


逃げて正当化していたら成長なんて出来ないと分っていても逃げちゃうんですよね。


別れ一つを見てもいろいろと考えることが多いです。