『やらなくてはいけないこと、昇らなくてはいけない階段』
映画「天から見れば」に登場する画家南正文さんは、事故で小学校3年生の時に両手を失います。
大変な思いをされて自殺まで試みて、そして南正文さんは、同じく事件で両手を失くし障がい者の人たちの支援をしている大石順教尼さんの弟子になります。
南さんは口に筆をくわえて絵を描きます。
映画の中で、ボタンをかける練習をするシーンが出てきます。6時間かけてやっとひとつボタンがかけられる。
また、大石順教尼さんは、自宅の四天王寺から大石順教尼のいる京都の山科まだ独りで来るようにいいます。
両手のない人が独りで電車に乗って・・・・・切符を買うにも何をするにも誰かにお願いして助けてもらわなければ何も出来ません。
僕は、このシーンを観ていて、どれだけの絶望と怒りと悔しさと戦ってきたんだろうと胸が痛くなりました。
現在は奥さんが色々と助けてくれている。
ところが、奥さんは転んで両足を骨折してしまう。
ふたたび、何から何まで自分でやらなければならなくなった南さん。
独りで服を着て、髭を剃って家に鍵をして電車に乗って奥さんの病院まで行く南さんをカメラは追います。
その映像にはほんの僅かの怒りの感情も感じることはありませんでした。
『やらなくてはいけないこと、昇らなくてはいけない階段』をシッカリと昇られた人の凄さがそこにはありました。
乗り越えたからこそ、やろうと決めてきたこと、昇りたい階段である絵画を通して多くの人に影響を与え幸せな人生を送っているのだなと確信しました。
もうひとつ。
この映画を撮られた監督の入江さん。
入江さんは講演会でこんなお話をしてくださいました。
「自分は欠けている人間だ、その欠けているところをなんとしても補わなければ」いつもそう思っていたそうです。
大手のアパレル会社に就職して、当時人気だったDCブランドの立ち上げに成功したけれど心は満たされなかった。
いつ誰かに自分の欠けている所が見つかるか、そう思うと恐くて必死でやったそうです。
次に、自分で会社を立ち上げて、それが成功してたくさんのお金を稼ぐことが出来たそうです。
それでも・・・・やっぱり満たされない。恐くて仕方がなかったそうです。
また、次の仕事も同じ。
結婚したら・・・・子供が出来たら・・・・
全てやったけれど満たされない。
あるときに「在りのままの自分でいいのだ」そう心の底から思えたときから人生が変わったそうです。
映画1/4の奇跡が世界でも評価される軌跡の映画に、今はミッションを生きています。
彼女も、『やらなくてはいけないこと、昇らなくてはいけない階段』を昇った。
以上のことからわかるように、トコトンやらなければ『やらなくてはいけないこと、昇らなくてはいけない階段』は分らないものです。
誰でも『やらなくてはいけないこと、昇らなくてはいけない階段』はあります。
何をやっても上手く行かないこと。
たとえ上手くやっても心が満たされないこと。
その辺を探っていくと『やらなくてはいけないこと、昇らなくてはいけない階段』は見えてきます。
次回は、私の体験を書いてこのシリーズを終了します。