以前の日記で人生の幸せの土台を築く大切な時期を闘病に費やしたことを後悔していると書きましたが、実は揺れているんです。
自分が体験したことで他人の心の痛みが分かるようになったことは事実です。感情のコントロールも少しだけできるようになりました。
だから同じような苦しみを味わっている人に対してとても優しい気持ちになれます。
もしかしたら癒していることもあるでしょう。
だから、決してあの体験は無駄ではありませんでした。
そう思う反面、心のどこかでいつも後悔の念が現れたり消えたりしている。
100%良かったとはやはり思えない自分がいます。
先日北原照久さんとテミヤンのライブに行って来ました。
そこで北原さんがこんな事を言いました。
人生やり直しは効かないけれど、建て直しは何度でも出来る。
知ってはいるけれど出来ない自分がいます。
でも建て直しをやろう。
知人からこんな素敵な文章をシェアしていただきました。
▼.「さよならブラックバード 」あとがきより
僕はいまから八年程前に長女を亡くしました。
...
彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で、十八年間の人生
の中で、
一度も自分の力でベッドから起き上がることが出来ない生活を送り
、そして死にました。
急な死だったために、僕があわてて病院に駆けつけたのは 死後一時間ほどしてからでした。
娘は既に冷たくなっていて、一八歳にしてはずいぶん小さな体をベ
ッドに横たえていました。
その夜、通夜が営まれ、お棺に入れられて祭壇に安置されている娘
の遺体を目にしたとき、
僕はなぜか「あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている」と感
じたのです。
ふと祭壇の上の方を見ると、
そこに娘がポコンと浮かんでいました。
それは、生前の肉体の姿ではなく、
白く光る玉のように僕の目には見えました。
無事にお通夜を終え、
僕は翌日の葬儀に備える為に教会の駐車場にあった車に戻りました
。
車のエンジンをかけたときに、
僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。
さっきと同じ光る球体のようでした。
「一緒にお家に帰るか」と僕は娘に声をかけました。
彼女は、「うん、一緒に帰る」と答えました。
不思議なことです。
生きているときは、言葉が喋れないために一度も会話をしたことが
ない彼女と、
死んだ後ではまるで普通の人と同様に会話ができるのです。
といっても、
それは鼓膜から通して伝わってくるものではなく、
直接僕の心に語りかけてくるテレパシーのような通信手段でしたが
、それでも意思は完全に通じあっていました。
いろいろなことを語り合いながら、車を運転していくと、途中で雨
が降り始めました。
家に着いたときもまだ雨は降り続いており、
彼女は「そうかぁ、雨ってこういうものなんだ」と感激していまし
た。
ずっと室内で暮らしていた彼女は、
雨というものを実体験したことがなかったのです。
その後、娘は(ヘンな話ですが)自分の葬儀にも出席し、
しばらく我が家に滞在していました。
その間に「お前はなんであの不自由な身体を選んで生まれてきたの
だ」
と尋ねたことがあります。
娘の答えはこうでした。
『他の理由はあるけど、私が生まれる前のパパの心の状態のままだ
と、
パパは弱者に対してのやさしさが持てない人になっていたかもしれ
ないの。
それで私は重い障害をもってパパの娘に生まれたの』
この言葉は僕にとって目からウロコが落ちるようなものでした。
たしかに、
思い返してみれば当時の僕にはそういった傾向があったのかもしれ
ません。
やがて娘は、「もう天に帰るから」と言って去っていきました。
痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、
彼女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。
障害をもつ子として生まれて、
僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。
これはすべて本当の話です。
もう一度言いましょう。
どんな人生でも無駄や敗北はないのです。
大切なのは無駄や敗北とみえたことから、【何を学び取るか】なの
です。
~景山民夫~ (引用おわり)
時間は常に未来に向けてのみ開かれている。
過ぎた時間を取り戻すことは出来ない。
だから過去に固執しないでこれからの自分の人生を創っていかなければなりませんね。
建て直しをしなくては。
大切なのは無駄や敗北とみえたことから、【何を学び取るか】なの
です。