「あなたにとって、ルアーフィッシングの黄金時代はいつでしょうか」
と聞かれたら、私は1986年から1992年までの6年間と答えます。
この期間のタックルの進歩のスピードといったら、それはすさまじいものが
ありました。自転車で例えると、ホームセンターのママチャリがたった6年で
ロードバイクになったほどの大きな進化がこのころあったのです。
例えばこのころまで、ルアー用のスピニングリールといえば「カーディナルC3」
でした。ライントラブルが多く、故障し、重いリールでしたが、他に選択肢が
無かったのです。
ところが、そのカーディナルC3が販売されたわずか2年後にとんでもないリールが
ダイワから販売されました。「ウィスカートーナメントss」です。
・アルミ浅溝ロングスプール!
・セラミックラインローラー!
・コンパクトボディ!
・並行巻き!
今から28年前に販売されたこのリールは、現在のスピニングリールの「基本形」に
近いものがすでにあったのです。このリールの反響は大きなものでした。
定価が18500円で多くの釣具店では20%引きで売られていたので、14800円で
当時の最高の技術のリールが手に入ったのです。消費税なんてもちろんない時代です
高校生がスーパーで働くと(当時はコンビニがほとんど無かったのです)
横浜では時給が630円ぐらいだったので、これは現実的な価格でした。
実際このリールは売れに売れ、翌年にはシマノが「チタノスツインパワー」を
販売し、エントリーモデルにもこのような技術が投入されるようになったのです。
ロッドもすさまじいスピードで進歩していきました。
このころ、韓国や台湾で、安価で高品質なカーボンのブランクスが大量生産される
ようになりました。例えばトラウトロッドは、エントリークラスのロッドでさえ、
太くて重いグラスから、鉛筆よりも細くて!軽くてアタリを明確に伝える
カーボンになりました。
そのエントリークラスのロッドに使われる、ガイドやリールシートは、
針金を巻いたものから、「フジ」の「ハードガイド」あるいは「SICガイド」が
使われるようになったのです。
このようにわずか数年前ではとうてい考えられなかった性能のものが、
今や十分手に届く価格で販売されていたのです。それはもう売れるわけです。
そして、ルアーブームが始まるまで、釣りというのは、首都圏においてでさえ、
フィールドはそれほど混みあってなく、サカナも多く、釣る場所は無限にあるように思えました。
現在でも通用するような進歩したタックルで、本当に自由に、いろいろな場所で、
多くのサカナを釣ることができた。
自分の中では、その「奇跡のような」時間が、1986年から1992年までの
6年間でした。