大手紙の社説が絶妙のコントラストで原発新規制基準で4者4様の主張となった。

まず、読売新聞が原発新規制基準について「ゼロリスクにとらわれるな」と主張すれば、東京新聞は原発新規制基準について「骨抜きは許されぬ」と主張する。

読売新聞:原発新規制基準 ゼロリスクにとらわれるな
東京新聞:原発新基準案 骨抜きは許されぬ

また、日経新聞が世界最高水準の安全を確認した原発は稼動すべきと主張すれば、朝日新聞が「だめな原発」を廃炉できる仕組みを構築すべきと主張する。

日経新聞:新規制基準は原発安全向上の出発点だ
朝日新聞:原発新基準―廃炉への枠組みを早く

残る産経新聞については、昨日に「節電目標回避へ 電力不足は解消してない」と絡めて原発再稼動の必要性を主張したために本日はネタ切れのようである。

参考記事:今夏の電力需給は猛暑でも安定供給の必要余力確保、産経新聞は電力ナイナイ詐欺を継続

このように並べてみれば、今後の原子力政策について大手紙の主張が鮮明になる。

何が何でも絶対に原発を再稼動すべきと主張するのが読売新聞と産経新聞であり、現実に即して原発を再稼動すべきと主張するのが日経新聞であり、何が何でも絶対に原発をゼロにすべきと主張するのが東京新聞であり、現実に即して原発を廃炉にすべきと主張するのが朝日新聞である。

客観的に評価するためには、原発に対する国民の現状認識を把握する必要がある。

原発が安全な電源であると認識しているだろうか。原発が安価な電源であると認識しているだろうか。原発敷地内に活断層があることを容認できるだろうか。原発が無くても安定供給できると認識しているだろうか。

おそらく、国民の大勢はこれら設問全てに「NO」という判断をすることだろう。

そして、本来であれば国民のほとんどが、将来的に脱原発を目指すことに賛成となるのだろうが、2つの理由から原発再稼動を消極的な賛成となるのだろう。

その2つの理由が、原発を再稼動しなければ電気料金が値上がりする、原発再稼動しなければ電力が供給不足となるという読売新聞、産経新聞、日経新聞のいわゆる「原子力ムラ新聞」によって吹き込まれた情報である。

しかし現実には、原発が停止のままなら燃料コストの上昇分だけ電気料金が値上げされることになり、原発を再稼動すれば安全コストの上昇分だけ電気料金が値上げされることになり、値上げ幅もほとんど同じなのである。

また、福島原発事故から2年余り経過した現状では、原発の再稼動するしないに関係なく電力会社は電力の安定供給に必要最低限の3%以上の供給量を確保できるほど代替電源を増やしたため電力不足にならないのである。

この現実を直視しないために、読売新聞と産経新聞の社説は稚拙になってしまう。

本日の読売新聞では、原発敷地内の活断層の調査について、従来基準の「12万~13万年前以降が対象」としていれば科学的な要求となり、新基準の「最大40万年前までが対象」としていれば非科学的な要求となる。

また、「フィルター付きベント」について新基準で決定した全原発に設置を義務化したことに反対して、米国の基準で当面は不要という判断を当然としている。

さらに、各炉に最新技術の導入を義務づける「バックフィット制度」を適用することに反対して、その理由が費用が膨らみ原発が廃炉になるからである。

つまり、読売新聞は新基準が活断層調査でも、フィルター付きベントでも、バックフィット制度でも厳格すぎるから、福島原発事故以前の安全基準に戻して、原発を再稼動すべきと主張していること等しいのである。

この点から言えば、日経新聞はもう少し割り切った現実的な主張を展開している。

この新基準を世界最高水準の安全を目指す規制の第一歩と受け止めており、電力会社には新基準の順守を求め、原子力規制庁には科学的な根拠ある安全審査を求め、その上で安全基準をクリアしたな原発の再稼動を求めている。

そして、「電力会社や経済産業省も早期の再稼働を望むなら、目指すべき目標について自ら語り、国民と話し合っていく必要がある」と締め括っている。

しかし、もはや国民が安全という理由だけで原発を再稼動する動機にはならない。

この点から言えば、朝日新聞は不都合な真実を明らかにして主張を展開している。

原子力規制委員会が原発の安全基準が不適格なら「稼働できない」との判断はできるが、不適格の原発を「廃炉すべき」との判断はできないのである。

電力会社以外は「廃炉」を決定できないため、放置なら「休炉」状態なのである。

電力会社が原発を廃炉にできない理由は、廃炉にすれば「資産」に計上していた原発や核燃料が「負債」に計上されることで経営危機に陥るからである。

ただ、原発を「休炉」状態のままでは、原発の維持経費だけが年々嵩むのである。

一方で、電力料金は総括原価方式であるため、原発や核燃料が「資産」から「負債」になれば発電費用が大幅に低下して電気料金のベースが低下するのである。

これらを踏まえれば、原発敷地内に活断層があり稼動不可とされた原発をどうするのかという問題を処理しない限り、原発を再稼動しても同じことになる。

さらに将来的には、電力自由化と発送電分離が行われることから、電力会社が発電費用が嵩む原発を稼動する意義が無くなる可能性も出てくるのである。

最終的には、電力会社にとっての原発がお荷物以外の何者でも無くなるのである。

電力会社がこれに早めに気付くためには、東京新聞の下記の主張が的を得ている。

「一発電所当たり数百億円の対策費が予想され、コストや時間、ゼロとはならないリスクを考えれば「割が合わない」とみるのが普通の感覚である。」

そこまで原発に注力するのであれば、原発が廃炉となった場合に備えて、電力自由化と発送電分離となった場合に備えて、経営判断するべきなのだろう。

そして、電力会社がそれに気付かなければ、電力会社が淘汰されていくのである。

東京新聞は、大飯原発3、4号機も新基準を適用すべきとするがその通りである。

現在の原発における問題は、政府も電力会社も原発を再稼動しなければ、電気料金が値上げとなり電力が供給不足となるという意識に駆られていることである。

その先にある既存原発が安全基準で不適格か経年劣化で不適格となった場合、どうするのかということから政府も電力会社も目を逸らせていることである。

この対応が遅れれば遅れるほど、電力会社の企業としての寿命が縮まるのである。

そういう意味で、「廃炉」という判断を急かせるために、大飯原発3、4号機も新基準を適用することが結果的には電力会社を救うことになるのである。

おそらく原発再稼動の主張は電力会社に破綻宣告していることに等しいのだろう。
おそらく電力会社にとってできる限り早期の原発ゼロが会社存続のためになろう。



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