大相撲の舞台裏、心に残る10の言葉とは!! | 南海トラフ地震・津波よ、来るな!

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こんないい話が出ていました。


大相撲の人気が回復してきた。
土俵上の盛り上がりもあったが、その舞台裏で
発せられた力士、親方らの言葉もいくつか印象に残った。


個人的な見方を交えて、私の心に残った言葉を
時系列で紹介したい。

一、「弟子ながら尊敬している」(錣山親方)

 初場所6日目、元小結豊真将が引退した。
2014年の名古屋場所で右膝に大ケガを負い、
再起を目指したが無念の決断となった。


豊真将の引退会見に同席した師匠の錣山親方
(元関脇寺尾)はこう言った。

 「礼で始まり、礼で終わる相撲道を体現できる
数少ない力士。弟子ながら尊敬している」

 豊真将が所作を丁寧にやるようになったのは、
入門当時の師匠の教えがきっかけ。

「ピシッとやると、大きく見えて、相手を威圧できる。
きっちりやって見せるのも、相撲の一部なんです」
と話したことがある。


記録より、記憶に残る力士だった。

師弟関係が色濃く残る角界で、師匠が弟子に対して
尊敬」と言うのは、これまで聞いたことがない。

最高の褒め言葉だった。


二、「出せばいいんだよ」(伊勢ケ濱親方)

 春場所11日目、照ノ富士が魁聖にあっけなく
寄り切られた。

取組後、腹痛で便意をもよおしていたことを明かし
「(力を)入れたら、出ちゃうじゃん。
勝っても、出たらおかしいやろ」
とこぼした。

 師匠はこれを許さなかった。

翌日の照ノ富士によると、伊勢ケ濱親方(元横綱旭富士)から
出せばいいんだよ。出しても勝つほうがいいだろ!」
と怒られた。

決して下ネタでも笑い話でもない。

何が何でも勝つんだ、という親方の厳しさが
表れたエピソード。


結局、照ノ富士は春場所で13勝を挙げ、
次の夏場所で優勝し、大関昇進を果たした。


・・・・・・・そうだったんだ!



三、「2人で安美錦」(安美錦)

 夏場所5日目、横綱白鵬をあと1歩まで追い詰めた
安美錦が、支度部屋で泣いた。

 「付け人が辞めちゃったからね。
2人でずっと考えてきた(白鵬戦の)策を全部出して。
2人で考えたことなので。
余計に勝ちたかったんだけどね…」


 4月末、15年半も安美錦の付け人を務めていた
元幕下扇富士の中澤利光さんが引退。



そんな背景もあって、感情があふれ出た。

 「自分が『安美』で、向こうが『錦』。
2人で『安美錦』のところもあったからね」

 いつもはポーカーフェースの業師が、
珍しく見せた顔に驚いた。

 旭天鵬と若の里が相次いで引退し、秋場所から
安美錦は最年長関取になった。


名参謀だった中澤さんはいなくなったが、その後の
安美錦は老け込むこともなく、幕内上位で奮闘中。


中澤さんの代わりを務める椿富士は、まじめにいい仕事を
していることも記しておきたい。



四、「ただただあの頃に戻りたい」(貴乃花親方)

 6月20日、元大関貴ノ浪の音羽山親方が急性心不全
のため43歳で急死した。


貴乃花親方(元横綱)にとって、二子山部屋で切磋琢磨した
1歳上の兄弟子。


引退後は、師匠と部屋付き親方という間柄で
貴乃花部屋を支え合ってきた。


死去の翌日、通夜に参列した貴乃花親方は会場で
「コメントできません」としたが、公式サイトにこうつづった。

 「誠に誠に無念です。や
りきれない気持ちでいっぱいです。

もう一度あの頃に、共に汗を流し、
激しい稽古に耐え抜き、鍛錬し、

燃えたぎる炎を燃やして、
明日の夢へ夢へと向かって、

お互い汗を流したあの頃にあの頃にただただあの頃に、
あの頃だけに戻りたい」

 アイデアマンでもあった音羽山親方の死去は、
相撲協会にとっても大きな損失だったと思う。




五、「できればみんな当たりたくない」(正代)

 秋場所での新十両昇進を決めた正代(しょうだい)が、
記者会見に臨んだ時のこと。


時津風親方(元幕内時津海)から

「何をするにもマイナス思考。
気がちっちゃくて弱気。
負けたらどうしようとばかり考えている」

と指摘された。

 「十両で対戦したい相手は?」と聞かれた正代は
全然ない。できれば、みんな当たりたくない」と即答した。


師匠から「バカじゃないの?」と突っ込まれると
「対戦を想像すると緊張する。飯も食えない」
と言った。

 ほとんどの関取は、謙虚だったり、無口だったりしても、
どこか自信を漂わせているもの。

ここまでネガティブな人は珍しく、逆にその性格が話題になった。

8月にはツイッターで
どうやったら彼女できるの」つぶやいたほど。

まさかネガティブキャラの立ち位置が角界で確立されるとは、
想像していなかった。

 その性格とは無関係に、実力はすごい。

秋場所は11勝、九州場所は13勝で十両優勝。
一気に新入幕を決めてしまった。

これだけ強かったら、彼女はすぐにできるでしょう。



六、「青春って、そういうことだね」(白鵬)

 秋場所から宮城野部屋が移転した。
耐震構造上、建物がこれ以上の稽古に
耐えられなくなったためだ。


白鵬にとっては、15歳で来日してから人生の約半分を
過ごした場所。

秋場所前、綱打ちの日に思い出を語った。

 「恋人と別れる。
青春ってそういうことだね。

土俵がいちばんですからね。
別れをする時が来たなと。

でも、土は向こうに持っていく。
そのものが移動できれば、寂しさも多少、薄くなるだろうし。
テッポウ柱を見て、思い出せばいいのかな」

 白鵬は時々、色気のある言葉を言う。

部屋の移転を前に、ノスタルジックな気持ちになったのかもしれない。

 初めて宮城野部屋を訪れた人の多くは、
稽古場が思ったより狭いことに驚く。


そんな環境でも大横綱になった。白鵬は、初めてこの部屋に
来た日をはっきり覚えていた。

15年間の苦労を思うと、少し泣けた。


七、「ただ土俵で勝つだけじゃない」(若の里)

 若の里が秋場所前に引退を発表。
会見の席で「若い力士にいちばん伝えたいことは?」
と聞かれ、こう答えた。

 「ただ土俵の上で勝つだけじゃなく、
稽古場も、私生活も、本場所はもちろんですけども、

まじめに取り組む力士、そういう人が1人でも多く
出てきてくれたらと思います」

 通算勝利数は歴代7位の914勝。
一点の曇りもない、正々堂々の戦いを続けてきた。


勝っても負けても、土俵上では表情を変えない。
稽古場では黙々と体を動かした。

体現してきたからこそ、言葉に重みがある。


八、「定年まで結びを裁くのは今日からの3回だけ」(式守勘太夫)

 九州場所7日目、第40代式守伊之助が軍配を差し違えた。

最近2場所で3度目の差し違えとなり、8日目から3日間の
出場停止処分を科された。

立行司への処分は15年ぶりだった。

8日目、代わりに結びの一番を裁くことになった
三役格行司、式守勘太夫は言った。

 「集中して、つつがなくこなしたい。
水が流れるがごとくです。
定年まで結びを裁くのは今日からの3回だけと思っています」

 潔く、覚悟を示す言葉だった。

 現在、行司の最高位にあたる木村庄之助は不在。

そのため、もう1人の立行司である伊之助が結びを裁いている。

その伊之助が思わぬ形で休場となり、勘太夫に大役が回ってきたのだ。

 なぜ「今日からの3回だけ」なのか。

 行司の世界は、入門順の年功序列で出世する。

定年は65歳。

2人は同じ56歳だが、伊之助の方が勘太夫より初土俵が
1場所だけ早く、誕生日は約3カ月遅い。


通常なら勘太夫は、誰もが夢見る庄之助に
なれないまま定年を迎えるのだ。

入門した時は15歳。

その時から変わらぬ運命を背負って、
半世紀もの間、行司を務め続ける。

 そして、あのコメント。

勘太夫は3日間、何事もなく裁き切った。

流れる水のごとく、自然な立ち振る舞いだった。


九、「これからは笑顔だけでいきますよ」(高砂親方)

 高砂部屋の朝弁慶が九州場所での新十両昇進を決めた。

 高砂部屋といえば、不祥事がきっかけで引退した
横綱朝青龍も有名。

高砂親方(元大関朝潮)は会見で「あの時は悪いことばかり。

みなさん(報道陣)に追いかけ回され、車も傷つけられ、
俺の心も傷ついたけど、気分いいね。

これからは笑顔だけでいきますよ
」と話し、
報道陣の大爆笑を誘った。

 高砂部屋は、部屋創設の1878年(明治11年)から
関取が途絶えたことがない。


秋場所までは朝赤龍だけだったが、9年ぶりに新十両が誕生し、
部屋にとっては久しぶりに明るい話題となった。

 高砂親方は今も、朝青龍のことをあまり語りたがらない。

重くなってもおかしくないその場のムードは、笑い話で吹き飛ばした。



十、「北の湖敏満、代読、八角信芳」

 日本相撲協会は、本場所の初日と千秋楽に
「協会挨拶」を行う。


理事長が三役以上の力士を従えて土俵に上がり、
あいさつ文を読み上げるのだ。

 九州場所13日目に北の湖理事長(元横綱、享年62歳)が
急逝して迎えた千秋楽でのこと。


八角理事長代行(元横綱北勝海)は、挨拶の最後を
こう締めくくった。

 「平成27年11月22日、公益財団法人日本相撲協会理事長、
北の湖敏満、代読、八角信芳

 文中で訃報には触れず、最後に今は亡き理事長の名前を読んだ。


そして、あえて代読とした。


最後は涙声だった。

その後、八角親方に「誰が文章を考えたんですか?」と
舞台裏を聞いた。


すると「周りのみんなと相談してね。

本人がいちばん、土俵に立ちたかっただろうね
」と教えてくれた。

 華美でも地味でもない、粋なはからいだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上が記事・・・・・・・・・・・・・・・


大相撲の世界も特殊な世界に見えるけれど、
そこで生きている力士たちは、やはり人間なんですね。


相撲界の力士たちは、若いうちに一生分の苦労を重ねて、
人生を早くおくっているように見えます。


体をいじめる分、長生きをする方が少ないようですね。

それだけに一般社会では得られない、凝縮した人生がありますね。


安美錦の「安美」+「錦」の話は、驚きでした。
今の時代、涙を流して別れを偲ぶ・・って、少ないですよね。


豊真将の土俵上での礼の仕方は、際立っていました。

こんな舞台裏の話を聞くと、来場所が早く観たくなりました。


北の湖理事長(元横綱、享年62歳)、並びに音羽山親方
のご冥福を祈ります。