~つまらない備忘録はしばらく続きます~
診断は脳出血
脳の血管が切れてしまって、流れ出た血液が脳神経の一部を傷つけている模様
ただし
発症→処置が速かったため、比較的軽い症状のようだ
比較的軽い
そう書いたのは、血液が流出した量=症状ではないらしいから
量が少なくても損傷した箇所が悪ければ半身不随や記憶障害など大きい後遺症が残る
その時の僕は、流出した血液は少ないが、今後どのような後遺症がでてくるかはわからない というような状況だった
自覚症状としては左手足の鈍麻
手足が動かないわけではない
が
感覚がうすく、しびれている
頭痛がひどかった
脈を打つように
ひどい二日酔いように
とりあえず僕は一旦「寝たきり」状態になった
寝たきりは不便だった
トイレにいけないので依然として尿道に管が入っている
これが苦痛
膀胱が刺激されちゃってるからおしっこはしたくてしかたないが
当然出ない
自分の意志では放尿できないのだ
これがずっと続く
夜も眠れない
夜は上記の不具合と頭痛に悩まされた
ご飯も食べられない
美味しくない(塩分・脂分がない)バサバサの三食
3日後、ウイダーインにしてもらった
ゼリーならばかろうじて呑み込めるし何よりも おいしい
半分断食のような数日間で4~5キロやせた
3日後くらいからは意識もはっきりしていた
世話に来てくれた妻や母親とも会話していた
救急病院のため、同室の患者も重篤な人が多いとみられ
一晩中うめく声や、大いびきなど、眠れない要素がたくさんあった
誰も悪いわけじゃない
でも
部屋を変えてもらうようにお願いしたら、案外簡単に引っ越しできた
水戸医療センターは救急病院の割にお風呂には自由に(予約して)入ることができた
一人で
友人がくれたステキな入浴剤を使ったり、気分転換にピッタリな時間だった
OLかっ!?
そのころには尿道の管もとれて、車いすで移動を許可されていた
まだ左手足(特に足)の感覚は鈍いので立つことは危険
車いすの使用は人生初だったが、思いのほか動きやすかった
傾斜には弱いが、病院内は平らだし
1階にあったコンビニにも行くことができるようになった
雑誌を買ったり、飲み物を買ったり
食事制限がないので、食べ物を買ってもよかったのだがやはり控えた
とはいえ、年末年始に人に会えないのは寂しい
テレビの喧騒だけが年末年始を演出していた
本来なら楽しいはずの年末年始の夜が、ぜんぜん楽しく無かった
昼間は妻もいてくれるが夜は帰らねばならない
~妻は毎日鎌ヶ谷⇔水戸を往復していた~
車いす生活も一週間たたないうちに歩行器での移動を認められた
赤ちゃんが二足歩行をするのにトレーニングにつかう、アレである
歩行器はお手の物だった
母親いわく、赤ちゃんの頃から歩行器は大好きで、よく勢い余って玄関に落下していたらしい
相変わらず左足は鈍いながらも、歩く喜びを感じていた
コンビニに偵察に行く回数も増えていった
無駄に歩きたかった
わずかながらの回復を実感していた
友人たちが見舞いに来てくれた
入院して早々には来てくれていたが、その時は微妙な対応しかできなかったが
歩行器を使う頃には、笑顔で対応できていたと思う
ただ、見舞いに来てくれた嬉しさから、喉が枯れる勢いでしゃべりすぎていたなという記憶もうっすらとある
入院してみて初めて分かったが、お見舞いに来ていただける事は、思っていた以上に嬉しかった
遠く水戸まで・・・
嬉しかった!
症状が現在のところ感覚神経だけにしかでていなかったからだろうか
症状が重い場合はまた違った感じ方をするのだろうか
とにかく、なんとか前を向いて「歩いて」いけそうな気がした
つづく
つぎは「転院」がテーマだな うん
早く書かないと忘れちゃうよ