Alain Nouveauさんが私にくれたもの③ | 日報・シマコ

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演劇のある豊かな暮らし

 

 

 

5.AlainNouveauの副作用

 

「はぐれ子、キリコ」は、あらんさんにかなり歩み寄って頂いたことで奇跡的に功を奏した作品であって、当然あらんさんだけで100点の作品が出来る訳ではない。私が何も出来ないと、俳優さんもスタッフさんも良い仕事が出来るわけがない。その歪みが出たのが2本目以降。自分が未熟過ぎたことで、AlainNouveauという劇薬の副作用を大きく受けることになる。

 

当時の私は気合いと感覚だけで作品を創ろうとしていた。というか、気合いと感覚しか持ち合わせておらず、自分が何を大切にしていけば良いのか、軸というものが全く定まっていなかった。上手くいっていないのは分かるけど、どうやっていいのかわからない。何が正解なのかが感覚以外で判断がつけられない。言葉を持っていない。座組への態度もとても悪かった。さて、このような無様な稽古場にあらんさんが居合わせるとどうなるか。当然先述の”ゲキ”が自分に向かって飛んでくるわけである。稽古場で作・演出が音響家に叱られて泣いているという前代未聞の状態で、当然これでは座組の信用を得られるはずもない。

 

内部だけのグダグダに限らず、当時は外部からも、こんなことを言われるようになる。

 

「作品の成果はAlainNouveauさんの力であって、劇団の実力じゃないでしょ」

「あんたにAlainNouveauさんはもったいない」

「AlainNouveauさんの使い方が下品」

「中嶋に使われるAlainNouveauさんが可愛そう」

 

原文ママ、誇張表現なし。賞レースの審査会で、飲み会の席で、本当にこのまんま、方々から直接言われていた。実際にそう映っていたと思うし、上手くやれていなかったのは確かだ。当時はそういう言葉を跳ね返す強さもタフさもなく、ただただ追い詰められて弱っていった。自分の劇団の稽古場なのに萎縮をして、自由に発言するのが難しくなって、誤解が生まれてどんどん苦しくなっていく。どうにかこうにか作品を舞台に上げてはいるけれど、自分は何をやっているんだろうというと、長い時間を暗いトンネルの中で藻掻くことになる。

 

裏でこういうことが起こっていると、もちろんあらんさんには言えない。言えばもう一緒に出来ないと思っていた。この頃は、私の考えていることも分からず苦労したと思うし、本当に心配を掛けてしまった。それでも見捨てることなく、その時のベストを尽くしてくださった。ずっと我慢して見届けて下さったことは本当に感謝しかない。

 

私の20代後半の演劇生活は本当に無様だった。いつ辞めてもおかしくないメンタリティだったけれど、その度にあらんさんの魔法の言葉「あみゅーず・とらいあんぐるを目指すんやで」が発動して、後ろ向きの私の背中をぐりんと方向転換させるのである。演劇の神様に嫌われるのが怖かったし、このままで終わりたくないという気持ちももちろんあった。歯を食いしばって、「もう1年」を繰り返して過ごしていくことになる。

 

あらんさん、言霊とは凄いものです。あの時の魔法の言葉を胸に、どうにかこうにか17年目まできましたよ。あみゅーず・とらいあんぐるは30年目でしょうか。まだまだ遠く及びませんが、あの時の魔法の言葉と、あらんさんが愛したあみゅーず・とらいあんぐるが今も元気に続いていることが、今でも私の支えになっています。

(まだつづく)