日報・シマコ

日報・シマコ

演劇のある豊かな暮らし

中嶋悠紀子(ナカシマユキコ)
関西で演劇創作をしています。
「プラズマみかん」主宰・劇作・演出・俳優
特定非営利活動法人ワークショップデザイナー推進機構認定ワークショップデザイナー
C.T.T.大阪事務局局員、劇作ユニット野菜派


【今後の活動】
◎作・演出・出演
2020年10月9日~11日
プラズマみかん第11回演劇公演
「ワーニャのパンツと洗えない」
伊丹アイホール

 

 

 

5.AlainNouveauの副作用

 

「はぐれ子、キリコ」は、あらんさんにかなり歩み寄って頂いたことで奇跡的に功を奏した作品であって、当然あらんさんだけで100点の作品が出来る訳ではない。私が何も出来ないと、俳優さんもスタッフさんも良い仕事が出来るわけがない。その歪みが出たのが2本目以降。自分が未熟過ぎたことで、AlainNouveauという劇薬の副作用を大きく受けることになる。

 

当時の私は気合いと感覚だけで作品を創ろうとしていた。というか、気合いと感覚しか持ち合わせておらず、自分が何を大切にしていけば良いのか、軸というものが全く定まっていなかった。上手くいっていないのは分かるけど、どうやっていいのかわからない。何が正解なのかが感覚以外で判断がつけられない。言葉を持っていない。座組への態度もとても悪かった。さて、このような無様な稽古場にあらんさんが居合わせるとどうなるか。当然先述の”ゲキ”が自分に向かって飛んでくるわけである。稽古場で作・演出が音響家に叱られて泣いているという前代未聞の状態で、当然これでは座組の信用を得られるはずもない。

 

内部だけのグダグダに限らず、当時は外部からも、こんなことを言われるようになる。

 

「作品の成果はAlainNouveauさんの力であって、劇団の実力じゃないでしょ」

「あんたにAlainNouveauさんはもったいない」

「AlainNouveauさんの使い方が下品」

「中嶋に使われるAlainNouveauさんが可愛そう」

 

原文ママ、誇張表現なし。賞レースの審査会で、飲み会の席で、本当にこのまんま、方々から直接言われていた。実際にそう映っていたと思うし、上手くやれていなかったのは確かだ。当時はそういう言葉を跳ね返す強さもタフさもなく、ただただ追い詰められて弱っていった。自分の劇団の稽古場なのに萎縮をして、自由に発言するのが難しくなって、誤解が生まれてどんどん苦しくなっていく。どうにかこうにか作品を舞台に上げてはいるけれど、自分は何をやっているんだろうというと、長い時間を暗いトンネルの中で藻掻くことになる。

 

裏でこういうことが起こっていると、もちろんあらんさんには言えない。言えばもう一緒に出来ないと思っていた。この頃は、私の考えていることも分からず苦労したと思うし、本当に心配を掛けてしまった。それでも見捨てることなく、その時のベストを尽くしてくださった。ずっと我慢して見届けて下さったことは本当に感謝しかない。

 

私の20代後半の演劇生活は本当に無様だった。いつ辞めてもおかしくないメンタリティだったけれど、その度にあらんさんの魔法の言葉「あみゅーず・とらいあんぐるを目指すんやで」が発動して、後ろ向きの私の背中をぐりんと方向転換させるのである。演劇の神様に嫌われるのが怖かったし、このままで終わりたくないという気持ちももちろんあった。歯を食いしばって、「もう1年」を繰り返して過ごしていくことになる。

 

あらんさん、言霊とは凄いものです。あの時の魔法の言葉を胸に、どうにかこうにか17年目まできましたよ。あみゅーず・とらいあんぐるは30年目でしょうか。まだまだ遠く及びませんが、あの時の魔法の言葉と、あらんさんが愛したあみゅーず・とらいあんぐるが今も元気に続いていることが、今でも私の支えになっています。

(まだつづく)

 

 

 

3.Alain Nouveau音楽事務所に行く。

 

あらんさんとの最初の公演は、2010年、シアトリカル應典院で上演する「はぐれ子、キリコ」。台本を書き始める前にプロットを持って、改めてお願いしますとあらんさんの音楽事務所に伺うことになった。事務所はとても整理整頓が行き届いていて、とても集中出来る環境。プロットを読みながら、あれやこれやと質問を繰り返しながら、私の頭の中を引き出す、そんな作業だったように思う。

 

印象に残っている言葉がある。

 

「僕は俳優よりもはるかに台本を読んで稽古に挑んでいる。それは作品のことをわかりたいから」

「僕ほど台本を読み込んで稽古に来るスタッフは他にいない」

「台本をきちんと読めていない状態で平気で稽古に来る俳優、スタッフが多すぎる」

「とにかく台本を読まないと。稽古に行くまでに最低20回」

 

これがあらんさんの仕事の凄さで、稽古場で台本が読めていない人がいると、作家だろうが演出だろうが俳優だろうが、容赦なく稽古場でゲキが飛ぶ。

 

「全然ホンが読めてないよ」

「自分の作品のことが分かってないよ」

「そんなんじゃ音入れられへんよ」

「何やってるか全然わからへんわ」

 

この先、幾度となく稽古で叱られ、時に泣き、それはそれはもう無様な稽古が続くのだが、この初タッグとなる「はぐれ子、キリコ」は意外にもそれがほとんどなかったように記憶している。時に「ここはホンを直した方がいい」みたいなアドバイスを頂いたりはしたけれど、基本的にはずっと前向きに応援してもらって、自分の書いたお芝居が、あらんさんの音としっくりハマって、これまでとは全く違う輝きを放った。私にとってもあらんさんにとっても、手応えのある納得の1本だったと思う。

 

(余談だけど、数年前、Ahwoooの中野そてっつとあらんさんと飲んでいた時、「昔、そてっつが僕の事務所に来て台本を書いた」という話をしていて、でもそてっつはそんなことしていないって話が噛み合ってなかったことがあった。今思えばそれ、私ちゃうかな?と思う。あらんさん、多分それ、私やと思いますー!)

 

 

 

4.あみゅーず・とらいあんぐるの魔法を掛けられて

 

初タッグとなる「はぐれ子、キリコ」は、元々あみゅーず・とらいあんぐるの公演で埋まっていたスケジュールの中、無理をして空けて頂いたものだった。結果、バラシをした音響機材をそのままウイングフィールドに搬入してそのまま仕込みに突入することに。搬入を手伝って、あみゅーずの条あけみさんを紹介頂き「初めまして」と、「ありがとうございました」とご挨拶。その時に言われたこと。

 

「シマコ、この人たちは劇団を作ってから20年間(当時)、ずっと公演を打ち続けているんやで。これがどんなに大変なことで、凄いことか。プラズマみかんもな、あけみさんの背中を見て、まずはこれを目指すんやで。絶対にここで終わったらあかんで。」


あけみさんはきっと覚えてないと思うけど(笑)

この言葉は、後に待ち受ける様々な困難を乗り越える魔法の言葉となる。

 

 

(つづく)

 

2022年10月3日、Alain Nouveauさんが亡くなった。

 

「ヌーヴォーさん」、たまに本名の「野沢さん」、と呼ぶ方もいるけれど、私はいつも「あらんさん」と呼んでいた。メールの最後の署名がひらがなで「あらん」だった。ちょっとかわいいなと思った。そんな感じのきっかけだったと思う。

 

葬儀はご遺族の方のみの密葬で、直接お別れすることは叶わなかった。

なので自分なりのお弔いとして、少しだけ、ここに振り返ることにする。

 

 

1.あらんさんとの出会い。

 

初めて出会ったのは2000年。高校1年生の時に遡る。

「神戸市高校演劇祭」という、夏休みに神戸市の高校生が集まって、小劇場の演出家と共に演劇を作るというスペシャルな企画だった。(今は少しかたちを変えて、「GOGOハイスクール」という名称で継続されている)私は2年それに参加していて、1年目の総合演出は西田シャトナーさん、2年目は岩崎正裕さんだった。

 

最初のきっかけは「ダダダダダダン♪ワオーン!」という犬の鳴き声で、私は下手袖から舞台真ん中に向かって飛び出して行く。初めての小劇場、初めてのKAVCの舞台に興奮していた、というのもあるけれど、「音響めちゃんこカッコエエな!」「めっちゃ気持ち良く飛び出せるな!」「音と一体になっているな」と、身体がシビれるような感覚は、今でもよく覚えている。

 

ここであらんさんと特別何かをした訳でもなく、私はイチ参加者でしかなかったけれど、それから芝居を観に行く度に、あらんさんの音響にはいつもゾクゾクしていて、客席から遠巻きに、私もいつかこんな音鳴らしてお芝居を作りたいなぁ…なんて憧れるばかりだった。

 

 

2.ウイングフィールド寺岡さんの超ファインプレー。

 

大学では演劇を専攻することになり、大学3年生の頃に、「プラズマみかん」という劇団を皮切りする。なんだかんだありながら、今もなんとか継続している。

最初は同じ学部のメンバーで、出演者もスタッフも、みんなでバイトしてお金を出し合ってわいわいやっていた。卒業して数年経つと、メンバーが就職したり結婚したり、演劇から離れていく人もいて、学生の頃とずっと同じまんまではいられなくなった。私自身も、学生劇団から抜け出てもう一歩ステップアップしたい、という思いが芽生えてきた頃で、どういういきさつだったか、ウイングフィールドの寺岡さんに相談をしに行くことになった。お金も人脈もない私たちはどうやって演劇を続けていけばよいのでしょうか?というような内容だった気がする。すると、寺岡さんにこんな質問をされた。

 

寺岡さん「中嶋さん、もしお金やキャリア関係なく、自分が好きなスタッフさんを選べるとしたら、誰がいいの?」

 

私「Alain Nouveauさんです。」

 

寺岡さん「…よし、わかった。」

 

考えるよりも先にあらんさんの名前が口から出たことに自分自身も驚いて、ああ、なんて身の程知らずなことを口走ってしまったんだ…と思った瞬間、寺岡さんは事務所の電話を握っていた。

 

寺岡さん「あ、もしもしヌーヴォーさん?実は今ウイングに、あらんさんに音響をお願いしたいって言ってる女の子が来てるんだけど…ちょっと会ってみたってくれへん?」

 

そんなこんなで早速あらんさんに次のプラズマみかんの公演を観に来てもらう機会に恵まれ、感動の再会、そこから思い出話に花が咲いてトントン拍子に「君の作品いいね!次、音響を担当してあげよう!」と決まる……わけではなく!(笑)

 

感動の再会はどこへやら、居酒屋で、今の自分の芝居がどれほどアカンか、だめだしの嵐が降り注ぐ…。うつむいて格安メニューのタコさんウインナーを見つめていた記憶しかない…。

「ああ、これもうアカンやつや…」と思った帰り道。

 

「君は芝居のことを何も分かってない。だから僕が次の公演で、プロの仕事を見せてあげるわ」

 

あの時の寺岡さんの電話1本がなければ、私は今日まで芝居を続けられなかったと思う。

寺岡さんには感謝しかない。そしてあの時あらんさんの名前を出した自分を心から褒めてやりたい。

(つづく)

 





照れ2021年の活動チュー

 

【1月】

・ビッグ・アイオープンカレッジ演劇クラス 講師

・DANCE DRAMA「Breakthrough Journey」アシスタント

・高校特別非常勤講師(以下省略)

・高校演劇部コーチ(以下省略)

 

【2月】

・なし

 

【3月】

・K-EN神戸高校演劇舞台技術講習会 舞台・制作講師

・アイホール高校クラス劇アウトリーチ 講師

・高校演劇大阪F地区持ち寄り企画「409」コーチ

・(メンタルヘルス・マネジメントⅢ種・Ⅱ種 合格した!)

 

【4月】

・アイホール高校クラス劇アウトリーチ 講師

 

【5月】

・バグ男子おしゃべリ―ディング「ユッカ」執筆・稽古

・アイホール高校クラス劇アウトリーチ 講師



 

【6月】

・プラズマみかんの演劇上映会「ワーニャのパンツと洗えない」@劇団アジト

 

【7月】

・プラズマみかんの演劇上映会「ワーニャのパンツと洗えない」@鈴蘭台LEGATO

・「バグ男子おしゃべリーディング〜テーマは歯みがき!フレッシュミントの香りを添えて〜」(配信)@Cafe&Bar PLACEBO

・HPF講評委員



 

【8月】

・アイホール高校生のための戯曲講座2021 講師

・「#アイホールと私」のラジオ収録

 

【9月】

・ビッグ・アイオープンカレッジ表現のクラス「羊とあの空の向こう」アシスタント

・アイホールの存続を望む会

 

【10月】

・ビッグ・アイオープンカレッジ表現のクラス「羊とあの空の向こう」アシスタント

・アイホールの存続を望む会

・大阪府「ともいき 第17回ともに生きる障がい者展」稽古

 

【11月】

・ビッグ・アイオープンカレッジ表現のクラス「羊とあの空の向こう」(配信)アシスタント・出演

・アイホールの存続を望む会

・大阪府「ともいき 第17回ともに生きる障がい者展」(配信)出演

・高校演劇コンクール地区大会 「キャンディーデス。」コーチ

・ビッグ・アイオープンカレッジ演劇クラス 講師



 

【12月】

・ビッグ・アイオープンカレッジ演劇クラス 講師(ダンスクラスアシスタント)

・プラズマみかんの次回公演に向けての打ち合わせなど


 

 

今年は妊活の1年にするつもりで、大きな公演はせず、負荷の少ないもだけを選んでの活動になりました。最初は短期間でなんとかなるだろうと踏んでいた妊活はあれよあれよと不妊治療へとステップアップして長期戦に。

 

特に悩みが多かったのが仕事のやりくりで。通院回数が多いとか、排卵スケジュールに合わせて動かなければならないとか、決められた時間の投薬や自己注射がたくさんあったり。代わりのきかない仕事は受けられないし、周囲に迷惑を掛けてしまうという引け目で相談出来なかったり。医療費10割負担で高額治療となると働かない訳にもいかず、苦労している割に結果が伴わないので落ち込んだり…でもクリニックに行くと、待合室でパソコンとスマホを持ってバリバリ仕事をしている人がたくさんいる。みんな何かに堪えながらここにいるのだ、と、いつもと違う世界線で生活をしていたように思います。

 

良かったことは、夫がとても協力的で、色んな話をするようになったことでしょうか。在宅勤務で家にいる時間が増えたこともかなりプラスになったと思います。この先のことは分からないけれど、このプロセスを経るのと経ないのとでは、夫婦の関係が全然違っていたものになっているんじゃないかと。それは前向きに、良かった。

 

友人に、長期戦になる場合はあまり色んなことを我慢しすぎるのは精神的に持たなくなるので、なるべく普段通りの生活をした方が良いと言われたので、来年は劇団の活動を再開しようと思います。もちろん出来ること出来ないこと、制限は結構あるのですが、どんなライフイベントがあっても演劇を諦めなくていいようにと、数年前から準備をしてきました。長い演劇生活、色々あるし、こんなこともあっていいのだと思います。

 

ここにきて、劇を作る欲求、というものに改めて立ち返っています。この欲求、というものは、自分の内側からふつふつと沸き起こってくるもので、必ずしも周囲の人の「ため」には向かっていません。自身でコントロール出来るものではないと思っています。

 

アイホールの問題で、私も存続を望む者として、幾つかの取り組みに関わりました。会を終えた今、思うことは、この劇を作る(表現への)欲求を、一人の人間として尊重してもらえなかったから、私は納得がいかなかったし、悲しかったのだろうな、と。

 

市民説明会の中で「市民への還元出来ていないことは、演劇界の課題である」という旨の発言が伊丹市側からありました。私はこの発言にとてもモヤモヤしていて、そのことをずっと反芻しています。

 

例えば私の(表現への)欲求は、周囲の誰かの「ため」にあるのではありません。ただ、上手く繋げて活用することは出来るかもしれません。そのためには、表現をする人と、市民の「ため」になるように活用する人と、それを受け取る人と、三者が手を取り合う必要があると考えます。しかし、「演劇界の課題」と言われてしまった。一方的な課題とされてしまったこともそうですが、そもそも演劇界って何だろう??「演劇界」(劇団や表現を仕事にしている人)と括られてしまうことで、表現に対して欲求を持つ一人の人間が、議論の土俵から弾き出されてしまったような、そんな疎外感を感じてしまいました。

 

市民に向けて何が出来たか?出来るのか?という話はこの数ヶ月活発に行われたけど、一方で、人間の、根源的な、誰もが持つ「表現への欲求」にまで触れて議論をするところまで至りきらなかったし、自分も目の前に突きつけられた課題に精一杯だった。これはコロナ渦の文化芸術活動についても同じことかもしれない。なので、ここからは、根源的なところに、もう少し根を下ろしていきたい、というのが、正直な今の気持ちです。誰のためでもない、自分の欲求がまず根本にある。それがあるから枝葉が広がるのだと。

 

改めて、根本を作っている劇団というものは自分にとって大切な場所であるか。居場所となる劇場が大切な場所であるか。小さいし、商業的なものとは切り離されているけれど、劇団がある意味を噛み締めながら、2022年があると良いなと思っています。

 

一年間、ありがとうございました。

2022年もどうぞよろしくお願いいたします。




前回書いた、「#アイホールと私」の話。

周囲のやっちゃいなよ!という後押しもあって、ラジオを作ってみることにしました。

 

Twitterで集めた「#アイホールと私」の投稿を全部チェックして、ざっくり5つのカテゴリーに分類。演劇人だけでなく市民の方の声も聞いてみたい、というのは自分の強い拘りで、急遽企画書書いて、構成台本作って、オリジナル音楽もオファーして、周囲の協力も頂きながらゲストにお声掛け。

 

8/20の署名の締切に向けて、8/13に決定、8/15に5本分収録してそのまま第1回を公開するという、とにかく勢いで走りました。

 

収録は東大阪にあるプラズマみかんの劇団アジト。ゲストの皆さんとはZOOMで繋いで収録しました。編集は全てプラズマみかんのせせらぎよし子。アジトが大通りに面していて騒音が入ってしまうことや、ZOOMの接続環境などで若干聞きづらい部分もありますが、スピード優先ということで大目に見てもらえると嬉しいです。慣れない喋りや進行含め、素人っぽさ満載の完成度も気に入っています。

 

 

 

📻「#アイホールと私」の、ラジオ

おしゃべりする人:中嶋悠紀子・せせらぎよし子(プラズマみかん)

 

【第1回】〜アイホールってどんなホール?演劇専門ホールの魅力に迫る!〜

概要:アイホールの演劇ホールとしての専門性を語る回。いわゆる客席があって、プロセニアムアーチがある空間では無い、空間が持つ創造性について語ります。

 

 

 

【第2回】〜アイホールと高校演劇〜

ゲスト:前田さん(県立伊丹高校演劇部OG)

概要:高校演劇の話を中心に語る会。アイホールは中高演劇部に向けた演技や舞台技術のワークショップや戯曲講座などを多数開催している。中でも「アイフェス」という演劇上映会は、中高生にとって特に思い入れのある企画で、他地域の憧れでもある。学校の垣根を超えて、真剣に舞台で遊ぶ大人と関わることで得られたものとは??

 

 

 

【第3回】〜伊丹の暮らしとアイホール〜

ゲスト:元木孝紀さん(伊丹市在住・会社員)

概要:子どもに演劇を学ばせたいとふらっとアイホールに入ったら、自分が観劇にハマってしまってしまい、そのまま戯曲講座に通って作品を上演するまで至ってしまった元木さんのエピソードを軸に、伊丹の暮らしと子育て、アイホールとの関わりについてお喋りします。

 

 

 

【第4回】〜伊丹っ子サーモン計画〜

ゲスト:津久間泉さん(伊丹市在住・県立伊丹高校演劇部OG)

概要:伊丹で演劇を学んだ高校生たちが、その後どうなっていったのか?について語る回。津久間さんの伊丹愛が止まらない!劇場がすぐ近くにあることも、伊丹を愛する魅力になっている!?その他、演劇で身につけたものを暮らしの中でどう活かしていくか?演劇で防災を考えたいお話など。

 

 

【第5回】【最終回】〜舞台と客席の間で何が起きているのか?〜

ゲスト:中村ケンシさん(伊丹市出身・劇作家・演出家・空の駅舎)

概要:演劇は観るものではなく、「体験」するもの。この「体験」の正体は何か?この回は「演劇」が他のものと置き換えることの出来ない特性や、なぜ「演劇」でなければならないのか?という理由を探っていきます。

 

 

 

この一ヶ月、最初は演劇人だけで大騒ぎをしていたのが、少しずつ、市民に知ってもらうことやこれまでの取り組みを改めて市民のみなさまと共に振り返る、という動きになってきていて、その中で私が最初に出来ることとして取り組んでみたことがこのラジオでした。公開から少し時間が経ちましたが、これをきっかけにまた色んな方と話をするきっかけにもなっているので、やって本当に良かったなと思っています。

 

私も毎日色んな人の言葉を聞いて、気持ちがグラグラしたり、考えがブレたり変化したりを繰り返しています。きっとこれは当分続くのだろうなと思います。だけど、知ってもらって、話をするからこういうことが起きる。それは知らないで進むより、議論せずに結論を急ぐより良い傾向だと思っています。私たちだってただ存続を訴えている訳ではなく、どうすれば良いのかを考えたいと思っています。早急な対案が必要じゃないか?と感じた時期もあります。でも結局それも「演劇人だけが自分たちのことだけで騒いでいる」になってしまう。ここも市民の皆さまと共に、である必要がある。しかしそれには時間が必要です。もう少し議論の時間が欲しい。考える「時間」が欲しいという訴えをしています。

 

今は市民の会やOB・OG会も出来て、少しずつみんなで考えようという「うねり」が出来ています。僅か一ヶ月半でここまで繋がることが出来たことに大きな手応えを感じていますし、この繋がりに未来の大きな可能性を感じています。微力ながらも参加して良かったと感じています。今はとても前向きな気持ちです。