日報・シマコ

日報・シマコ

演劇と暮らしのことなど

中嶋悠紀子(ナカシマユキコ)
劇作家・演出家・俳優・大阪府出身神戸育ち。
認定ワークショップデザイナー(マスター)

2006年に劇団「プラズマみかん」を皮切りし、東大阪の町工場を拠点に活動。
「社会問題と私」を題材に、生きづらさや社会のへりで声にならない叫び声をあげるものに焦点を当て、SF(少し不思議)に創作する。

近年は障がいのある方と共に創る演劇ワークショップの講師、高校での特別非常勤講師やクラブコーチ、高校演劇の戯曲指導や講評委員なども務める。また、「国境なき劇団」のメンバーとして、被災地で復興に当たる演劇人たちをサポートする活動も行う。

現在は一児の母として育児と演劇と仕事の間で奮闘中。趣味はフィギュアスケート鑑賞と阪神タイガースの応援。ひつじが好きで、全国(世界)のひつじに会いに行くのが夢。

🍊プラズマみかん
https://plasma-mikan.com/

📕認定ワークショップデザイナー
https://wsd2o.org/member/00235_nakashimayukiko/

 

 

 

私たち国境なき劇団は、2021年4月の設立から、全国にネットワークを敷き、平時は過去の災害経験や立場を共有する取り組みを行いながら、大規模災害が発生した際は、速やかに顔を合わせ、継続的活動に繋げるための「ホットライン」を形成すべく、活動を行ってきました。

そして現在も、能登の演劇関係者や、能登に思いを寄せる人たちと関係を築きながら、現地で必要とされているサポートを行っています。また、先日開催された兵庫県立ピッコロ劇団設立30周年記念 阪神・淡路大震災30年シンポジウム「災害と演劇を考える―繋げる・繋がるために―」でも、協力で登壇・進行を努めるなど、私達の取り組みが少しずつ周知されてきているように感じています。

活動資金について、これまでは都度、助成金や日本財団の支援を受けながら活動を進めて参りましたが、継続的な活動に繋げるには、使用用途に制限のない運営資金も必要となってきました。そこで、私たちはこの息の長い支援活動を続けるために、私たちの想いに賛同し、継続して支援くださるメンバーを、以下の特設サイトを開設し募集することにいたしました。

月額500円から参加いただけます。

皆様にも是非情報の周知にご協力いただけますと幸いです。
また、コミュニティメンバーのひとりとして、ともに歩んで頂けますと幸いです。
私も参加しました。
どうぞよろしくお願いいたします。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

この世界に一日も早く平和と、安穏な日々が戻ることを願うばかりです。

 

忘備録として、2024年の活動の振り返りです。

 

【1月】

・能登半島地震を受けて、国境なき劇団での緊急ミーティング(以降、継続)

・ビッグ・アイオープンカレッジ2023 演劇クラス講師 発表会「どんぐりと、ともだちの木」上演

・大阪市立芸術想像館「ぱくっと!2024」プラズマみかん「セイギノミハタ-WAになって踊れるか-」出演

 

 

 

 

 

 

【2月】

・国境なき劇団 読書会Vol.1「阪神大震災は演劇を変えるか」
・(コロナに家族全員感染。死にそう)

 

 

 

【3月】

・国境なき劇団 読書会Vol.2「阪神大震災は演劇を変えるか」

・認定ワークショップデザイナーマスター 取得

・應典院「子どもいろいろ探究フェス」総括レビュー 執筆

・東大阪市オンライン手話講座 受講

・(台本を書いていました)

 

【4月】

・東大阪スティックシアター ワークショップ(ピンチヒッター)

・(一時預かりを利用しながら仕事を始めました。)

・(台本を書いたり、打合せなどしていました。)

・(お花見と、六甲山牧場!)

 

 

 

【5月】

・国境なき劇団 読書会Vol.3「阪神大震災は演劇を変えるか」

・(保活で頭おかしくなりそうになってました。)

 

★「迷いのない人生なんて」(著:共同通信社 編)が、岩波書店より出版されました。

2023年に共同通信さんにインタビュー頂いた私の記事が、「迷いのない人生なんて」という本に掲載され出版されました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b644865.html

 

 

【6月】

・国境なき劇団 読書会Vol.4「阪神大震災は演劇を変えるか」

・(台本を書いたり、打合せなどしていました)

・(慣らし保育でてんやわんや。保育園と小児科の往復の日々。)

 

 

【7月】

・国境なき劇団 読書会Vol.5「阪神大震災は演劇を変えるか」

・應典院スタッフとして入職。

・HPF講評委員

・アイホール「高校生のための戯曲講座2024」講師

・東大阪市手話奉仕員養成講座 受講開始

 

【8月】
・アイホール「高校生のための戯曲講座2024」講師
・應典院「演劇ワークショップ〜モヤモヤをコントにしよう」 アシスタント



【9月】

・(10月に向けての準備)


 

【10月】

・アフタースクールvivid!探究TIME 探究パートナー(演劇)

・應典院「極楽あそび芸術祭」実行委員として「ぬいぐるみ・おもちゃ喫茶『アイサレイロ』」「ぬいぐるみ・おもちゃ供養と健康祈願」 企画

・ビッグ・アイオープンカレッジ2024 演劇クラス 講師・アシスタント

・大阪府ともいき(ともに生きる障がい者展)フォーラム内寸劇 稽古

・大阪大学 演劇ワークショップ 講師

 

 


【11月】
・ビッグ・アイオープンカレッジ2024 演劇クラス 講師・アシスタント

・大阪府ともいき(ともに生きる障がい者展)フォーラム内寸劇 脚本・演出・出演など

・国境なき劇団 読書会Vol.6「阪神大震災は演劇を変えるか」

・大阪大学 演劇ワークショップ 講師

 

 

 

 

 

【12月】

・アフタースクールvivid!探究TIME 探究パートナー(演劇)

・ビッグ・アイオープンカレッジ2024 演劇クラス講師

・(アンパンマンミュージアムに行きました!)

 

 

 

 

 

 

 

去年は育休を終えて仕事に復帰するなど、新しい生活を模索する1年でした。

国境なき劇団での活動や劇団の公演、新しい仕事、手話の勉強を始めたことなど、なかなかフルパワーで走りきったように思います。(想定よりかなりハードワークになってしまった…。)

今年は今関わっている場所がより良いものになるように、自分が持てるものを研いでいければ。

 

劇団も20周年に向けて動き出すので、戯曲、今年は長編1本書きたい。

手話技能検定3級取得する!

脱・ペーパードライバーしたい!(毎年言ってる)

 

コツコツやっていきます。

 

余談ですが、昨年は占いをテーマにして戯曲を書いており、その取材のために何人かの占い師さんに鑑定をお願いしました。

どの鑑定結果も共通して、2025年から2026年にかけての仕事運が、とても良いそうなのです。なんせめっちゃいいそうです。超いい感じだそうです。

私を誘うと周囲でも何か良いことが起こるかもしれません。

占いの結果をプラスに捉えて、新しい出会いもちょこっと期待しておこうと思います。(他力)

 

とはいえ、これができるのも、家族や周囲の支えがあってこそ。

まずは家族と自分の健康を第一に。栄養と睡眠はしっかり取っていこうと思います。

③プラズマみかんのこと
1月に15分のショーケース公演に出演させて頂く。産後10ヶ月くらいからのスタートで、15分作るのがこんなにも大変だなんて!でも楽しい!…というのが当時の率直な感想。この先どんな演劇の関わりがなくなっても、劇団だけは自分の表現の場として残っていて欲しいなあ…と、喜びいっぱいの気持ちで思ったのである。今思えば、劇団が売れるとか成功するとかの話とは全く違う次元の、自分を人として整えていくための、ケアだったり、レジリエンスだったりするのだろう。自分が生きるために劇団があるのだとしたら、劇団にはケアの側面がある。少なくとも私は、戯曲の言葉を皆で味わったり、その言葉を引き受けて人前に立つことなどに回復のプロセスがあると感じている。

一方で、一度小劇場の世界の外側に出ると、「演劇が社会に開かれていない」「演劇の可能性は信じているけど、小劇場は閉じたまんまだ」なんてお叱りを受けるのである。「社会に開かれていないものは無価値だ!悪だ!」と首を絞められているような感覚に陥ることもあり、時々苦しい。

「自分たちだけのコミュニティの中でよろしくやっている」ことは、「自分たちでコミュニティを生み出そうとしている」と言い換えることも出来るけれど、そんなに非難されることなのだろうか。誰かの役に立たない(って誰が決めるの?)は無価値なのだろうか。社会のためになりまっせ!を強調する方がアートとしてはよっぽど胡散臭くないか?

演劇に対する期待がとても大きいということなのかもしれない。しかし、演劇をやる側の人間も、ケアを受ける一人の人間だ。社会全体にパワーが枯渇していて、その一人として演劇を演る人にもパワーがなく、自分自身のケアで精一杯だ。枯渇しているエネルギーを演劇に求めたいのかもしれないが、無限に湧き出る泉ではない…と書くととても悲観的だけどそうではなく。有効性は問えるけれど万能ではないし、時代の中で悶えながら模索するしかないし、そうしていくことが1番健全のような気がしている。

…もう少し書こうと思っていたけど、長くなってしまったのでここまで。本当に書きたかったことを殆ど書いていない気がするけど、まあいいや。

で、悩んでいる話しかしていないけど結局アナタ何したい人なの?と言われてひとことで答えられず困ってしまうけど、今やっていることは自分の中で全部繋がっていて、筋が通っている。それを何者と呼ぶのかは分からないけれど、来年はもう少し言葉を尽くしていきたい。耳障りの良い言葉に寄りかからず、適切な言葉を探していく、が、目標。

一年前ほど前は、子育て支援センターに通うだけの毎日で、仕事をするとか、演劇のことを考えるとか殆ど考えられなかったけど、まだまだ夢も希望も描くことが出来る。やれることは少ないけれど、今使えるものを研いでいきたい。







②應典院のこと
少しずつやれることから仕事を始めて、7月からは應典院のスタッフとして勤務している。何をしているのかと言うと、幼稚園のキンダースクールで補助をしつつ、お寺を開いた場にしていくこと(と、そのための発信をしていくこと)など。数年前までは事務職でExcelばかり叩いていたのに、丁寧に言葉を尽くすことを求められる日常がやってきて、不思議な感じ。自分文章めっちゃヘッタクソや…と悔しい気持ちになりつつも、とても伸び伸びやらせて頂いて、毎日とても楽しく過ごせているし、この空間にいることそのものの喜びがあったりする。やりたいこともたくさんあるけれど勤務時間は限られていて、家に帰るとそれはまた目の前のことに必死でもっと時間が欲しいと思い、小さなことをコツコツ積み重ねる日々。

意外にも。色んな人から「良かったねえ!」と言って頂いて、それは素直に嬉しい。怖い顔してExcel叩いているよりは良かったかな。その生活も嫌いではなかったけど、人生のミッションとはかけ離れているのだろう。

今思えば、先述の「国境なき劇団」との出会いは、應典院の「コモンズフェスタ」だったし、震災のことを演劇にして上演したのも、應典院の演劇祭だった。そもそも應典院は阪神・淡路大震災をきっかけに再建されており、1月からの自分の心模様を思えば、気持ちが向かってくるのは自然なことだったようにも思う。

加えて、コロナで演劇が窮地に立たされたことや、アイホールの問題も無関係ではなく、「開かれた演劇」「閉じられた演劇界」のことがずっと頭をぐるぐるしていた。産後はもう自分にそのことを考える資格がないと思っていたけど、能登の地震をきっかけにまた考える機会が戻ってきた。今の自分に必要だから、こういう話題が自分の周りに集まってきているのだろう。ありがたく受け取って悩みたい。





①国境なき劇団と読書会のこと
元旦から能登での地震があり、不安な1年の幕開け。
これまでの国境なき劇団の活動と言えば、演劇の持つ可能性を活用し、次なる災害に向けて過去の災害時の知見を共有する取り組みや、有事の際に行動に移せるための繋がりを全国に作る、ことが主目的だった。つまり、過去の災害の「後」であり、次の災害の「前」である、という認識だったのである。(「過去」と書いてはいるが「終わったこと」ではないということは強く主張しておく。)

ところがそれが「渦中」に置かれることになったことで、現地の方と繋がりを作り、広げていくこと、現地に赴き、求められていることとやれることを擦り合わせて実行していくこと、その経験を、同じく心を寄せている人に伝えていくことなど、慌ただしく、だけどそんな時だからこそ、丁寧に、適切な言葉を選びながら慎重に話し合いを重ねて活動を進めてきたように思う。

とかくいう私は、日常をこなすことに精一杯で、現地には入れないし、心を寄せても眼の前にあることに忙殺されて、「何も出来ない、わからない居心地の悪さ」をずっと抱えて過ごす。

せめて自分でもやれることを、ということでで3月から「阪神大震災は演劇を変えるか」のオンライン読書会を企画し1年掛けて開催。阪神大震災時の、演劇人たちの混乱や活動の記録を読み、当時の状況に思いを馳せたり、今の自分たちに置き換えてどう受け止めるかなどを話し合ったりなどをする。金沢や能登で活動する演劇人や、ピッコロ劇団、当時フラワーテントでボランティアに当たっていた方、全国から能登に思いを寄せている方などにご参加いただき、「災害時に演劇は有効か?」ということについて様々な議論が交わされた。

読書会を重ねる中で、演劇における「物語」の有効性の話が大きなテーマとして議論になった。詳細は割愛するが、発災時から発災後にかけての悲惨さを語るのではなく、発災前にあった生活に目を向ける。「この当たり前の生活が、地震によって失われてしまった」、この喪失の体験のことで、これは被災地に限ったことではないと。例えば私が感じている「居心地の悪さ」も、能登の地震によって起きた被災体験のひとつで、私の物語がある。というような。

私は過去に震災の演劇を作って、作品はそのようなことを語っておるのに、当時はとにかく混乱していて、自分でそのことが分かっていなかった。それが読書会や国境なき劇団の活動の中で今、やっと、整理が出来て腑に落ちていくような。喪失体験について演劇で出来ること(ケア)が、少しずつ言葉にできつつあるような。でもまだまだ道半ば。でも、「分かった!」と言える日は永遠に来ない気がするし、それで良い気もする。私は分かることが怖い。怖さはずっと抱えていたい。

(続)