前回のブログで友人のことを<けっこう見えている弱視>と書きました。
弱視ってその見え方の違いが本当に個人それぞれあるので
見え方を伝えるのが難しい。

私の場合
ぼやぼやっとですが基本的には景色はなんとなく見えています。
明るい、暗いもわかります。
明らかに太陽が出ていれば晴れているんだなとわかるけど
太陽が雲に隠れている青空が曇り空にみえたりします。
点字ブロックのない道では
道路の白線を目印に歩きたいけど
晴れている日はまぶしくて白い線がなかなか探せない。
曇りの日はわりとすっと視界に入って来てくれるので助かります。
文字も
下地とその文字色とのコントラストがはっきりしていると
電子ルーペなどで大きくすれば読めます。
ただ、一文字一文字は読めるけど
文章のようにすらすらとは読めません。
淡い色の下地に文字色も薄目の色味だったりすると
どれだけ大きくしてもわかりません。

近づけば見えるものもあるし
近づいてもそれが何なのかわからないものもある。
見えるものと見えないもの、これが本当に些細な違い過ぎて
これですかね、これを伝えるのが
相手がこれを理解してくれるのが
一番難しいのかも。
親ですら未だに。

つい最近も母親と出かけていて
駐車場の車までは母の肩につかまって
車これねって
車の目の前まできたので私から離れ母は運転席へ。
私は車に対して自分がどの方向を向いているのかが一瞬わからず
後部座席のドアを探して車の周りをうろうろしていたら
母「なにしてるの?そっちそっち」って
私「いや、車に対して自分がどの方向にいたのかわからなくてさ」
母「あれ、そうなの?そのくらいは見えてるのかと思ってた」
とこんな感じです笑。

視野もないので
目の前に車があるのはわかるけど
車のどの部分が視界に入っているのかが一瞬わからなくなってしまいました。

視力だけで言うと
診ている映像の解像度が低い、画像が粗いという表現を使って伝えることが多いです。

そして、
同じ弱視の括りでもその友人は
普段は白杖は使わずに移動ができる。
2人で出かける時は彼女が私を手引きしてくれて、
でも彼女は視野がものすごく狭いので
すごい人込みの中では彼女も白杖を登場させます。
お店のメニューを見てくれたり、注文用のタブレットの操作をしてくれるのも彼女。
でも彼女も昼間のまぶしさや、薄暗い店内は苦手。
貼れている外を歩く時はサングラス必須です。
彼女のことをけっこう見えていると言ってしまいましたが、
彼女は彼女なりに不便を感じているし
進行性の疾患なので当然葛藤もあって
自分より見えているんだからいいじゃないかなんて思ったことは一切ありません。
ドリンクバーも「いいよ、私取ってくるから」っていつも言ってくれて
ついつい甘えてしまう。同じ障害なのに
ただただ、ありがたい、申し訳ないなという気持ちだけ。

私のように常に白杖を持っていれば視覚障碍者だと一目瞭然だけど
彼女のように、普段は白杖を使っていないので視覚に障害があるとは思われず
でも場合によってはそのことを相手に伝えなくてはならない時に相手がきょとんとする…
盲導犬と一緒に歩いていた李白杖を持っている人だけが視覚障害じゃないんだよ、
ロービジョンという、程度の差はあれ見えにくさを抱えている人がいるんだよということが
少しずつでも世の中に浸透すればいいなと
こんなことを書いてみました。