架空歴史座談会 その28・いやあ、負けちゃいました  最終回     

平維盛   一一五八~一一八四
宇喜多秀家 一五七二~一六五五
榎本武揚  一八三六~一九〇八

司会:嶋 丈太郎


こうすれば勝てた Ⅱ

司会 続いて平家の落日を象徴する二つの合戦、富士川の合戦と倶利伽羅峠の
合戦について伺いましょうか。あの戦い、どうすれば勝てたのでしょうね。
維盛(はぐらかして)あの負け戦は、誰の責任ということでなくて、打つ手打つ手がすべて裏目に
  出たのですよ。ツキがなくなっていた。
司会 例えばどんな?
維盛 水鳥の羽音に驚いて逃げた・・・なんてこと事実だなんて思えないでしょ。まあ事実なんだが。
秀家 羽音で逃げる兵士というのはダメだねえ。
司会 いや、兵士ばかりではなく、上から下まで。
武揚 東上する平家の追討軍に、何か問題があったのではないか?
司会 あの年(治承四年・一一八〇)は全国的に飢饉で、特に東海道は不作だったようです。食糧が
  不十分では不安も増すでしょう。さらに、東国では一説には二十万といわれる源氏勢が待ち構え
  ている、という噂が流れていましたから、これはどう考えても勝負にならないでしょう。
維盛 そうでしょ。戦にならない。無駄に兵士を死なせるわけにはいかない。
司会 京を出る時には数万の軍勢だったものが、東へ進軍するうちに急速に数が減ってしまった。
  富士川に着いた時には三千とか四千とかいう数に減ってしまっていた。これでは・・・。
維盛 とても合戦はできない。
司会 こういう状況では、主将はどう命令すべきなのでしょうか。秀家さん、武揚さん。
武揚 さっきの「どうすれば勝てたか?」の答えでもあるのだが、一旦退くことだ。退いて態勢を立て直す。
秀家 京からの援軍を待って・・・。
武揚 一大決戦を挑む。これしかないでしょ。
秀家 同意。西に西に決戦場を持ってくれば、源氏の補給線は長く伸びるのだから。しかし、なぜ平家の
  勢いが急に衰えてしまったのでしょうね。
維盛 平家から運が去ってしまっていた、としか申せません。勢いは完全に源氏に移ったのですよ。
秀家 気の毒としか言いようがない(感極まる)。平家の落日・・・か(涙)。
武揚 いかなる名将でも頽勢は止められないね。
司会 話が湿っぽくなってきましたので、秀家さんのお話にしましょう。関ヶ原の合戦(布陣図を配る)。
  どうすれば勝てたのでしょうね?
秀家 さっき敗因は毛利と言ったが、同じくらい大事だったのが金吾(小早川秀秋・編集部注)の布陣だなあ。
司会 松尾山。
秀家 金吾は無能だし、部下の多くは気にならぬほどの力量だったのだが、あの場所を占められたのは痛手だった。
  あれこそ大誤算というべきであろう。
武揚 両軍の布陣図を見ると、完全に西軍勝利の配置になっていますがね。
維盛 両軍でどれほどの軍勢がいたのであろうか?
司会 十五万と十八万とも言われています。
維盛 ほう、それほどの大軍勢、よく集めたものだ。で、西軍が負けた。
秀家 東軍の総大将が悪知恵の限りをつくして、裏で工作をしたのだ。猛烈な勢いでな。二枚舌どころか、十枚も
  二十枚も使っていた。自身で説得し、手紙を書き、腹心を使って離反を勧めた。見え透いた工作に手もなく
  乗せられて、あとで全てを失った者も少なくないのだ。徳川を担いだ者どもは、呆れるほどに努力をしたので
  あろう。儂にはとうてい真似できぬことさ。
維盛 その家康という者、齢は?
秀家 その時、確か・・・五十七か八だったろうよ。
維盛 ほほう、その齢でのう。達者なものだ。
司会 関ヶ原の戦いでは、秀家さん率いる宇喜多勢の奮戦ぶりが後世に語り継がれています。もし西軍が勝って
  いたら、宇喜多勢と主将の秀家さんが最大の功労者になっていたことでしょう。
秀家 しかし、現実には敗けた。
司会 どうすれば勝っていたのでしょうね。
秀家 治部の策のとおりに進んでおれば勝てた。まさに必勝の作戦だったのだからな。
司会 しいて手直しするとすれば・・・・
秀家 宗茂を大津城攻めでなく関ヶ原に迎えておくべきだったのだ。そう、それが最大の誤りだった。あれこそ
  まさしく『宝の持ち腐れ』さ。治部なり刑部の失策だ。
司会 勇将と謳われていた立花宗茂さん。すぐ近くの大津城を攻めていて間に合わなかった。確か、合戦当日に
  大津城が開城したのですね?
秀家 皮肉なものだな。宗茂の率いる三千の立花勢がおれば、どれほどの働きをしたことか(嘆声)。
司会 宗茂さんには家康さんから再三にわたって東軍への誘いを受けたそうですね?
秀家 それは内府が、宗茂がどんな男なのかを知らぬゆえの振る舞いだ。宗茂は儂や三成同様、故太閤殿下から
  蒙った御恩を忘れられぬ男なのだよ。たとえ過大な恩賞を示そうとも、首を縦に振るものか。
   惜しいことであったなあ(遠くを見る目)。
司会 黒田(長政)、福島(正則)などが徳川方で大きな力になりましたね。
秀家 彼らは先が見えていなかった。碁でいう大局観を持っていなかった。徳川の天下になれば、どうなるかをな。
武揚 まさしく「狡兎死して走狗煮らる」ですな。
秀家 その通り。(加藤)清正なども、本人が亡くなった後に取り潰されたではないか。
司会 秀家さんはご長命でしたから、そんな諸々の後日談も御存知なんですよね。
維盛 まさしく世は無常ですねえ。勝ちも負けも大きな意味がないように思えてきました。

結果を考えずに戦うこと

司会 今日お話を伺っていて、これまでの私の考えが少し変わってきたように思います。確かに、戦には勝ちも
  あれば負けもあるのですが、どうやら大事なのは全力で戦うことだと改めて思ったのです。
   運・不運といったことや、味方の強弱や思い違いなどで結果は大きく変わってしまいますね。維盛さんも、
  秀家さんも、武揚さんも、勝ち戦も負け戦も経験しているわけですが、そのあたりのことをどう考えていらっ
  しゃるかを伺いたいと存じます。
維盛 私は、平家一門の全盛期というのを、実は、余りよく知らないのです。
   二十一で父(平重盛)を、二十三で偉大な祖父(平清盛)を失い、父が継ぐはずだった平家の棟梁に
  宗盛叔父が就いた。
   総大将に祭り上げられて戦に行けば、富士川と倶利伽羅峠で大敗北を喫する始末。これでは自信を持つこと
  などできなかった。
司会 でも、墨俣川の戦いでは見事な勝利を収めましたよね。
維盛 一つ勝って、二つ負け、これではダメだ。
秀家 いや、そんなことはない。私などは負けたとは思っていない。確かに戦では負けたが、さきほど司会の方が
  おっしゃったように、私は長生きして、後の世を見ることが出来たのだ。
   巧みに立ち回って生き延びたつもりが急死したり、裏切者と陰口を叩かれたあげくに取り潰しになったりした
  者どものことが耳に入ってきた。
   あの内府(家康)の孫(家光)よりも長生きしたのだから面白いことではないか。
司会(手元の資料を見ながら)、ほう、そうですか。ああなるほど。家光さんより4年後に亡くなったのですね。
秀家 だからさ、心の持ちようではないかな。世間の批評や噂話を気にする必要はない。毀誉褒貶はつきものなのだ、
  と割り切ることさ。後の世にどう評価されるかは誰にもわからぬことだし。自分の生きた道に自信を持っていいのだ。
維盛 一勝二敗の儂でもか?
秀家 維盛さんを含む平家の方々の生き方と滅し方は、後の世にも日本人の生き方の一典型となっていますよ。だから、
  もっと自信をお持ちなされ。
維盛(司会者に向かって)典型になっているとは、本当なのか?
司会 後の世の日本人に、「滅びの美学」というのがありまして、平家一門の隆盛と衰退は、人の生き方・あり方を
  示しているのですよ。 
武揚 さよう。「勝負は時の運」という諺は外国にもある。結果はともあれ、全力を尽くすという意味なのでしょう。
維盛 ほう、外国(とつくに)でものう。

武人の鑑は誰?

司会 勝者と敗者という分け方をすると、どうしても勝者が脚光を浴びるのですが、本当に勝つことが大切でしょうか。
秀家 仰っている意味がわからぬ。
司会 こういうことです。戦がある。勝者と敗者に分れる。次の戦がある。また、勝者と敗者に分れる。
維盛(自嘲気味に)儂など敗者側の常連だ。
武揚 またそれを言う!
司会 勝ち続けるとどうなると思います、秀家さん?
秀家 勝ち続けるのは良いことではないか! 分り切ったことだ。
司会 本当にそう思いますか?
維盛 勝つことが悪い、とでも?
武揚 うん、司会者の言いたいことが分ってきたぞ。そうか!(と手を打つ)。
司会 お分かりでしょう。勝ち続けると、どうしても油断が生じるんですね。どんなに優れた将軍でも、軍師でも、
  手練れの兵士でも慢心という油断が心に入り込んでくるんですよ。
秀家 そうならぬ者もおったであろう。
司会 例外はございません。それは、後の世に生きている者だけが知っていることなのですが・・・。
秀家 どうすれば。「慢心」と無縁でいられるのであろうか。
武揚 私も知りたい。どうすれば?
司会 勝ち続けることをやめることです。それしかない。
武揚 勝ちもあり、負けもある・・・か。
司会 勝つと何も学びません。いや、学ぼうとしなくなる。勝っているのだから、他者の戦の仕方を学ぼうとしなくなる
  のですなあ。そして、慢心していることがわからなくなる。それが衰退の、あるいは滅亡の始まりなのですよ。
秀家 何故、そのような恐ろしい話をするのだ!
司会 成行きでこうなりました。どうお思いですか、維盛さんは。
維盛 思い当たる節が多々ある。そう、わが平家の歩みそのままだ。蔑(さげす)まれていた武士の立場を引き上げ、
  公家に列し、確かに日本の半ば以上が領国であった。言われてみれば、確かに慢心していたのかも・・。
司会 かも、ではなく慢心していたのでしょう。まさしく、奢る平家は・・・
維盛 久しからず・・・か(納得)。
武揚 確かに、連戦連勝というのは良くありませんな。碌なことはない。やはり、勝ちと負けが交互にある位がよい
  のであろうか。負ければ、次は負けぬための工夫をするものだ。勝利の連続は勝者を軟弱にする。
秀家 勝ち続けている時に、どうすれば慢心を防ぐことが出来るのでありましょうか? 
司会 さあ、言うは易く行うは・・・でしょうか。
秀家 難しいものですなあ。

次の戦は勝つ!

司会 どうでしょう。もう一度戦う機会があったら、どう戦いますか?
維盛 大軍に奢らず、寡少に怯まず、死力を尽くして戦い抜きます。
秀家 よう申された。信じられる者だけを束ねて勝ちを収めてみせる。治部や刑部(大谷吉継・編集部注)と力を合わせ、  
  真の一枚岩にするのだ。
武揚 陸戦にも通暁して、部下から頼りにされる主将になって薩長と戦うことを目指します。己の才を過大に信じたきらいが
  あったようなので、初心に帰って研鑽を。
司会 再起を目指した戦い、後の世ではリターン・マッチなどと言っておりますが、失敗から学ぶことによって、ぜひ復活を
  遂げていただきたいと存じます。期待しております。
   本日は長時間にわたりお話いただき有難うございました。


                  二〇二五年二月六日
                  ホテルオグラ 川里にて



第191回  5月18日(日)  由井常彦先生を語る   司 会:嶋 丈太郎
       会場 リバティタワー7階1073教室
第192回  6月22日(日)  建築のはなし(仮題)  ゲスト:大野正博さん(建築家)
       会場 アカデミーコモン9階309C教室  
第193回  7月13日(日)  サーフィンに魅せられて(仮題)
       会場 アカデミーコモン8階308F教室  
第194回  9月21日(日)  映画を語る120分・  ゲスト:田中秀和さん(ソニーピクチャーズ)
       会場 リバティタワー7階1076教室
第195回 10月19日(日)  日本経済を考える(仮題)
第196回 11月16日(日)  未定
第197回 12月14日(日)  未定



落語会について

 三遊亭楽天落語会  第17回 11月 7日(金)
 第3回艶笑噺の会        9月12日(金)



                      紫紺倶楽部 主催者
                      嶋 丈太郎
                      shimajyo.oripro@nifty.com
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