こうすれば勝てた Ⅱ

 

司会 続いて平家の落日を象徴する二つの合戦、富士川の合戦(一一八〇年)

  と倶利伽羅峠の戦い(一一八三年)について伺いましょうか。あの戦い、

    どうすれば勝てたのでしょうね。

維盛(はぐらかして)あの負け戦は、誰の責任ということでなくて、打つ手打つ手がすべて裏目に出たのですよ。ツキがなくなっていた。

司会 例えばどんな?

維盛 水鳥の羽音に驚いて逃げた・・・なんてこと事実だなんて思えないでしょ。まあ事実なんだが。

秀家 羽音で逃げる兵士というのはダメだねえ。

司会 いや、兵士ばかりでなく、上から下まで。

武揚 東上する平家の追討軍に、何か問題があったのではないか?

司会 あの年(治承四年・一一八〇)は全国的に飢饉で、特に東海道は不作だったようです。食糧が不十分では不安も増すでしょう。さらに、東国では

   一説には二十万といわれる源氏勢が待ち構えている、という噂が流れていました。

   これではどう考えても勝負にならないでしょう。

維盛 そうでしょ。戦にならない。無駄に兵士を死なせるわけにはいかない。

司会 京を出る時には数万の軍勢だったものが、東へ進軍するうちに急速に数が減ってしまった。富士川に着いた時には三千とか四千とかいう数に減ってしまっていた。これでは・・・。

維盛 とても合戦はできない。

司会 こういう状況では、主将はどう命令すべきなのでしょうか。秀家さん、武揚さん。

武揚 さっきの「どうすれば勝てたか?」の答えでもあるのだが、一旦退くことだな。退いて態勢を立て直す。

秀家 京からの援軍を待って・・・。

武揚 一大決戦を挑む。これしかないでしょ。

秀家 同意。西に西に決戦場を持ってくれば、西進する源氏の補給線は長く伸びるわけだ。しかし、なぜ平家の勢いがそんな急に衰えてしまったのでしょうね。

維盛 平家から運が去ってしまっていた、としか申せません。勢いは完全に源氏に移っていたのですよ。

秀家 気の毒としか言いようがない(感極まる)。平家の落日・・・か(涙)。

武揚 いかなる名将でも頽勢(たいせい)は止められないね。

司会 話が湿っぽくなってきましたので、秀家さんのお話にしましょう。

   日本史上最大の戦さ、関ヶ原の合戦です(一六〇〇年・両軍の布陣図コピーを配る)。この戦さ、西軍はどうすれば勝てたのでしょうね?

秀家 さっき敗因は毛利と言ったのだが、同じくらい大事だったのが金吾(小早川秀秋・編集部注)の布陣だなあ。

司会 松尾山。

秀家 金吾は無能だし、部下の多くは気にならぬほどの力量だったのだが、あの場所を占められたのは痛手だった。あれこそ西軍の大誤算というべきであったろう。

武揚 両軍の布陣図を見ると、完全に西軍勝利の配置になっていますがね。絵に描いたような鶴翼の陣ですなあ。

維盛 両軍でどれほどの軍勢がいたのであろうか?

司会 十五万と十八万とも言われています。他の方面も含めてですが。

維盛 ほう、それほどの大軍勢、よく集めたものだ。で、西軍が負けた。

秀家 東軍の総大将・徳川家康が悪知恵の限りをつくして、裏で工作をしたのだ。猛烈な勢いでな。二枚舌どころか、十枚も二十枚も使っていた。自身で説得し、手紙を書き、腹心を使って離反を進めた。

   呆れるほどに努力をしたのであろう、戦場に来る前に。儂にはとうてい真似できぬことさ。

維盛 その家康という者、齢(よわい)は?

秀家 確か、五十七か八だったろうよ。

維盛 ほほう、その齢でのう。達者なものだ。

司会 関ヶ原の戦いでは、秀家さん率いる宇喜多勢の奮戦ぶりが後世に語り継がれています。もし西軍が勝っていたら、宇喜多勢と主将の秀家さんが最大の功労者になっていたことでしょう。

秀家 しかし、現実には敗けた(嘆声)。

司会 どうすれば勝てたのでしょうね。

秀家 治部の策のとおりに進んでおれば必ず勝てた。まさに必勝の作戦だったのだからな。

司会 しいて手直しするとすれば・・・・

秀家 何を措いても、宗茂を関ヶ原の戦場に迎えておくべきだったのだ。あれは大きな手抜かりだった。

司会 日本有数の勇将と謳われ、知らぬ者のなかった立花宗茂さん。あの時、関ヶ原と眼と鼻の距離の大津城攻めに加わっていて間に合わなかった。確か、合戦当日に大津城が開城したのですね?

秀家 皮肉なものだな。宗茂の率いる勇猛かつ戦さ上手の三千の立花勢が決戦の場におれば、どれほどの働きをしたことか(再び嘆声)。あれは取り返しのつかない大きな失策だった。

司会 しかし、三千や四千では・・・。

秀家 それは違う。西軍の中央を立花勢が占めていれば、強力な錐の役目を果たして東軍を打ち破る原動力になったに相違ない。それが悔やまれる。

司会 立花宗茂さんは、家康さんから再三にわたって東軍への誘いを受けていたそうですね?

秀家 それは内府が、宗茂がどんな男なのかを知らぬゆえの振る舞いだ。宗茂は儂や三成同様、故太閤殿下から蒙った御恩を忘れられぬ男なのだよ。たとえ過大な恩賞を示そうとも、首を縦に振るものか! 内府にしては無駄なことをしたものよ。

   返す返すも、主戦場に宗茂を呼ばなかったのは、誠に惜しいことであったなあ(遠くを見る目)。

司会 黒田(長政)、福島(正則)などが徳川方に加わって大きな戦力になりましたね。

秀家 彼らは先が見えていなかった。「三成憎し!」の感情で東軍を選んだのだ

  よ。どの武将も碁でいう大局観を持っていなかった。徳川の天下になれば、どうなるかをな。

武揚 まさしく「狡兎死して走狗煮らる」ですな。

秀家 その通り。(清正の)加藤家なども、本人が亡くなった後に取り潰されたではないか。(福島)正則しかりだ。

司会 秀家さんはご長命でしたから、東軍に加わった各大名の後日談も御存知なんですよね。

維盛 まさしく世は無常ですなあ。勝ちも負けも大きな意味がないように思えてきました。

 

結果を考えずに戦うこと

 

司会 今日お話を伺っていて、これまでの私の考えが少し変わってきたように思います。確かに、戦には勝ちもあれば負けもあるのですが、どうやら大事なのは全力で戦うことだと改めて分かったのです。

   運・不運といったことや、味方の強弱や思い違いなどで結果は大きく変わってしまいますね。維盛さんも、秀家さんも、武揚さんも、勝ち戦も負け戦も経験しているわけですが、そのあたりのことをどう考えていらっしゃるかを伺いたいと存じます。

維盛 私は、平家一門の全盛期というのを、実は、余りよく知らないのです。

   二十一で父(平重盛)を、二十三で偉大な祖父(平清盛)を失い、父が継ぐはずだった平家の棟梁には宗盛叔父が就いた。

   亡父の威光で総大将に祭り上げられて戦さに行けば、富士川と倶利伽羅峠で続けて大敗北を喫する始末。これでは武将として自信を持つことなどできなかったのです。

司会 でもね、維盛さん。墨俣川の戦い(一一八一年)では見事な勝利を収めましたよね。勝ちもあるじゃないですか。

維盛 一つ勝って、二つ負け、これではダメだ。

秀家 いや、そんなことはない。私などは負けたとは思っていない。確かに戦さでは負けたが、さきほど司会の方がおっしゃったように、私は長生きして後の世を見ることが出来たのだ。

   巧みに立ち回っ て生き延びたつもりが急死したり、裏切者と陰口を叩かれたあげくに取り潰しになったりした者どものことが耳に入ってきた。

   敗将のこの秀家が、あの内府(家康)の孫(家光)よりも長生きしたのだから面白いことではないか。

司会(手元の資料を見ながら)ほう、そうですか。ああなるほど。家光さんより4年も長生きされたのですね。

秀家 だからさ、心の持ちようではないかな。世間の批評や噂話を気にする必要はない。毀誉褒貶はつきものと割り切ることさ。後の世にどう評価されるかは誰にもわからないことだし。自分の生きた道に自信を持っていいのだよ。

維盛 一勝二敗の儂でもか?

秀家 維盛さんを含む平家一門の方々の生き方と滅し方は、後の世にも日本人の生き方の一典型となっていますよ。だから、もっと自信を持たなくてはいけません。

維盛(司会者に向かって)典型になっているとは、本当なのか?

司会 後の世の日本人に、「滅びの美学」というのがあります。平家一門の隆盛と衰退は、人の生き方・あり方を示しているのですよ。 

武揚 さよう。「勝負は時の運」という諺は外国にもある。西洋の歴史でも、名高い武将たちが思わぬ不覚を取った例は数多くあるのですよ。さきほどの格言は、結果はともあれ全力を尽くせという意味なのでしょう。

維盛 ほう、外国(とつくに)にもあるのか(やや回復)

 

 

                                                                  いやあ 負けちゃいました 次回完結

 

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