前回ご説明した通り、新年度は第191回からスタートいたします。

第191回  5月18日(日)  由井常彦先生を語る   司 会:嶋 丈太郎
       会場 リバティタワー7階1073教室
第192回  6月22日(日)  建築のはなし(仮題)  ゲスト:大野正博さん(建築家)
       会場 アカデミーコモン9階309C教室  
第193回  7月13日(日)  サーフィンに魅せられて(仮題)
       会場 アカデミーコモン8階308F教室  
第194回  9月21日(日)  映画を語る120分・  ゲスト:田中秀和さん(ソニーピクチャーズ)
       会場 リバティタワー7階1076教室
第195回 10月19日(日)  日本経済を考える(仮題)
第196回 11月16日(日)  未定
第197回 12月14日(日)  未定


架空歴史座談会 いやあ、負けちゃいました・その1 ②     

平維盛   1158~1184
宇喜多秀家 1572~1655
榎本武揚  1836~1908

司会:嶋 丈太郎

誤算は山ほど

維盛 平家の武士(もののふ)が余りにも弱かった。いや、むしろ源氏が強すぎたというべきかな。
秀家 痴れたことを(怒)! 己が総大将だったのであろう。弱兵を強兵に育てるのが将たる者の
務めではないか! 負け戦が他人事のような言い方は止めよ!
司会 まあまあ。で、(皮肉を込めて)西軍首脳の宇喜多秀家さんには、どんな誤算がありました?
秀家 内府(徳川家康・編集部注)の策略! これに尽きる。西軍諸将の多くに毒液のように入り込
んでいた。調略の点では東軍の方が一枚も二枚も上であったよ。合戦前に気付くべきであったのに
・・・軽くみていた拙者どもの不覚であった。
司会 三成さんの描いた壮大な合戦の計画が「絵に描いた餅」だったということですか?
秀家 そうは言っておらん。三成の計画は見事なものだったと今でも思うぞ。
司会 確かに計画は立派だったのでしょう。しかし、相手の調略で味方に綻びが出るのは不味(まず)
いでしょう。
秀家 まあ、そうも言えようか。
司会 武揚さんはどうです?
武揚 幕臣の戦意が予想以上に低かったことだね。三百年の徳川のご恩顧に報いるべき時に、腰砕け
の連中が多かった(嘆く)。海軍力ならば負ける筈はなかった。
維盛 そういう甘い考えが油断に繋がったんじゃないのかな?
秀家 敗軍の将がそういうことは言わないほうが良いのではないか?
維盛 敗軍の将はお互い様でしょう。この場にいるんだから。
秀家 確かにそうではあるな(意気上がらず)。
司会 秀家さん。家康さんの悪だく・・・、いや、策略というのは気が付かなかったのですか?
秀家 当時の儂は二十七歳の若造さ。老獪な内府にとってみれば扱いやすかったことだろうなあ。
司会 宇喜多勢は、関ヶ原の西軍では最大の軍勢でしたね。一万六千?
秀家 一万七千。本来ならば二万を超えていた筈なのだ。
司会 関ヶ原の前年に家中で揉め事があったのでしたね。有力な重臣が何人も
  宇喜多家を去っています。
秀家 あれも内府が糸をひいていたということだ。
司会 退去した重臣の多くが、後に徳川家に抱えられていますね?
秀家 そこまでは読み切れていなかったよ。未熟の一語に尽きる。一枚岩の二万の軍勢が西軍に
おれば、戦の展開は大きく違っていたことだろう。
司会 まあ、確かに大きな誤算ですね。
秀家(思い出して)もうひとつあった、大きな誤算が。
司会 何でしょうか?
秀家 毛利が何もしなかったことだ。
武揚 頼る相手を間違えましたな。あの時の毛利の内情というのは、それはひどいものだったようですよ。
秀家 毛利にも内府の手が回っていたのだろうが。それにしても、主将に推されていながら、
一兵も動かさぬとはな(冷笑)。
司会 まあ、合戦の後に所領を大きく減らしましたがね。日和見をすると、碌なことはない という教訓ですね。

こうすれば勝てた Ⅰ

司会 良い機会なので伺いたいのです。お三方の敗戦に終わった合戦ですが、
どうすれば勝てたとお考えか伺います。では、榎本さんから。
武揚 まあ、士気を高めて厳しい訓練をして、(親指を立てて)これがしっかりしていれば、
間違いなく勝てた。
司会 その親指は将軍さんということですか?
武揚 ああ。慶喜さんは腹が据わってなかったからね。ああいうのを腰抜けというんだろうね。
維盛 腰抜けかあ(思いにふける)。
秀家 そうそう。関ヶ原の時の毛利がそうさ。
司会 毛利の殿様は輝元さんですね。確か、合戦の当日は大阪城にいた。
秀家 そうさ。名目だけでも総大将を受けたんだから、自身が戦場にいなけり
ゃね。東軍は家康自ら出陣しているのだから。その分、息子(秀忠・編集部
注)が遅れたけどね(と揶揄)。
武揚 その通り。腹の据わらない総大将ではダメ。海は某(それがし)が引き受けて、陸戦は、
そうだね小栗さん(小栗忠順・編集部注)あたりに任せれば、百戦百勝だったことだろうよ。
司会 陸軍が箱根で迎え撃ち、駿河湾に幕府(徳川)艦隊の全兵力を集めて東上する朝廷方を
艦砲射撃で粉砕する・・・という計画があったそうですね。
武揚 それだけの戦ができた筈なのに、上が許可しないのだから、まあ、負けるわなあ。
司会 蝦夷共和国というのは存続させることが出来たのでしょうか?
武揚 これは繰り言になるのだが、「開陽」が沈没せず、新政府軍の手に落ちた
  「甲鉄」があれば、まさに天下無敵だったのだが・・・。
司会(遮って)榎本さん。失礼とは存じますが、お尋ねします。「開陽」を江差沖にやって、
座礁して沈没させたという声が高いのですよ。あれは榎本さんの大失敗だってね。どう
お考えでしょうか?
武揚 戦というのはいろいろあるものなのだ。(冷静に)今の「声」というのは結果論じゃないか。
そんな批評は誰でもできるさ。しかし、開陽を失ったのは私の責任だ。荒天の江差沖に行かせる
べきではなかった(唇を噛む)。
秀家 そこまで責任を感じることはない。第一、天候の急変のことなど分かる筈もないのだから。
維盛 そうですよ。「勝敗は兵家の常」というではありませんか。
秀家(冷たく)あなたには言う資格はないのではないかな。
司会 榎本さん、もうひとつ。あなたは陸の戦さが全くわからなかったそうですね。
武揚 それも噂かね。
司会 海の戦が専門にしても、蝦夷共和国の陸戦で輝いたのは土方歳三隊だけ
だったという印象なのですが。
武揚(不満げに)まあ、いろいろな考え方があるでしょう。

以下次号



落語会について

 三遊亭楽天落語会  第17回 11月 7日(金)
 第3回艶笑噺の会    9月12日(金)



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                嶋 丈太郎
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