前回ご案内した通り、今年度は年実績に加えていなかった嶋ゼミナールの13回分を合算、
第191回からスタートします。2015最初の紫紺倶楽部は5月18日(日)に開きます。
タイトルは『由井常彦先生を語る』。昨年11月に死去され先生を知る各方面の方々に
お話を伺います。学者・研究者の側面だけでなく、余り知られていない意外なエピソード、
隠れた人脈についてもご案内できそうです。
念のため添えますが、先生は紫紺倶楽部には20回ほどご出演いただき、専門の分野以外に
趣味の世界についても数回お話しいただいております。ご期待ください。なお、進行役は
主催者:嶋丈太郎がつとめます。
第191回の会場は、リバティタワー7階1073教室です。
2025年度の日程
6月22日(日) 建築のお話し(仮題) ゲスト:大野正博さん(建築家)
7月13日(日) サーフィンに魅せられて(仮題)
9月21日(日) 映画を語る120分 第8回 ゲスト:田中秀和さん(ソニーピクチャーズ)
10月19日(日) 日本経済の過去・現在・未来(仮題)
11月16日(日) 未定
12月14日(日) 未定
架空歴史座談会 いやあ、負けちゃいました・その1②
平維盛 1158~1184
宇喜多秀家 1572~1655
榎本武揚 1836~1908
司会:嶋 丈太郎
司会 今回は、運命を賭けた一戦に惜しくも敗れたお三方にお越しいただき、『敗戦の弁』を
語って頂きます。ご紹介しますと、平家の公達(きんだち)平維盛さん、関ヶ原の敗将・
宇喜多秀家さん、蝦夷共和国の夢が叶わなかった榎本武揚さん、このお三方です。
誰しも、戦さに勝ちたい、あるいは、勝とうとして戦場に臨むわけですが、概ね勝者は
一方だけですね。そこで、手始めに、お三方は、どんな勝算があって戦場に向かわれたの
でしょうか? そのあたりからお話を始めていただきましょうか。
勝算はあったのか
維盛 私は2度も大きな戦さに負けているのだ。負け癖がついていた・・・ということかな。
だから、このような場で語る資格の無い者なのだよ。もっと華々しい戦歴をお持ちの方に
伺ったほうが良くは?
司会 そうおっしゃらずに。後の世の人々の失敗を減らすためにも、間違いなく貴重なお話に
なると思いますよ。
維盛(自信なさげに)そうであろうか。私は初めから勝利など望んでいなかったのだよ。第一、
戦場ではなく都で好きなことをして過ごしていたかったのだ、何せ平家の一員なのだから。
秀家 ふん! こんな臆病者の話を聞いても何の足しにもなりはしない。敗れたとは言え、
西軍最大の軍勢を率いて関ケ原で戦った儂の経験から話すことにしよう。
司会 よろしくお願いします。
秀家 あの戦、裏切りさえなければ我が西軍が大勝利を収めていたのだ。治部(石田三成・
編集部注)の作戦は実に壮大で大したものだった。あれほど見事な作戦を見たことはない。
維盛(冷たく)でも、結局は負けたんでしょ。
秀家 お主にだけは言われたくない(怒)!。儂は結果のことを言っているのではない。志の
話をしているのだ。将たるもの、志の有無こそ肝要なのではないだろうか!
司会(とりなして)まあまあ、興奮しないで下さい。維盛さんには維盛さんのお考えがあった
のでしょうから。秀家さん、壮大な作戦・・・とは具体的には?
秀家 西軍は、関東から九州までの大名に働きかけ、史上有数の規模の兵を動員できたではないか。
あの企ての全てが治部ひとりの頭から生まれたのだから驚くほかない。その壮大さに感嘆して、
儂はすぐに加盟を決断したものだ。
司会 確か秀家さんの石高は・・・。五十七万・・・。
秀家 四千石。五十七万四千石だった。
司会 続きは後ほど伺うことにします。それでは、お待たせしました。旧幕臣の榎本武揚さんは、
勝利実現のためにどのようなお考えをお持ちだったのでしょうか?
武揚 勝算があったどころではない。徳川幕府の海軍の実力は、当時の亜細亜では最強であり、
薩摩や長州が束になっても適わない力を持っていたのだよ。その艦隊を適切に指揮する者が
いれば・・・と考えたまでのこと。
司会 なるほど。確実に勝つことが見込めたわけですね。でも、何故、負けてしまったのでしょう。
維盛 誰でも勝つつもりで戦場に向かうのだ。己の見込み違い、計算違いを棚にあげてな(嘲笑)。
秀家 誤算は常に生じるものだからなあ。
司会 では、続いてその誤算について伺いましょうか。維盛さんは、どんな誤算がありました?
次回に続く
落語会について
三遊亭楽天落語会 第17回 11月 7日(金)
第3回艶笑噺の会 9月12日(金)
会場 : お江戸両国亭
1時半 開演 入場料 2000円
紫紺倶楽部
主催者 嶋 丈太郎
shimajyo.oripro@nifty.com
携帯090-1702-5076
第191回からスタートします。2015最初の紫紺倶楽部は5月18日(日)に開きます。
タイトルは『由井常彦先生を語る』。昨年11月に死去され先生を知る各方面の方々に
お話を伺います。学者・研究者の側面だけでなく、余り知られていない意外なエピソード、
隠れた人脈についてもご案内できそうです。
念のため添えますが、先生は紫紺倶楽部には20回ほどご出演いただき、専門の分野以外に
趣味の世界についても数回お話しいただいております。ご期待ください。なお、進行役は
主催者:嶋丈太郎がつとめます。
第191回の会場は、リバティタワー7階1073教室です。
2025年度の日程
6月22日(日) 建築のお話し(仮題) ゲスト:大野正博さん(建築家)
7月13日(日) サーフィンに魅せられて(仮題)
9月21日(日) 映画を語る120分 第8回 ゲスト:田中秀和さん(ソニーピクチャーズ)
10月19日(日) 日本経済の過去・現在・未来(仮題)
11月16日(日) 未定
12月14日(日) 未定
架空歴史座談会 いやあ、負けちゃいました・その1②
平維盛 1158~1184
宇喜多秀家 1572~1655
榎本武揚 1836~1908
司会:嶋 丈太郎
司会 今回は、運命を賭けた一戦に惜しくも敗れたお三方にお越しいただき、『敗戦の弁』を
語って頂きます。ご紹介しますと、平家の公達(きんだち)平維盛さん、関ヶ原の敗将・
宇喜多秀家さん、蝦夷共和国の夢が叶わなかった榎本武揚さん、このお三方です。
誰しも、戦さに勝ちたい、あるいは、勝とうとして戦場に臨むわけですが、概ね勝者は
一方だけですね。そこで、手始めに、お三方は、どんな勝算があって戦場に向かわれたの
でしょうか? そのあたりからお話を始めていただきましょうか。
勝算はあったのか
維盛 私は2度も大きな戦さに負けているのだ。負け癖がついていた・・・ということかな。
だから、このような場で語る資格の無い者なのだよ。もっと華々しい戦歴をお持ちの方に
伺ったほうが良くは?
司会 そうおっしゃらずに。後の世の人々の失敗を減らすためにも、間違いなく貴重なお話に
なると思いますよ。
維盛(自信なさげに)そうであろうか。私は初めから勝利など望んでいなかったのだよ。第一、
戦場ではなく都で好きなことをして過ごしていたかったのだ、何せ平家の一員なのだから。
秀家 ふん! こんな臆病者の話を聞いても何の足しにもなりはしない。敗れたとは言え、
西軍最大の軍勢を率いて関ケ原で戦った儂の経験から話すことにしよう。
司会 よろしくお願いします。
秀家 あの戦、裏切りさえなければ我が西軍が大勝利を収めていたのだ。治部(石田三成・
編集部注)の作戦は実に壮大で大したものだった。あれほど見事な作戦を見たことはない。
維盛(冷たく)でも、結局は負けたんでしょ。
秀家 お主にだけは言われたくない(怒)!。儂は結果のことを言っているのではない。志の
話をしているのだ。将たるもの、志の有無こそ肝要なのではないだろうか!
司会(とりなして)まあまあ、興奮しないで下さい。維盛さんには維盛さんのお考えがあった
のでしょうから。秀家さん、壮大な作戦・・・とは具体的には?
秀家 西軍は、関東から九州までの大名に働きかけ、史上有数の規模の兵を動員できたではないか。
あの企ての全てが治部ひとりの頭から生まれたのだから驚くほかない。その壮大さに感嘆して、
儂はすぐに加盟を決断したものだ。
司会 確か秀家さんの石高は・・・。五十七万・・・。
秀家 四千石。五十七万四千石だった。
司会 続きは後ほど伺うことにします。それでは、お待たせしました。旧幕臣の榎本武揚さんは、
勝利実現のためにどのようなお考えをお持ちだったのでしょうか?
武揚 勝算があったどころではない。徳川幕府の海軍の実力は、当時の亜細亜では最強であり、
薩摩や長州が束になっても適わない力を持っていたのだよ。その艦隊を適切に指揮する者が
いれば・・・と考えたまでのこと。
司会 なるほど。確実に勝つことが見込めたわけですね。でも、何故、負けてしまったのでしょう。
維盛 誰でも勝つつもりで戦場に向かうのだ。己の見込み違い、計算違いを棚にあげてな(嘲笑)。
秀家 誤算は常に生じるものだからなあ。
司会 では、続いてその誤算について伺いましょうか。維盛さんは、どんな誤算がありました?
次回に続く
落語会について
三遊亭楽天落語会 第17回 11月 7日(金)
第3回艶笑噺の会 9月12日(金)
会場 : お江戸両国亭
1時半 開演 入場料 2000円
紫紺倶楽部
主催者 嶋 丈太郎
shimajyo.oripro@nifty.com
携帯090-1702-5076