“唯一正しいこと”なんてないんじゃないかな。
仕事でもっと成果を出したいと思ったときも。
大切な友人との関係が壊れそうなときも。
キチンと子育てができているのか迷うときも。
あの頃、広いと思っていた校庭も柵で囲われていたように、方程式にも、生物の観察にも、作者の気持ちにも、限られた正解を常に与えられて、私たちは少しずつ大きくなってきたけれど。
校庭を出た私たちが向き合うのは、いつだって“正しさ”の定まらない世界なのに。
校庭を駈けていたころと同じように、心のどこかで“正解”があるのではないかと期待し、それを探そうとしてしまう。
でも、やっぱり“唯一正しいこと”なんてないんじゃないかな。
誰かにとって正しいと思えることも、別の人にとって正しいとは限らない。
多くの人を救う政策だって、誰かを犠牲にして成り立っているかもしれない。
でも。
正しいことが無い中で、途方に暮れそうになりながら思うのは、たとえ正しいことはなくても、“自分が正しいと思うこと”は、ある、ということ。
どうせ正しいことなんて無いのだから、正解を選び続けることはできないけれど、“自分が正しいと思うこと”なら選び続けられる。
それがときに、誰にも支持されないようなことだったとしても、自分が正しいと信じることを選ぶ人の方が、正解探しの果てに自分は正しくないと思いながら正解っぽい選択肢を選んでしまう人よりも
好いなって思うし、美しいなって思うし、強いなって思う。
憧れる。
だから、正解探しをするよりも、多くの人の支持を求めるよりも、本当に自分が正しいと思うことは何なのか、その感度をもっともっと磨いていきたいって思うんだな。
