ローマ教皇フランシスコ死去 米アカデミー脚色賞「教皇選挙」も脚光

 

266代初の南米出身 葬儀は4・26、サン・ピエトロ

ローマ・カトリック教会フランシスコ教皇が4月21日午前7時35分に死去した。88歳。肺炎の治療中だった。第266代、在位期間は12年。南米出身(アルゼンチン)初の教皇で、「保守」の色合いが強い伝統宗教にあって革新的な人物だった。葬儀は4月26日、サン・ピエトロ大聖堂で行なわれる。後継者は「コンクラーベ」と呼ばれる互選制の選挙で決まる。5月7日の予定。選挙権があるのはカトリック教会高位聖職者で、その数135人ほど(※投票133人確定)といわれている。3分の2以上の得票で決まり、システィーナ礼拝堂から白い煙が上がることになっている。

現在、米アカデミー賞脚色賞「教皇選挙(コンクラーベ)」が上映されており、ユダヤ資本の象徴とも言われる「ハリウッド」の、「機を見るに敏」というか「先見の明」と言うべきか、したたかな商売っ気を感じさせる。

 

ユダヤ教の1派から世界宗教へ ローマ帝国が国教化

キリスト教は、ユダヤ人「イエス」の教えを弟子のパウロが説いたことで「ユダヤ教」の一派として誕生した。西暦380年「ローマ帝国」がキリスト教を「国教」にめたことで、世界宗教として確固たる地位を得る。これがカトリック教会(カトリック派)である。宗教の常ではあるが信者を増やすために「戒律」が緩められ、ユダヤ教では一大イベントだった「割礼(かつれい)」も省略されるようになった。信者を集めるには立派な教会も必要でおカネがかかるため「贖宥状(免罪符)」も発行されるようになり、16世紀に入って、これを堕落とみたマルティン・ルターが「宗教改革」を訴え「プロテスタント」と称した

 

カトリック信者13・5億の頂点 プロテスタント5億人

現在キリスト教は世界的にカトリック派13・5億人プロテスタント派5億人。考えうるに数の上ではローマ・カトリック教会の「教皇」は世界の最高権力者ともいえる。ちなみに「ローマ法王」と学校で習った方もいると思うが、2019年、バチカン市国が「教皇に統一してください」と通達を出した経緯がある。日本でいうと「法王」の「法」の漢字が「仏教」を想起させるということもあるようだ。

 

「ローマ教皇」の「男性に限る」は現代もつづく

現代社会において何となく不思議なのは「ローマ教皇」は男性に限られること。日本の天皇制について、国連は女性も考慮すべきといっているようだが、数から言ったら「ローマ教皇」の方に先に文句を言えとなってしまう。

 

教皇名がつけられる本当の理由

亡くなったフランシスコ教皇の本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。教皇名は選挙で選ばれると自分で勝手に決められる。「〇世」とつくのは人気のある教皇名で、繰り返し名乗られたことを意味している。憧れの先輩の名前にちなんでいうことだ。ちなみにこの慣習ができたのは、ヨーロッパでは「ギリシャ神話」に出てくる名前を付ける人が多いため。「ローマ教皇」の呼び名が、よその神様では不味いとなったらしい。