フジ番記者の回想 バブル時代を引きずる『ギョーカイ』
拒否権返上「アナウンス室」編成局傘下に
私がフジテレビを担当していたのは、1982年6月から84年春にかけてだった。広報室の会議室を改装した「記者溜まり」に毎日出勤するような形だった。場所は新宿区の河田町。フジは他社に先駆けて「アナウンス室」「広報室」を編成局に組み入れていた。アナウンサーの担当番組を編成局主導で決める体制にしたのだ。それまではアナウンス室の意見も尊重されていた。それゆえ独立性の高かったアナウンス室の『拒否権』を奪ったとの見方もできる。局全体として最高の視聴率を稼げる組織にしていく、まさに過渡期だったように思う。
この時の編成局長は日枝久氏(現在相談役)。番組の並びを視聴者の生活習慣に合わせたり、他局の裏番組を調べ上げて相対的に勝てる配置に編み上げたりしていく作業をしていた。編成は「制作」と「スポンサー」の意向を調整する役割もしており、局の頭脳。一般企業にはないエリート部署「編成局」が、独特の企業文化を醸し出していた。
ひょうきん女子アナ時代からあった芸能界との接点
そのころテレビ局の熱気は「夢の砦(とりで)」のようだった。『ひょうきん族』(略称)のスタジオ収録開始が「26時」、午前2時からなどと言うこともザラだった。「ひょうきんアナ」と言われる女子アナが、わけもわからず芸人集団のなかに投げ込まれるわけで、サバンナにウサギを放す、状態だった。視聴者はその反応を楽しんだ。古代ローマで奴隷同士をコロセウムで戦わせ、それを見物する遊山があり、「Roman Holiday」と言ったそうだ。悪趣味において人間は古代からあまり進歩していない。この故事成語を上手く生かした米国映画があった。王女と新聞記者のラブロマンス『ローマの休日』(1953年)である。原題は「Roman Holiday」。日本人からすると、いまいちインパクトに欠ける題名だが、全世界的には皮肉で洒落がきいた粋なタイトルとされている。
話が大いに逸れた。
この時の、バブル時代の、「さかりがついた」状態がテレビ局では脈々と生き続けていたとみるべきか。
会社の生き残り優先 個あっての組織?組織あっての個?
生物界では「個の保存」よりも「種の保存」が優先される。例えば妊娠である。敵に襲われやすく個にとっては危険極まりないが、繁殖しないと種全体が絶滅してしまう。会社組織もこの本能を持ち合わせている。「全社主義」といってもいいかもしれない。「会社」(種)が先か「社員」(個)が先かの、「ニワトリ・たまご」論。これに「個」の立身出世、「組織」の拡大再生産という連立方程式があり、その「解(かい)」を見つけねばならない。それも倫理的に。道徳的に許される範囲で。
あまり憶測で物を言うわけにもいかないので、今回はこれくらいで勘弁していただきたい。