トランプ氏事件直後「民衆を導く」的写真の思わぬインパクト

 

トランプ氏命拾い、20歳容疑者射殺され流れ弾で3人死傷

トランプ撃たれるー。米国ペンシルベニア州バトラーで、7月13日、前大統領が遊説中に狙撃され右耳を負傷した。狙撃犯(容疑)は同州の20歳の男。トーマス・マシュー・クルックスで約130㍍離れた建物の屋根の上からライフルを使った。容疑者はすぐ射殺され、発射された8発(現地メディア報道、のち9発に訂正)のうち流れ弾に当たった聴衆1人が死亡、2人が重体だという。

3連休、のんびり暇ネタで済ませようとした報道マンも目が覚めた。安倍晋三元首相の暗殺から丸2年の特集を終えたばかりだった。

 

ピューリツッー賞受賞経験者が撮った直後の写真

報道で話題になっているのが、AP通信が配信した狙撃直後のトランプ氏が力強く右手を振り上げた写真だ。これを撮ったのはエバン・ヴィチ氏。2021年ピューリツッー賞受賞のチームの一員だという。

この手の写真、報道の仕事に就く前の私は「単なる偶然じゃん」「ラッキーだっただけ」と思っていたが、浅はかだったと現場で思い知らされることになった。いいカメラマンは次の瞬間に何が起こってもいいように準備を怠らない。また長い間、集中力を維持できる強靭な精神力を持っているものだ。

 

ドラクロワの名画に似た構図、おっぱいの秘密

この写真、ドラクロア『民衆を導く自由の女神』を連想させる構図となった。私は小学校のときこの絵を本で見て「戦場でおっぱいなんか出して危ないじゃないか」と思った記憶がある。フランス革命より、そっちの方が大問題だった。「戦場でおっぱいを出していることで、現実の人間ではなく、女神なのだと一目でわかるようになっている」と解説を聞いて大いに納得したものだ。

 

ピューリツッアー賞1917年創設、米国報道界で権威

またピューリツッアー賞獲りそうなので、この賞に触れておく。創設は1917年、新聞『ニューヨーク・ワールド』で財を成した、ハンガリー系米国人ジョーゼフ・ピューリツッアー氏の基金による。最初記事だけの対象だったが1942年から写真部門ができた。1968年から特集写真部門(いわゆる組写真で1作品)とニュース速報部門となった。米国報道マンにとっては勲章である。

写真は「百聞は一見に如かず」「見ればわかる」といわれ、言語の制約がない。カメラマンは業界で『写真記者』といわれ、『記者』より一段下に見られていた時代があったが、いまはカメラマンの方が圧倒的にモテる。

 

日本人受賞者一覧

この賞は公募制なのでまずエントリーしなくてはならない。

日本人のピューリツッアー賞受賞はカメラマン3人だけ。記者ではない。

【ニュース速報部門】長尾靖「浅沼社会党委員長の暗殺」毎日新聞 1961年

【特集写真部門】沢田教一「安全への逃避」UPI通信社 1966年(ベトナム戦争)

【特集写真部門】酒井淑夫「より良きころの夢」UPI通信社 1968年