知って得する?政界の迷フレーズ その歴史的背景
無粋な政治の世界にも気の利いた言い回しがある。戦後政治史に残る迷言から日本の歩みを見てみる。
糸で縄を買う
1960年代、日米貿易戦争第一弾が「繊維」だった。経済規模が大きくなるにつれ産業は高度化していくが最初に隆盛を迎えるのが繊維である。日本に押しまくられた米国の繊維産業はニクソン政権に圧を掛ける。困った米国は日米繊維交渉を仕掛けてきた。佐藤栄作政権ははじめこれを無視したので交渉はこじれにこじれた。ニクソン政権がとった奥の手は、非核3原則での沖縄返還の極秘提案だった。歴史に名を残したい佐藤栄作首相はこれに応じた(日本政府は認めていないが米国側の証言は十分ある)。1971年10月ついに「日米繊維協定」が成立する。日本政府が日本の繊維業界に渡した「つかみ金」は一般会計に匹敵する2000億円であった。このいきさつをおちょくって「糸で縄を買った」となるわけだ。
国鉄止め男
佐藤栄作政権は「黒い霧事件」といわれた自民党政治家のスキャンダルに見舞われた。なかでも珍妙な事件は、運輸大臣だった荒船清十郎代議士の暗躍である。自分の選挙区の駅「深谷(ふかや)」に急行(高崎線)を止めさせようと国鉄のダイヤ改正に注文をつけた。荒船氏はやんちゃな性格で「人事の佐藤」とは思えぬ抜擢とされていた。この時、流行した言葉が「やはり野に置け蓮華草(れんげそう)」である。
ちなみに「国会止め男」と言われたのは楢崎弥之助・社会民主党代議士だ。ロッキード事件、リクルート事件審議で爆弾質問をして、自民党をあたふたさせた。
はしゃぎすぎ
「今太閤」とまで言われた田中角栄首相は思わぬところでつまずく。1974年『文藝春秋』(11月号)で立花隆「田中角栄研究―その金脈と人脈」からケチがついた。辞任に追い込まれた田中首相の後継は、自民党副総裁の椎名悦三郎が選んだ(椎名裁定)小派閥の三木武夫である。大派閥からだと党が割れると考えたわけだ。74年、「ロッキード事件」が米国で火の手をあげ、さらに田中元首相は窮地に追い込まれる。三木首相は真相究明まであとに引かない決意で、米国のフォード大統領に資料提供を求める親書をおくった。「日本の首相を犯罪者にするつもりか」と怒った椎名が記者たちに放った言葉が「はしゃぎすぎ」だった。「三木には惻隠の情(そくいんのじょう)がない」とまで言ったのである。
ここから「三木おろし」がはじまった。
白を黒と言いくるめる
2013年、日銀総裁は財政均衡派の白川方明(しらかわ・まさあき)総裁から、正反対の金融緩和論者である黒田東彦(くろだ・はるひこ)総裁にバトンタッチされた。黒田総裁を任命したのは安倍晋三首相だった。日銀は政府から独立しているとは言え、子会社のようなもの。役人体質が至る所にみえる。トップの顔色を窺い自説を変える職員も多い。この変節を「白を黒に言いくるめる」と評した。白川から黒田に乗り換えたという意味だ。ちなみに4月9日から日銀総裁は植木和夫氏に交代する。