「学力=ガク・チカ」勝負か。3月活動解禁、就職戦線異状あり

 

すでに内々定2割。6月面接、10月内定式

「学力」と書いてあれば、素直に「ガクリョク」と読む世代である。最近は「ガクチカ」とも読むらしい。「学生時代に力を入れたこと」の略であるという。そんなわけで3月から会社説明会、エントリーシートの受付が始まる。日程をおさらいすると6月から面接開始、10月には内定式が行われるという。ただ、これは経団連主導でなんとなく決まっていることで強制ではない。日本の9割を超える中小企業は経団連に加盟している筈もなく、就職情報会社によるとすでに内々定がでている学生は19・9%にのぼる(23年2月21日現在)そうだ。

 

偏差値主義マスコミの無反省は凋落の一因か

なにはともあれ、「ガクチカ」を採用担当者が聞くということは、卒業(見込み含む)した学校の偏差値だけで内定を決めたのでは会社が業績を伸ばせないことを実感したからだろう。反省の余地ありと悟ったわけだ。

70、80年代、学校は荒れに荒れ、窓ガラスは割られ、「積み木崩し」が流行語になった。それもこれも「偏差値」偏重のせいである、とマスコミは断じてみせた。

ところがである、そのマスコミ業界にも根強い「名門大学信仰」があった。応募資格は、「4年制大学卒業」のみ。言ってることとやってることが違い過ぎた。あまりの世間の批判に、マスコミのとった作戦は、応募資格を「4年制大学卒業程度」としたのだ。「程度」を判断するのは採用側だから、まったく見直しは行われていない。お茶濁すとはこのことだ。

 

変わり種S君に学ぶ人材獲得の難しさ

ここで思い出すのはS君のことだ。5期ぐらい下だったか。出版社には珍しく専門学校出だった。なにしろ発想が自由で、企画力が半端ではなかった。明るいので人気もあった。人事が冒険を冒して採用した理由も納得だった。

ただ一般教養に若干難があることがだんだん明らかになる。S君はテレビ朝日担当となった。新聞記者の「サツ回り」のようなもので、新人記者の第一段階である。

会議の席上、「必殺仕掛け人」新シリーズ(朝日放送・テレビ朝日系)について編集長が尋ねたのでS君が答えた。

「今回のシュスイはですね。設定は同じなんですけど、悪人の殺し方に工夫が見られます」

ここで一同首をひねった。「シュスイ」とは誰なのか。S君がその後「中村シュスイ」と口走ったので編集長が突っ込みを入れた。

「S君、それは『モンド(主水)』と読んだ方がいい」

S君は記事を書くのも異常に遅かった。記者という商売はスピード勝負だ。時間をかければ誰にでも書ける。締切直前に起こった事件、現場でバイク便を待たせたままスラスラ書くのが記者なのだ。

 

原稿は書けないが映像感覚は人一倍のS君

同僚たちは、原稿が書けないのでは活字メディアに向いていない、映像メディアに移った方がいいのではないかと薦めていた。果たしてS君は「退職願い」を出したのである。

それ以降、忙しさもあってS君は忘れ去られた。

S君の名前を私が発見したのは、彼が辞めて2年後。日本テレビの大ヒットドラマ「家政婦のミタ」のエンドロール。プロデューサーに名を連ねていたのだ。

 

結果的に人事部門の「見る目」は確かっだった。偏差値だけが業績を伸ばす人材の判断材料ではないとわかっていながら、われわれは旧態依然のサングラスをかけているのかもしれない。