「国葬」ってそもそもなんだ? 閣議決定「9・27」武道館に賛否の声

 

 

一般予備費から約2億円の国費投入か

政府は7月22日、銃撃されて7月8日に亡くなった安倍元首相の「国葬」を9月27日(火)に、東京・千代田区九段の日本武道館で行なうことを閣議決定した。葬儀の正式名称は「故安倍晋三国葬儀」となる。葬儀委員長は岸田文雄首相。国家予算の「一般予備費」から出される。規模からいって2億円ぐらいになろうか。学校・公官庁は普段どおり。

 

 

行政権でGOサイン、だが司法権ではどうか

法的根拠は内閣府設置法第4条「国の儀式」で、行政権の発動として行われる。内閣法制局が解釈を示した。ただし、国葬反対の行政訴訟が起こされれば、司法権の判断として、裁判所が国費の返還を政府に求める「賠償」となる場合もあり得る。政府が国会でこの国葬における規模・経費について説明しないのは立法権の軽視だという議論もある。

 

 

「国葬令」は現憲法と引き換えに廃止

戦前は「国葬令」という明確な基準が存在したが、1947年に失効。これはいまの日本国憲法が施行されたから。宗教色のある「国葬令」が、国家の宗教活動を禁じた憲法に違反するからで、上位法の憲法が生きて、国葬令は廃止となった。

 

1947年以降、政治家で国葬だったのは吉田茂・元首相だけ。1967年10月31日に同じく日本武道館で行なわれた。それから55年ぶりとなる。当時の費用で1800万円。現在の物価で1億8000万円ほどの国費(税金)が使われた。

 

 

「熟考の人」岸田首相、即決・即断の理由

何事にも慎重な岸田首相が、このところ慣例となっている「内閣・自民党合同葬」の枠を超えて、すぐさま「国葬」としたのには、自民党の右派に対する配慮が見て取れる。

外務省は国交のある195か国と台湾・香港、国連などに葬儀通知を送るとしている。

 

 

余談「大喪の礼」の体験記

ここからは余談中の余談だが、昭和天皇の国葬「大喪の礼」(1989年)のとき、こちらは宮内庁を担当していた。ドレスコードがあって記者もカメラマンも黒の礼服着用とされた。朝、編集部から黒塗りのハイヤーで向かったが、一般車両の通行制限があったため、四谷から皇居まで5分もかからなかった記憶ある。こんなに広い道だったのかと驚いた。取材陣の入る門は「乾門」(いぬい・もん)と決まっている。半蔵門などは天皇のほぼ専用である。

このときひとつ困ったのは葬儀特集で売り上げ部数が確保できるかという商売上の問題であった。そこで弔問外交が行なわれていることに目を付けた。羽田空港にいったら、各国の政府専用機があるわ、あるわ。珍しい飛行機ばかりだった。取材特権で滑走路に下りて、カメラマンに写真をバシャバシャ撮ってもらった。

 

同じことを考えている出版社があるかもしれない。