校正・校閲、縁の下の力持ちの実態に迫る
日テレ「校閲ガール・河野悦子」で陽の目を見た
新聞社・出版社で働く人たちの人間模様を描いてきたが、校閲に関わる人たちについて触れていないことに気づいた。表舞台に立つことの少ない縁の下の力持ちに触れてみたい。日本テレビが2016年10月から1クルーで放送した『地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子』(石原さとみ主演)は、面白い企画だった。組織論からすると編集マターに踏み込み過ぎとも思ったが、ドラマである以上仕方あるまい。
校正と校閲の違い、出版社では部署から委託へ
「校正」とか「校閲」とかいう。一般的には、字面を見るのが「校正」、内容まで踏み込む場合「校閲」と言っている。つまり印刷会社は「校正」まで、編集部は「校閲」まで行なう。「校閲部」は、部署でいうと「出版局」、あるいは「制作局」の一部門という出版社が多い。編集部直轄にしている社は少ないと思う。だた、いま校閲部門を抱えている出版社は少ない。校閲会社、校閲専門の編集プロダクション、フリーランスの校閲マンに依頼するのがふつうだ。最近では経費節減にため校閲の専門家に依頼せず記者同士で原稿・ゲラを交換して回し読む編集部もあるそうだ。
性格も几帳面、机を見れば一目瞭然
週刊誌の場合、編集の島(机の集合体)と校閲マンの島が隣り合わせにあるものの、別会社であったりする。近くにいるとなにかと便利なのだ。編集の机か、校閲マンの机か、は一目でわかる。乱雑ならば記者・編集者の机だ。校閲マンの机には塵一つなく、電気鉛筆削りでもできないほど芯を尖らせたエンピツが5,6本並んでいる。
仕事としての校閲。どこが面白いのか
記者になりたてのころ、一日中ゲラと「にらめっこ」している校閲マンに同情を禁じえなかった。新米記者でも著名人に会ったり、日本・世界各地を飛び回ったりできて刺激に満ちている。それに引き換え、と思ったわけだ。若気の至りで「校閲って面白いですか?」と失礼極まりない質問をしたことがあった。「間違いを見つけたとき、血が沸き立つような感覚があるんですよ」とベテランの校閲マンは言った。記者も特ダネをつかんだ時、似たような感覚を覚える。
ちょっと待った。校閲に救われた書籍初仕事
初めて書籍を担当したとき校閲マンに救われた。週刊誌のような反射神経と瞬発力勝負の仕事をしてきたこちらにとって、小説などはマラソンであり持久戦で、勝手が違う。ミステリーとまではいかないが、伏線が複雑に絡み合った小説だった。一通り読んでみたがなんらおかしいところはない。責了にしようと思っていたところ、校閲マンから「待った」がかかった。時系列で「年表」形式にしてみたところ、伏線がどうしても回収できない箇所があるという。疑問を作家に伝えたら、書き直した原稿が届いた。
校閲と言えば新潮社。誤字・脱字はめったにない
校閲部が出版界一と言われるのが新潮社である。もう伝統になった。誤植、誤字・脱字は一つでもあると、その本全部が信用されなくなるというものだ。合っていて当たり前の仕事は結構きついと思われる。