記者クラブを考える。「特オチ」こわい、の記者心理
日本独特の記者クラブの存在は、外国メディアから「取材源の独占であり独占禁止法に違反する」と訴えられたり、「取材者が政権、大企業に飼いならされポチになっている」と世間から言われたり、おおよそ評判が芳しくない。
「特ダネ」、最近は「独自」ということも
それでも記者クラブが無くならない最大の理由は、こちらの経験からして「特オチ防止機関」となっているからと推察している。
「特ダネ」はみなさんご存じだと思う。昨今テレビでは「独自」とテロップを入れているが、つまりは「スッパ抜き」である。優秀な記者がいると、そのネットワークの広さとパイプの太さで、他紙・他局に先駆けていいネタを報じることができる。この「特ダネ」は防ぎようがない。
カネを出して優秀な記者をヘッドハンティングするくらいか。
「特オチ」の状況を考えてみる
これに対して「特オチ」というのは、ほとんどのメディアがかなりのスペースや時間を取って報じているのに、自分の媒体がまったく触れていないことをいう。これはめったにないが年1回か2回見受けられる。
これは記者にとっては地獄だ。上司から怒鳴られるくらいならいいが、2回連続すると辞表を出す羽目になると、新聞記者から聞いたことがある。
記者クラブに張り付く心理を分析する
特オチは防ぐことができる。なぜなら特オチは、ほぼほぼ発表ものだからだ。記者会見や資料配布をうっかり忘れたとき特オチが起こる。つまり記者クラブの部屋に張り付いて、周りの記者と同一行動をとっていれば特オチは防げるということになる。
しかし部屋に張り付いていると、現場を回れないので特ダネは諦めねばならない。つまり特ダネと特オチはトレード・オフ、二者択一の関係にあるわけだ
「首相動静」に見る記者の行動哲学
新聞の「首相動静」欄は若手の記者が担当することになっているが、「メモ合わせ」という作戦がある。手分けして複数の官邸入り口を担当し、最後みんなで情報を共有するわけだ。この人たちが、官邸の記者クラブで成長していくわけなので、「特オチは絶対ごめんだ」という心理になるのも不思議ではない。みんなお友達感覚なのだ。
このやわな記者たちを政権の中枢は子羊のように手なずけているというのは、こちらの妄想だろうか。
※官邸には非常階段があって、ここは記者の立ち入りができない。だから「首相動静」に載るとマズイ人はこちらから入る。世間にアピールしてもらうために堂々と報道陣の前を通り抜ける「正面玄関派」もいる。