テレビ・雑誌を10倍楽しむ。現代の伏魔殿・広告代理店編
持続化給付金で元受けの広告代理店の存在がクローズアップされた。まさしく伏魔殿といった雰囲気で世間に伝わったことと思う。この給付金、沖縄で詐欺のターゲットにされたそうでニュースになっているが、今回はその広告代理店の話である。大手は新卒の就職人気企業ランキングの上位組。一緒に仕事をした経験から広告マンについて書いてみる。
広告代理店はなんでも屋
よく仕事をしたのはD T社の人たちだった。こちらは記者としてのつきあいだが、タイアップ広告でお世話になった。スポンサー、広告営業、代理店、編集部で記事広告を作る。記者が地方で活躍する人を取材する「工場探訪」のような記事が多かった。純粋な広告と違って、編集部にも「取材費」名目でおカネが入ってくるので旨味がある。また、大手広告代理店はシンクタンクのような部署があって、時代のトレンドや各世代の意識調査をしていて興味深い情報を持っている。とくにテレビ視聴率を調べているV R社はD T社の子会社で、テレビ文化に貢献すべく書籍の発行や活躍した人の顕彰もおこなっている。
キャンペーンもやってくれる
テレビCMと年末の販促キャンペーンはD T社にお願いしていた。年末になると編集部全員が首都圏に散り、書店の店頭にテーブルを出して年末年始合併号を売らせてもらう。やったことのない仕事はけっこう楽しい。バナナの叩き売りよろしく大声で口上を言うのだが(書籍・雑誌は再販制度があるので値段は下げられない)客が引いてしまって弱った。武家の商法とはよく言ったものだ。このときサンタのコスプレをしてお客さんに景品を渡す女性の手配など、運営はDT社がやってくれた。
採用も営業活動、「鬼十則」の裏側
D Tマンの印象は極めて優秀な働き者である。ただ「鬼十則」という厳しい営業の心得があって、脱落者も出るようだった。D T社くらい大きくなると細かいチラシとか看板の類はほとんど扱わない。企業もテレビCMのような大きな仕事はD T社に頼むが、細かい広告は自社子会社の広告代理店〈プライベート・エージェンシー〉に扱わせる。小回りが効くし安く上がるためだ。
DT社には、大スポンサーの子息が一定の割合で存在する。経営者が押しつける場合と、D T社がみずから引き受ける場合があるが、いずれにせよ広告出稿が減らないようにする対策である。彼らは陰で「人質要員」とも言われる。一方、自分の能力で入ってくる人も大勢いる。これを「業績要員」と呼ぶ。人質要員、業績要員、至るところに混在しているのだが、なんとなく分かるから不思議である。過労死でニュースになったのは業績要員の社員だったようだ。
「営業局」と「連絡局」の違い
現在は部署の呼び名が変わったようだが、高度経済成長期のDT社の部署名は、企業の特徴がよく出ていた。
「テレビ局」から番組枠を仕入れてきて、この枠に広告を出せますと「スポンサー」に売る。この部署を「営業局」と言った。この押さえた放送枠を「DT枠」と呼ぶ。
一方、「スポンサー」から広告を出したいという「宣伝意欲」を仕入れてきて「テレビ局」に売る。この活動をする部署は「連絡局」だった。
普通、スポンサーに向いている部署を「営業」というが、D T社の場合はテレビ局を向いている部署が「営業」で、スポンサーを回るのは「連絡局」となっていた。スポンサーとテレビ局を双方向で押さえているのでD T社は「テレビ業界全体の編成部」と称される。スポンサーもテレビ局もDT社の言うことを聞いていれば間違いないと思い込んでいる。
D T社は業界の神様的存在
「スポンサーの宣伝・広報」と「テレビ局営業」と「広告マン」が打ち合わせをした場合。上座(かみざ)は当然スポンサーであるが、次に高い席にテレビマンがきて、広告マンは下座(しもざ)となる。話はほとんど広告マンが仕切る。こういうときテレビマンがあまり偉そうにすると「媒体面(ばいたいづら)をする」と言われ嫌がられる。
この打ち合わせが上手くいきテレビマンと広告マンが祝杯を挙げる時、上座は広告マン、下座がテレビマンとなる。両者の組合せで宴会をよくするそうだが、余興をするのはテレビマン、観るのが広告マンの図式になるという。D T社は神の領域に属しているわけだ。
国や省庁をスポンサーにしていた部署が「第九連絡局」だった。通称「キューレン」。とくに通産省(現在の経済産業省)とは太いパイプがあった。持続化給付金のニュースを見て「ああ、九連か」と思った。部署の名前は変わったようだが、DT社の勢いは未だ衰えていないと見える。
※広告代理店については、ブログ「五輪とカネ」編、「視聴率」編を併せて読んでいただくと理解が深まると思います。