番外編 人生を10倍楽しむ。編集部で朝食を

 

 

真面目な話がつづいたので、ちょっと脱線してみたい。

 

 

雑居ビルに住み着いてみた

週刊誌のなかった老舗出版社に新雑誌編集部が立ち上がったのは1982年の春ごろだった。雑居ビルの1室。昼夜を分かたず10月創刊に向けた作業が進んだ。こちらは独身で、親戚の家に間借りしていたので別に帰る必要性もない。編集部に住み着いたような生活だった。編集部には朝10時になると経理や総務の人が出勤してくる。編集者や記者は、午後からが普通だった。朝、管理系の人に挨拶してから、ひと寝しに家に帰るのが日課になっていた。

 

 

コピー機セールスレディ現る

朝9時位から世間は動いているので、色々なお客さんが来る。ヤクルト・レディ、保険勧誘のおばさんとは顔なじみになった。セキュリティなど気にしない時代である。

記憶に残っているのはコピー機のセールスレディだった。軽の営業車に乗ってやってくるのだが、長身をタイトスカートに包み、ウエストを極端に絞ったジャケットを羽織っていた。お化粧はきつめ。要は、ちょっと「お水系」なのであった。当時、コピー機はR社とZ社が覇権争いの真っ最中。熱心な女性で「総務の責任者に会わせてほしい」という。会わせるも何も、雑居ビルの1室しかない。10時すぎ現れた男性を「あの人、総務の偉い人」と紹介した。こちらも口の利き方を知らない。編集部でコピー機は生命線であり、3台あった。それが全部タイトスカート製に変わった。この女性、恩義を感じたのかメンテナンスに現れる度にデスクまでやってきて「おはようございます。お世話になります」と大声で挨拶してきた。同僚たちはチラチラ見るし、なんか照れ臭かった。

 

 

 

お茶飲み交わすも他生の縁

もう一人、朝出会ったのは「採用面接」を受けにきた女性だった。音楽ページの編集者を募集しているとのことだった。自分の編集部ことながら初耳だったので、日本茶を入れてあげて、根掘り葉掘り話を聞き出した。まさか一緒に仕事をするようになるとは思ってもみなかった。編集者を勤めたあと、彼女は音楽のセンスを生かして歌手として紅白出場も果たした有名女優のマネージャーになった。こちらが退社する時、この女性が有志を集めて「送別会」を開いてくれた。「あの時、お茶を入れてくださったんですよね」。「あの時」は30年以上も昔の出来事だった。

 

早起きは三文の徳とはよく言ったものだ。思いもかけない不思議な出会いがあるものだ。

 

※今回でこのブログも30回目となりました。ご愛読に感謝申し上げます。