書籍を10倍楽しむ。小説と漫画に挑戦編
ツキがあった初の小説単行本
雑誌事業部出版室で最初に作ったのは小説の単行本だった。雑誌で連載していたものなので簡単だろうと高を括っていたのだが、小説家という人種を知らなすぎた。印刷所にテキストデータがあるのですぐにゲラになったが、遊び人の作家は一向にゲラを戻してこない。ホテルに缶詰にしたが逃げられる始末。こちらが新米であることを察知されていたのだ。雑誌の連載時に校閲を通っているので、通常の2校(2回ゲラを出す)でいける筈だった。この時は4校までいったように記憶している。印刷所には割増料金を払い、余計な校閲代までかかってしまった。
だが、何が幸いするか分からない。遅れに遅れたお陰で、その作家が直木賞を獲った(他社の作品)タイミングと重なったのだ。帯に「新 直木賞作家」とデカデカと打って本屋に並べたら、ベストセラーになって結果オーライ。打ち上げは銀座の割烹だったが「いい勉強になった」と担当者一同反省しきり。書籍の難しさを痛感した。
出版契約ことはじめ
この当時、口約束だった出版契約を、書面で交わすよう会社から求められた。「甲」は何々、「乙」は之之の形式で、顧問弁護士にひな型を作ってもらったが、作家のところで説明するのはこちらの仕事だという。先方に連れていくのは別料金ということなのだろう。CMの契約書に比べたら簡単すぎるほどらしいのだが、説明は冷や汗をかいた。
作家が希望したら製本部数の記載された帳簿を提示すること、印税率の明記、映画化の際は優先権を得る、この辺りが肝だった。
これは経費で落ちません
次は漫画に挑むことになった。KD社、SG館、SE社など、漫画で稼ぎまくっていたので、それに続けというわけだ。漫画家は星の数ほどいるのだが、才能があるかどうかは未知数で、コミックマーケット(コミケ)までアンテナを張り巡らした。相棒だったIさんが女性漫画家を数人連れてきて局長に会わせOKをもらった。彼女はお茶の水女子大数学科出の変わりダネ。漫画家は小説家よりも変わっているので、同じ変わり者のI女史に任せることにした。食料を買って漫画家の家を毎日訪ねていたようだったが「あの漫画家、貧乏でスクリントーン買えないので、会社の経費で買ってあげていいですか」と聞いてきた。了承するしかない。スクリントーンは、台紙(原稿)に貼る網模様のフィルムで、大した値段では無いのだが、この領収書に経理が噛み付いてきた。
「スクリントーンは、小説家の鉛筆に相当するもので、出版社側が用意するものではない」と経理。理屈はそうだが、漫画が出ないと一銭にもならない。自腹を切ることにした。このやりとりは今思い出してもむかっ腹が立つ。
この漫画はさほど売れなかったが、教養漫画のジャンルを開拓する作品となった。
次回も書籍のお話をします。