テレビを10倍楽しむ。五輪とカネ編

 

⒈    オリンピックの悪夢

1972 年 ミュンヘン(ドイツ)五輪

イスラエル選手団がパレスチナ武装組織に襲われる。第二次世界大戦、ヒトラーのホロコーストの悪夢再びとなる。ドイツは、またユダヤ人を守ることが出来なかった。

1976年   モントリオール(カナダ)五輪

運営が上手くいかず大会組織委員会が破産する。

1980年   モスクワ(ソ連=現在のロシア)五輪

この時、日本のテレビ放送権の仕切りは広告代理店・博報堂。テレビ朝日の一局に独占させる。初の共産圏開催だったがソ連のアフガニスタン侵攻により日米など西側諸国がボイコットした上、中国までも不参加。日本では、テレビ放送が深夜に追い込まれ博報堂・テレ朝は大損する。博報堂は電通に次ぐ業界第2位、一時、電通を出し抜いたように見えたが結果は散々だった。

 

⒉    オリンピックの転換(ロス五輪以降)

1984年 ロサンゼルス(米国)五輪

大会組織委員長ピーター・ユベロス氏が税金を1セントも使わない五輪を提唱。「商業五輪」と呼ばれる。収入源は

①    放送権料

②    スポンサー協賛金

③    入場料

④    グッズ販売

 

②スポンサー協賛金には「大会スポンサー」の概念を導入。アマチュアの祭典にスポンサーをつけるのは画期的なアイデアだった。特典としては

    A.五輪マークの独占使用権

    B.競技場に広告が出せる

         C.テレビ中継における「提供」優先権

      ただし、1業種1社(米国企業に限定しない)

 

ユベロス氏はバブル最高潮の「ジャパンマネー」に目をつける。日本の放送権仕切りとスポンサー探しを広告代理店・電通に依頼。氏はナショナルスポンサーのひとつに世界最大のフィルムメーカー米国CD社に狙いをつけたが不調に終わる。五輪は世界中からスポーツカメラマンが集まるため、フィルムメーカーの協賛は必須。電通が日本のFF社を口説き落としたため一挙にユベロス氏の信頼を得る。電通はその他のスポンサー探しのため自民党のM代議士に仲介を頼んだ。家電P社、時計S社も協賛スポンサーに名を連ね、M代議士の政治団体には合法的な「顧問料」が支払わされたとされる。

この大会は東側諸国の一部が米軍のグレナダ侵攻を理由に報復ボイコットに出たが、日本にとっては8年ぶりの五輪で視聴率もよく盛り上がりを見せた。電通は膨大な利益をあげ、五輪は金の成る木的な存在で手放せないイベントとして認識された。世界的にも「商業五輪」のトレンドは引き継がれることになる。その流れは2020東京五輪も続いていく。

 

⒊    オリンピックへのこだわり

M代議士は早稲田大のラグビー部出身の文教属、のちに首相まで登り詰めることになった。ラグビーなどアマチュアスポーツの発展に並々ならぬ情熱を持つ。電通とM代議士の繋がりはここから深まる。アマチュア選手の肖像権を日本体育協会(18年4月から日本スポーツ協会に改称)が管理しCMに出演させる「がんばれ!ニッポン」。このキャンペーンは電通のアイデアで、金銭を稼ぐ禁止行為だったアマ選手のCM出演に一定のルールができた。企業は日本選手を堂々と応援し企業イメージを上げる。スポンサー料は体協(スポ協)を通じて各競技団体に支払われ、強化費に使われるシステム。コロンブスの卵的発想だった。肖像権管理は実質、電通が行なっている。国立トレーニング施設(味の素ナショナルトレーニングセンター )設置などでも電通が動いた。

 

IOCはここからテレビの放送権料を中心にした運営をするようになる。とくにアメリカ3大ネットワークが競い合う米国放送権は最大の収入源になる。そして金も出すが口も出すようになった。

 

⒋    オリンピック延期に

2020年  東京(日本)五輪

 

東京大会組織委員長は代議士を引退したM氏。19年にはラグビーW杯を仕切り、そのまま五輪の晴れ舞台への登場となるはずだった。新国立競技場ができた神宮外苑の再開発はもともと電通の企画である。青写真は10年以上前にできていた。しかし、神宮外苑は宗教施設の意味合いが強いため政治家も電通も手が出せない。五輪を招致して国民の支持を取り付けることが最善の方法となった。招致委員会理事長の竹田恆和(つねかず=J OC会長)が買収工作を行ったとの疑惑がありフランス検察当局が動いた。が、日本政府は認めず、19年6月の任期満了をもって竹田氏はJOC会長を退任。現在は山下泰裕氏。

暑い7月に東京大会開催となったのは放送権を持つ米国NBSテレビがスポーツ端境期の開催に拘ったためである。10月からは米プロバスケのレギュラーシーズンなどが始まる。かつてシドニー五輪(2000)は、9・10月開催にしたため視聴率が下がった過去がある。

新型コロナウイルス騒動が起き、大会組織委員会理事の高橋治之氏(電通顧問)が3月24日に延期をほのめかした。この時点で米国NBSテレビとの話がついたと見るべきだろう。開催は2021年に1年延期となった。