けろんちのブログ -12ページ目

けろんちのブログ

2022/12/19肺塞栓症入院中のCT検査で骨盤内リンパ節の腫れ見つかる
2022/12/26の血液検査で
PSA値490
年明けのPET検査で
前立腺癌ステージ4宣告
ホルモン療法開始

 このブログは前立腺がん発覚からの経緯を記すつもりで立ち上げたのでそれ以外の余計なことは書かないつもりでやってきたのですが、ここに記しておかないとおそらくは埋もれたままでほとんどの人に知られないだろうある論文のようなものを見つけたので転載します。

 それは伊勢志摩の志摩の海女の活動の軌跡です。

 うちの父方の爺さんは曾祖母(ひいばあさん)が朝鮮に海女で天草取りに出掛けたときに現地で亡くなり、忘れ形見として同僚の海女がこちらへ連れ帰ったと聞いています。

 当時は三丁櫓(さんちょうろ)の櫓櫂船(ろかいせん)で瀬戸内海を抜けて朝鮮に渡ったのだと母親はよく言っていました。

こんなやつ↓

で、爺さんは連れ合いが早死したそうで3人を娶っています。直系血族としては最初の妻の子達がうちの父親の母親(つまりは婆ちゃん)で礼文島の出身と聞いていました

 なんでそんなややこしいルーツなんだと…三代も遡るのが難しそうなんて「クンタキンテ」

(ドラマ・ルーツ)以下の家系だと中学くらいから思っていました。


 その経緯の端緒が記された論文を見つけたのです。これはうちの家系にとっても、志摩の海女の近代史にとっても大変有用で重要な資料だと思うのでここへ転載します。


 特に志摩出身の人には記憶に留めてほしい。こんな時代があったことを…



近代の志摩海女の出稼ぎについて

塚本明

https://mie-u.repo.nii.ac.jp/record/1047/files/10C16109.pdf


はじめに女性が素潜りにより魚介などを採取する海女漁は、世界に韓国済州島と日本にしか存在しないユニークな漁業形態である。日本列島では現在も北は岩手県久慈から南は沖縄まで、海岸線を有する各地で見られるが、志摩の海女が最も著名であろう(1)。その特質として、 5点あげられる。


第1に数の多さであり、現在全国で2000人弱と推定される海女人口のうち、志摩で約1000人を占める。歴史的にも志摩の海女は、その多さと比重の高さは際だっていた。


第2に歴史の古さである。鳥羽の白浜遺跡の出土遺物から弥生時代に既に海女漁の存在が推定され、万葉集を始め古代の文献にも志摩海女が度々登場し、志摩からの献上アワビについて記された平城京の木簡も確認されている。福岡の鐘崎が日本列島における海女の発祥の地ともされるが、その鐘崎と並んで志摩は海女漁の先進地であった。


第3に、宗教性が濃厚だという点である。アワピが贄(にえ、生贄のにえ、供物の意)として献上されるように志摩の海女漁は伊勢神宮との関わりが深いが、浦々での海女漁の解禁日=口開けが氏神社の神事として行われるなど、海女の年中行事自体が信仰と結びついていた。これは歴史の古さと無関係ではない。


第4に、技術水準の高さである。海女が夫(父や兄弟の場合もある)と共に船で乗り出す「トトカカ船」(フナド)は、志摩の海女漁を象徴的に表すものである。海女は錘(おもり)と共に潜水し、海面に浮上する際には男手が船上からロープで一気に引き上げる技法は、通常の素潜りに比べ深い海での漁を可能にし収穫量も増すが、危険も多い高度な漁法であった。


そして第5に、活発に出稼ぎをした歴史を持つという点をあげられる。もちろん海女は全般に故郷を離れた生業が珍しくないが、志摩の海女は北は北海道から南は九州・沖縄まで、更に海外にも多数出稼ぎに行ったことが知られている。


志摩の海女については、これまで万葉集を始め海女を取り上げた文学作品の分析のほか、実際に海女漁を営む女性たちからの聞き取りに基づく民俗調査が広く行われてきた。出稼ぎに関しても、日本の海女に関する先駆的な研究を行った瀬川清子氏(2)、田辺悟氏(3 )、鳥羽・志摩の歴史を掘り起こす作業として岩田準一氏(4) や伊藤治氏 (5)、福田清一氏(6 ) らが、また全国の漁村の聞き取り調査のなかで川口祐二氏(7 )も、明治・大正期の活動を中心に海女のオーラルヒストリーの数々を記録し、紹介している。


出稼ぎ経験を持つ海女の話は具体的で臨場感に溢れ、魅力的なものである。だが、海女の歴史の全体を見る上では、聞き取り調査の限界、すなわち同時代の実態把握には有効だが、歴史的事実については記憶の間違いなどを含みうるという点を考慮に入れなければならない。また、個別の聞き取りでは個人的経験の様相や感覚などは知りうるが、出稼ぎの社会的背景や、いかなる規模・態勢で行われたのかなどの全体像はとらえ切れない。そしてそれらの時期的変化も、継続的に出稼ぎに出た女性による聞き取りでもない限り理解しにくい。志摩海女の出稼ぎを、聞き取りではなく同時代の文献史料に基づいて分析した成果は、


-37-(37ページ終わり)