鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

はっきりした記憶が無いのだが、この映画の企画は2021/3以前から存在しており、タイトルも内容も

決まっていたのだが、ずいぶん遅れた印象があった。

ま、水木しげる生誕100周年に合わせたようであり、Schedule通りであろう。

基本的に鬼太郎の誕生譚は内容的に少し重いものであり、何故誕生譚を今更やるのかな?

と感じていた。

そして目玉の親父が”目玉だけ”になる前と、血液銀行の社員である水木と絡めてくるとは思わなかった。

原作では"親父"(劇中ではゲゲ郎)はミイラ男のような姿であり、母親は既に病魔に侵された

状態であった。

そこに水木が絡むのだが、親父の以前の姿は出てこなかった。

今回の作品では幽霊族が滅んだ理由や、何故親父や母親があのような姿になったのか、

霊毛ちゃんちゃんこが出来上がった理由等が描かれており、原作では不透明な、ある意味水木作品の

いい加減な部分を今回修正しながら明確にしており、正に”ゲゲゲの謎”の回答となっている。

 

内容としては良くできたと思う。水木・鬼太郎ファンとして観て良かった。

いくつか感想を。

- 原作を読むべき

  内容が分からない、という事は無いが、原作の鬼太郎誕生を読んでおくと、なお理解が深まる。

  エンドロールが流れている横で、後日譚が書かれている。この部分は原作を理解していないと

  少しすっきりしない終わり方になってしまう。

  描写は原作からの引用と、水木の登場部分を今回書き直したものだが、ようやく、親父が目玉だけに

  なっても生き延びようとした強い理由が分かるし、それが感慨深いものになっている。

- 憑代(よりしろ)は誰?

  これは直ぐに誰なのか分かってしまうのは少し残念。

- 犬神家の一族?
 ありがちな状況設定はちょっと。。。まあ、やりようがなかったか。戦後の混乱期らしい設定とも言えます。

- 泣ける

  年齢を重ねたせいか、ゲゲ郎が嫁さんを見つけるシーン辺りから涙が出てきて止まらなかった。

  これぐらいで泣くとは。。。

- 重苦しさと一筋の光

  幽霊族が人間によって絶滅させられ、鬼太郎も墓の中から生まれるという内容は大変重い。

  原作では水木に育てられるが、墓場に行くのはもうやめてくれ、嫌なら出て行ってくれ、と言われ、

  目玉の親父が「こんな家は出て行こう」と家から連れ出すところで終わる。

  今回の作品はそこまで書かれていないが、水木は鬼太郎を大事に育てていくような余韻があった。

  全体的に重いのは人間の愚かさが全面的に描かれているためだろう。

  戦争で歪んでしまった水木を筆頭として、人間の欲と傲慢さと愚かさがこれでもかというくらい描かれている。

  水木がそういった物から解き放たれる瞬間があるのだが、それをより強く表現するために練られた

  構成なのだろう。

  ある意味絶望の連続だ。

  妖怪(幽霊族)に影響を受け、変わっていく水木の変化だけが一筋の光のように思えた。

- 鬼道衆

  力のある幽霊族がなぜ人間に迫害され追い込まれていったのか。

  僕の中ではこれが長い間謎だったが、鬼道衆の力が関与していたことでうまく回収された。

  うまく原作を利用した内容になっている。

  この作品中では”裏鬼道衆”と言われていたようだが、詳細は不明。

  どうせならヒ一族も出して欲しかったものだ。

 

総評

水木しげる生誕100周年とはいえ、まさか映画になるとは思っていなかった。

TV放送はとっくに終了し、この映画を観る人がどれだけいるのか心配になったほどだった。

しかし今回、子供を切り捨て、大人をターゲットにしたことで、作品を重く仕上げることができた。

戦争の悲惨さと、人間の醜さをPG-12に設定したことで描くことが出来た。

(そんなもん必要無い内容だったし、子供にこそ見てもらいたいとも思うのだが、最近の映画やTVは

このレイティングのために面白さが削がれ、衰退するケースが多々あると思う)

基本的に辛く悲しい内容であり、鑑賞後、その余韻をどのように感じるかでこの映画の評価は変わる。

冒頭にも書いたが、元が重い話である。

また所謂鬼太郎ファミリー(児啼き、塗り壁、一反木綿、砂かけ婆等)が殆ど出演せず、

猫娘と何故か小さいねずみ男だけの出演は、あるいみ徹底してシリアスさを狙ったものであることが

感じられる。

なお、ネズミ男は物語を円滑に回す役割を持っており、最後で逃げ出すところなど、うまい役回りと

ねずみ男そのものを描いている感があり、とても良かった。

こういった内容でありながらも興行成績27億円、185万人の観客動員数だったと言う。

ある意味想定外であっただろうし、鬼太郎というコンテンツがまだ通用するものだと言う証明になった。

これまでの映画・TVと異なるこの作品はある意味、鬼太郎の影の部分の魅力を掘り起こしたとも言える。

(墓場の鬼太郎等はその先駆だったかもしれないが、貸本屋時代の鬼太郎はグロテスク過ぎた)

この映画を機に、またゲゲゲの鬼太郎がTVや色々な所で活躍することを期待したい。

 

この作品は上映してから段々と興行成績が上がっていったと言う。

SNS等で評判が広まった影響なのか知らぬが、そういう作品は珍しく、この作品らしいなと感じてしまう。

 

 

おまけ 1

狂骨が今回の敵方妖怪。

こいつは本来井戸に捨てられた骸の怨念によって死霊となったもので、妖怪と言うよりは幽霊に

近いような気もする。

TVアニメにも出てきたような記憶があるが、大元は鳥山石燕の画集に出ていたもの。

それを水木が妖怪大全集に記載した。

今回の映画では恐ろしく強い妖怪として描かれているが、人間の怨念故にその存在自体悲しい。

終盤、鬼太郎が時弥という狂骨になってしまった子供を開放することで無数の狂骨退治が完了する。

あの子供まで狂骨になっていたとは、、、

重ね重ねになるがこの作品は辛く、重い。

水木しげる 妖怪大全集から拝借

映画とは全然違います。

 

おまけ 2

ヒ一族とは、ありとあらゆる毒虫を缶に入れて共食いをさせ、残った1匹を霊草で飼育し、その虫の糞を

蛭に食べさせて作り出す妖怪にとっては天敵みたいな者。

一族と記載されているのは原作において3人家族で登場したからだ。

こいつの吐く息を浴びると妖怪は肉塊になってしまう。

妖怪にとっては恐ろしい生き物。

原作では確かヒ一族を作り出した女夜叉が毒虫に攻撃され死んでしまい、砂かけ達が蛭から毒を

抜いて元に戻したような記憶がある。