坊主

最近坊主と接する機会が何回かあったので、日頃坊主について思っていることを一席。

 

坊主は基本的に好きではない。

特に現在の坊主は人の死に関してかかわりがあるだけで、それを生業となっているに過ぎない。

本来坊主とはどんなものか。

 

仏教が日本に入ってきた時代は古い。6世紀ごろだと言われる。

既に聖徳太子の時には天皇の言動よりも重きを置くようになっていた。

憲法十七条の第一条は、和をもって貴きとし、人と争うな、二条に仏と僧を敬え、三条に天皇のいう事を聞きなさい

と書かれている。

驚くのは第一条で日本人の特質を言い当てていること。

和の精神は日本人特有のものだと思う。聖徳太子凄い。

同様に驚くのは仏教の扱いだ。

天皇よりも上位に置かれている。

当時の仏教は宗教であることと同時に、哲学であり、思想であり、化学でもあった。

それだけ現人神である天皇の力に陰りが見えたとも言えるが、飛鳥時代にはこのように仏教が尊ばれた。

(目に見えない力の方が大きく思えるのが世の常でもある)

 

藤原四兄弟の相次ぐ死によって長屋王の祟りを恐れた聖武天皇は奈良に廬舎那仏(大仏)を作り、

全国に国分寺、国分尼寺を建立させたが、国家鎮護とはならず、国を疲弊させただけだった。

平安時代になると呪術要素が強い密教が注目された。

これまでの顕教では力が足りないと感じたか、秘密の呪法をもって心身ともに仏と同一になり、現世利益を

得られるのが密教である。

密教のパフォーマンスが祈りを通じさせると思ったのだろう。

国を挙げて密教を推進し、空海、最澄が大いに取り上げられた。

この時代、人の死を穢れと捉え、穢れは伝播するとの考えから人の死をもたらす軍隊(国軍)を

持つことは無かった。検非違使という警察組織があった位である。

その頃は貴族も地方豪族も寺社も多くの土地を荘園として手に入れ、不輸、不入の権等を手に入れ、

税金も払わないことが多くなり、力の均衡が崩れ始めた。

国が軍隊を持たないのであれば、自分達の土地が自分達で守るしかない。

兵を組織し、職業軍人を雇うようになった。

これが武士の始まり。

寺社も同様、自らを守るために僧兵を置いたり、兵士を雇い入れたりした。

そもそも殺生禁止の仏教のはずだが、自ら兵士を持つという事はどういうことか。

しかも時の政府に守られており、神のご加護も持つ。

寺が武装勢力になるなんざ、仏陀もびっくりだ。

寺同士の争いも多く起きた。

少なくとも平安時代に既に仏教はこんな状況だったのだ。

こんな堕落した仏教の復興を支えたのは鎌倉仏教だったと言えるだろう。

 

時代は下がり、室町時代には寺社の勢力が更に高まり、幕府さえも手を出せなくなり宗派間の

争いも酷くなっていった。

そこで釘を刺したのが織田信長だ。

比叡山焼き討ちは「坊主は坊主らしくしろ」と(武装解除しろ)言う信長に抵抗したため、焼き討ちになった。

信長は決して仏教を弾圧したのではない。武装解除を求めたのだ。仏教本来の立ち位置に戻れと言った。

空海の高野山も秀吉によって同じ目に合うところだったが、事前に武装解除に応じたため、燃えずに済んだ。

これ以降、寺社による大きな戦乱は無くなった。

 

江戸時代になり、大きな勢力を削がれた寺社は幕府が設けた寺受制度によって息を吹き返した。

キリスト教排除のため、設定されたものだが、これは寺請証文を受けることを民衆に義務付け、

キリシタンではないことを寺院に証明させる制度である。

これによって民衆との結びつきが強くなり、自ずと檀家も増え、寺の経営も楽になった。

寺子屋等もあり、坊主が坊主らしい働きを出来た時代だと個人的には思う。

 

さて、明治になると、天皇中心とした世の中が意図的に復活され、神道が尊ばれる。

徳川政権から時代を切り離すための思想統制が行われた。

その結果、寺は窮地に追い込まれる。

廃仏毀釈が国中に流行り、貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、寺が神社に変わることも多々あった。

尊王思想が強かった水戸藩に文化財級の仏像などが現存しないのもその影響だそうだ。

政府により寺は人の死のみを扱え、というお達しもあり(後に解除)、寺は儲けの手段も無くなっていった。

 

昨今では寺は仏事のみ扱うようになり、仏教が哲学であり、思想であり、化学であった時代は完全に

終わった。

寺や坊主の存在自体、大きな意味が無いように思われても仕方ない時代だ。

(寺自体は文化財とはなる)

 

長い前振りだったが、要は仏教が生まれた時は小乗仏教であったものが、大乗仏教へと

変容し、組織が出来、時の政府に取り入れられるようになった時点で堕落が始まっていた。

悟りを開くことを目的とした仏教がいつの間にか大衆を救うものになり、そして人の欲をかなえる手段と

なってしまったことで遠くの昔から坊主の本来の役目消え去り、人の心の隙間に入り込む職業に

なっていったように思う。

 

僕が最初に坊主の存在に疑問を持ったのは成田山新勝寺での出来事。

高校生くらいか。

おそらく初詣に行った時だと思うが、多くの人混みの中、きらびやかな袈裟を着た坊主が

御輿のようなものに乗って仰々しく移動している光景を見た。

えらい坊さんかもしれぬが、仏教の教義の中には平等の思想がある。

あんな箔付けを行う行為は我々民衆に彼は特別だ、違う存在という印象を植え付けるものであり、

そこに平等の思想は無い。

それ以来、坊さんの事を好意的に思った事は無い。

戒名も値段によって変わるなんてのは正にくだらない話であり、地獄の沙汰も金次第ならぬ、

仏弟子になるのも金次第だ。

ここでも平等思想は無い。

今の世の中、寺の経営が大変なのはわかるが、阿漕な商売だと思うよ。

恥ずかしくないかな。

 

とは言いながらも、坊主と話すと、その知識や会話は見事なものだ。

ちょっとしたネタで話を十倍にも二十倍にも膨らませて、遺族を喜ばせる。

ある意味それは技術であり、職業坊主には欠かせない資質だと思った。

知っているある坊主は”何かお題を与えられてその場で人を納得させるような話ができない坊主は失格だ”と

言っていた。

なるほど。今の坊主に一番大事な素養かもしれない。

 

これからの寺、坊主の在り方はコロナ禍以降、更に変わっていくだろう。

本来、寺は信仰だけではなく、人の道を説き、学問を教え、生きていく術のヒントを与えるような場所で

あるべきだと思うし、それに見合う坊主の存在が必要である。

経営坊主ばかりが増えていくのは仕方がないが、法事や不幸の度に出会うがっかり坊主は

もうたくさんだ。

昔話ではないが、「よし、あの坊主に相談してみよう!」といった気にさせるような坊主がいて欲しいものだ。

そうすればこの坊主にお経を読んでもらって戒名も付けてくれないかな、と思わせるだろう。

「本来この戒名は100万円かかりますが、50万円で良いですよ」とささやくような坊主は

本当にいらないし、必要無い。(実話)

 

空海

諡号は弘法大師。 その書の素晴らしさが中国で称賛されたらしい。

密教は以前から日本にも伝わっていたが、多くの経典など中国からもたらし、真言密教を確立させた。

以前、滝行をした時に「南無大師遍照金剛」と気合を入れながら叫んだことを思い出した。

今でも高野山の霊廟において空海が禅定を続けているとされ、毎日朝晩食事を届けている。

実際は荼毘に付されたようであるが、死してなおこの世に影響を与えるためには禅定を続けていることにしたかったのだろう。

昔、紀州を周った時に何故か高野山に行かなかった。後悔。。

 

 

おまけ

仏教を否定しているわけではない。

現在の坊主の境遇を理解したうえで、坊主の存在を疑問視している。

不幸があると、見も知らぬ坊主を呼んできて、お経をあげてもらい、戒名をもらう。

仏教徒でもない我々が何故そういった慣例に従う必要があるのか。

少しもありがたいと思わないのはへそ曲がりだからか。

心が弱くなっている時に坊主の存在と言うものは大きく、我々の知らぬ世界の人間だからこそ、何かしら

ありがたみを覚え、感謝をするようになるが、考えてみれば変な話である。

 

皆がそうする、当たり前だから、当然如く坊さんを呼ぶ。

まあ、それも正しい。何せ分からない事ばかりだから流れに乗って、事を進めるのもありだし、

坊主の話を聞いてなるほど、と思う事もある。

 

嫁さんの父親が他界した時は坊主を呼ばず、戒名も作らなかった。

あの世に行けない? そんな考えもあるだろうけど、それは観念的な話。

色々なやり方があり、故人の意思が明確ではない限り、残った者が思ったように事を進めれば良いと思う。

大事なことは故人を思う気持ちであり、坊主の関与をもってその一部とするならば何も異論はない。

我々が思い描く坊主の在り様をその場で見させてくれれば良いだけなのだ。

そんな坊主が少ないのが大きな問題だと思う。

 

おまけ2

「所謂坊主」

親戚の法事に参加したした際に、そこの坊主は「所謂」を連呼する。

僕は「所謂坊主」と呼んでいた。

不幸が続いたこともあり、いつもその坊主が呼ばれるので、ついには「所謂」と言った回数を数えていたくらいだった。

それぐらい中身のない話を延々としていた証拠でもある。

古い寺の坊主だったが、何もありがたみは無かった。

 

「居ますよ坊主」

田舎で親戚の葬儀の時。

寺の広間で多くの参列者と昼食を坊主とった。

その時坊主が「**さんがそこに来ていますよ。居ますよ。喜んでみていますよ」と言い出した。

お前、見える体質なんか?

ちょっとみんなドン引きだったな。

火葬直後の親族の前で言う事でもないように思うのだが、坊主なりのパフォーマンスだったのだろう。

ちと呆れた。

ちょっと勘違いしているよな。人の死に慣れているゆえの発言だろう。