そうは言っても他人と一緒にカラオケに行くのもなかなか捨てがたい。人数は3~4人がベストじゃないかな。次に歌う番まで曲選びの時間に余裕があるし、かといって待たされ過ぎることもない。
他の人とカラオケをするのは、自分で歌って自分で聴くのとはまた違う楽しみ方がある。普段仕事で真面目な話をしていただけの人が「歌うとこんな声なんだ…」と新鮮な驚きを感じられたり、「全然期待してなかったけど予想外に上手だな」とか逆に「ちょっとガッカリ」とかなかなかに面白い。

でもやっぱり歌が上手い人とカラオケに行くのは中でも格別だ。聴いてて音程が外れてしまわないかハラハラすることがないのは当然として、美しい声やたっぷりの声量で歌われる歌は自然と聴き入ってしまうし、理由のよくわからない感動すら覚えることがある。私が男性だからだとは思うが、特に若い女性が振りつけと一緒にかわいい声でアイドルの曲を歌ったり、ましてや力強い高い声で広瀬香美の「ロマンスの神様」を完璧に歌われたりすると鳥肌もので、もうそれだけでその人に惚れてしまいそうになる。ひとは容姿だけでなく声に惚れるってのはあるんだねぇ。

そういえば昨今では声優に対してまるでアイドルのように夢中になっている若い男の子、女の子も特に珍しくはないしね。

 

ところで皆さんは自分の声が好きで満足できているだろうか?
私たちは幼い時から当然のごとく自分に聴こえてくる声こそが自分の声だと思っている。でも実はそれは少しばかり違う。私たちが普通に聴いている音というのは外からの音を空気の振動として耳の鼓膜が捉えたものだ。
それに対して自分の声だけは例外で、声帯から発せられた振動が頭蓋骨を伝わってきたものを鼓膜で捉えた振動といったん自分の口から外に出て空気中を伝わってきた振動が合わさったものを音として聴いているのだ。
私は大人になって録音された自分の声を初めて聴いたときにショックを受けたことがある。「え、オレの声ってこんなだったの?」それは長年聴きなれてきた自分の声とはまるで違っていた。自分では私の声はわりと低音が効いてて渋い声だと思っていたのだが、録音された声は思っていたよりも甲高く、ずっと軽い感じだったのだ。私はいまさらどうしようもないのに急に恥ずかしくなってひとりで赤面した。「他の人が聴いていた本当のオレの声ってこんな軽かったんだ!」それまでの人生で会話してきた多くの人たちの顔がひとつずつ浮かんでは消えた…

というわけで自分的にはちょっと残念だった自分の声だったが、いまさら変えられる物でもないし、しばらく時間を置いて客観的に見れるようになるとまあ可もなく不可もなくってところかなというところに落ち着いている。

声の話題になったところで皆さんにお聞きしたいが、自分の中でこれこそが理想だと思える声の歌い手はいるだろうか?
私にはいる。自分がこんな声だったらどれほど良かっただろうかと嫉妬を覚えずにはいられない素晴らしい声の持ち主が。
まずは何と言っても「ビートルズ」の「ポール・マッカートニー」。超高音から低音まで何のストレスもなく発することができる声帯。声質も「ブラックバード」のような静かな曲を優しい声で歌えるかとおもえば「ヘルタースケルター」や「ジェット」のように金属的でハードでヘヴィーな曲をド迫力で歌い上げることもできるハスキーさも持ちあわせている。他にも彼は音楽における才能、クラシックからヘヴィメタルまでどんな曲でも作曲してしまう能力、どんな楽器でも一流の演奏ができてしまう能力、どんな曲でも自由自在に歌いこなす能力とあらゆる才能をミューズ(芸術の神)から与えられているのだ。本当に羨ましい。

もう一人はハード・ロック・バンド「ディープ・パープル」のヴォーカリスト「イアン・ギラン」だ。
その世界最強のパワフルなシャウト、それにメタリックでどこまでも伸びるスクリーム、ロックの歴史上最も迫力のある強靭な声帯は唯一無二だ。羨ましい。

日本にも憧れの声がある。
ここまで紹介した才能はロックやハード・ロック界隈の迫力のある理想的な声だった。
今度は対照的ともいえる美しい澄んだ声だ。「オフコース」の小田和正。
いまや80にも手が届きそうな年齢なのにオフコース時代の若いころとほとんど変わらない高く透明な澄み切った声を維持し続けているのは奇跡としか思えない。普通のヴォーカリストなら裏声を使わないと絶対無理な高い領域を地声で通してしまう力強い高音は誰も真似ができない。彼のコンサートは女性ファン率が高く、映像を見ていると8割から9割方が女性だ。しかもカメラに映る多くの女性がその声に涙している。やはり美しい声はただそれだけで人々に感動を与えるものなのか。ああこんな声で生まれたかった。

理想的な声という括りからは外れるが、羨ましいということで言えば山下達郎も羨ましい。
こんなに歌が上手いひとがいるのかと聴くたびに感じる。ありとあらゆる歌唱テクニックをフルに駆使した抑揚にリズムにハーモニー。中低音から高音までスムーズにつながる伸びのある歌声は完璧だ。その安定感は飛びぬけている。カラオケを歌っていて、自分には何年かかってもその領域に行くことは出来ないのかと絶望するほかない。

そうは言ってもやっぱり自分でも歌いたいし、カラオケで高い音程を歌えるとなぜか快感を感じられるものだ。始めの頃は喉が締まりそうになってなかなか高い音を出すことは出来なかったが、何年も続けていると自分でも少しずつ高い音程を歌えるようになってきた。

ポール・マッカートニーやイアン・ギラン、小田和正や山下達郎には遠く及ばなくとも、これからも自分の好きないろんなタイプの曲を歌ってno karaoke,no life.と行きたいものだ。