今では子供から大人、お年寄り、果ては世界中の隅々まで広く浸透していて、苦手なひともいるけどたいてい一度は経験しているだろうカラオケ。
いまでこそ大好きな私もカラオケが世に出てきた当初はまったく興味がなかった。
けっして歌うことが嫌いというわけではなかった。子どもの頃から好きな歌は周りに人がいなければ時々口ずさんでいたし。
カラオケが世の中に広まっていった頃はまだカラオケボックスなど無く、おもに酒を出すスナックに設置されていた。

私が最初にカラオケを体験したのは社会人一年目の私の歓迎会の二次会のスナックだった。その頃のカラオケの曲目には歌謡曲と演歌しかなくフォークソングなど無かったと記憶しているし、ましてや今のようにロックなどの洋楽はあるはずもなかった。つまり私の大好きな音楽ジャンルはひとつもなかったのだ。
その時は先輩方に強く勧められるあまりそれを断って空気を悪くするのもなあと思い、自分でも歌えそうな渡哲也の「くちなしの花」を歌ったのを今でもおぼえている。
それ以降はカラオケに対する興味はまったく湧かなかったので長いあいだ近づくことはなかった。その間にもカラオケはさらに世の中に広まり、子どもから大人まで手軽に楽しめるカラオケボックスなる新形態まで登場した。

 

初めてカラオケを歌ってから二十数年が経ったある日。新しい職場の飲み会が終わって上司や同僚に誘われるまま二次会のカラオケボックスへと向かった。各々が好きな曲、得意な曲を披露しているうちに私のところにデンモクが回ってきた。

曲を探してみて驚いた。いつの間にか様々なジャンルの曲が入っている。歌謡曲や演歌はもちろん、フォークソングや最新のJポップどころか古いの新しいの取り混ぜて洋楽でも何でもある!およそ歌おうと思えばどんな曲でも歌えそうだ。それに例えばプログレッシブ・ロックみたいに原曲がいかに演奏が難しそうな曲でも驚くほどレコードに忠実に再現されている。私の昔の記憶ではカラオケというのは演奏は入っているもののレコードとは全然違う音だったような気がする。この進化はカラオケが配信という形になってからのようだ。
「これはすごい!」これなら大好きな曲で本人になりきって歌える。
その場で私は学生時代の思い出の曲「いちご白書をもう一度」を歌った。まるで学生時代に戻っているかのような空気感に浸ることができた。


その後マイクがひとまわりして再び私の元へとやってきた。今度はビリー・ジョエルの「素顔のままで」にチャレンジした。イントロが始まり「don't go changing…」と歌い出すともうレコードの中に入り込んでビリーになったみたいで、今まで味わったことのない快感だった。幸い周囲の反応も冷たいものではなく、ウケてくれたので「あ、これ…カラオケいいな」というのが私の目の前に新しい扉が開けた瞬間だった。
それからというものはカラオケ好きの上司に飲みに誘われれば、業務でどうしても抜けられない場合を除けば一も二もなく馳せ参じるのが日常となっていった。
やがて飲み会そのものよりも、その先の二次会のほうが楽しみとなり一次会での酒量をむしろセーブするようになった。というのも飲み過ぎて酔っぱらうとカラオケが上手く歌えなくなるからだ。
よく「お酒が入らないと歌う気にならない」などと言う人がいるが、私はそうではなかった。自分が納得できるレベルで歌うためには歌っているさなかに色々と気を付けなければならないポイントがある。酔っぱらってしまうとそういうポイントを押さえた丁寧な歌い方ができなくなってしまうのだ。プロの歌手が人前で歌う時に酒を飲んで歌う事などけっしてないという事からわかっていただけると思う。

…というわけで今度はだんだんと一人でアルコール無しのカラオケに行くことが増えていく。最初は気後れするが、慣れてしまえばこんなに楽なことはない。
誰かと一緒に行くとその人と歌う曲がかぶったりしないように気を遣わなければならない。それに本当は好きな洋楽をいっぱい歌いたのに、他の人から「カッコつけて…」と思われたくないので歌謡曲やらフォークやらJポップやら演歌やらを織り交ぜなきゃいけない。おまけに人数が多いと自分の番が来るのを辛抱強く待ってなければいけない。こういった気苦労が全部なくなってしまうのだ。もう好きなだけ次から次へと曲を入れていき、声が枯れるまで思う存分歌う事ができる。それに人に聴いてもらう機会が来た時のためにあらかじめ練習もできる。

〝ひとりカラオケ〟ならではだと思うが、人に聴いてもらうには長すぎてちょっと気がひけるビートルズの「アビーロード」のB面後半のメドレーを歌ったこともある。約16分もの長さの大作で次から次へと変幻自在に変化し続けるこの曲を最初から最後まで歌いきった時は素晴らしい達成感や幸福感に包まれた。何しろアルバムそっくりの音源でジョンやポールになりきって歌えたんだから。

あと人によっては聴いてて不快感を感じるかもしれないハードロック、「ディープ・パープル」の「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やパンク、「セックス・ピストルズ」の「アナーキー・イン・ザ・UK」などもひとりカラオケなら誰に遠慮することもない。〝ひとりカラオケ〟サイコーである。