前回から続く

 

ベトナム戦争時代のアメリカに存在した様々な階層やコミュニティ、宗教や保守性や革新性、その多様な考え方があちこちにモザイクのように混在する社会の対立に出会い様々な体験をする…おそらくこの映画や他のいわゆる「アメリカン・ニュー・シネマ」がきっかけで生まれた言葉だと思うが代表的な「ロード・ムービー」である。
14歳の少年にはただ自由に生きようとしているだけでなんでこんな結末を迎えなければならないのか、その理不尽さにショックを覚えるしかなかった。
 

アメリカが泥沼にはまっていたベトナム戦争時代というのはアメリカ国内でも混乱のさなかだった。核爆弾を用いることができればベトナムでこんなに苦戦することもなく、ましてやアメリカの歴史上初めての敗戦を喫することも無かっただろうが、広島や長崎でのあまりにも非人道的な凄まじい威力に国際世論はそれを使用することを許さなかった。その結果ベトナムは泥沼と化し、北ベトナムのゲリラ戦に苦しめられたアメリカの兵士たちは精神的に追い詰められマリファナや麻薬に手を出すようになった。そのベトナム帰還兵の影響でアメリカ国内ではマリファナや麻薬が蔓延するようになっていく。そうしたことでアメリカに厭戦気分が広がって兵役を拒否する人が増加したり、反戦デモが多発したり、黒人差別の問題が噴出したり、人生をドロップアウトしてヒッピーとなる人が出てきたりしていた。
社会科の教科書には「アメリカは人種のるつぼである」という記述くらいしかなかった当時の日本の教育を受けていた私にはアメリカのこのような状況を知る術もなかったが、この映画を経て私はとにかく社会通念から解放されたい自由に生きたいという気持ちを強く持つようになった。


「イージー・ライダー」は何しろカッコいい。
チョッパーの極端に傾斜したフロントフォークと前傾姿勢ではなく背中を後ろに預けてふんぞり返ったライディングスタイル。黒いレザーのジャケットとパンツでノーヘル(アメリカの規制はゆるい)でサングラス。長い髪を風に預けて延々と続く一本道をゆったりと走り続ける…本当に憧れた、というか今でも憧れている。
 

何しろこの映画の大ヒットで国内でもバイクに乗れない子どもたちの自転車にまでチョッパー風のデザインが登場したほどだ。さらに現在の世の中ではバイク乗りの大半はオジサンたちでその中でもかなりの率でチョッパーに憧れた世代がアメリカンバイクに乗っている。
ちなみに大友克洋の世界的人気のアニメ「AKIRA」に登場する金田の電動バイクのデザインにもチョッパーの影響が色濃くあるのは明らかだ。

 

「イージー・ライダー」の影響はライフスタイルにも及んだ。70年代にファッション界に現れたレナウンの「シンプルライフ」だ。「イージー・ライダー」で主人公を演じたピーター・フォンダをモデルに起用して物質的豊かさよりも精神的豊かさを求めようというメッセージと共にレナウンが発表したファッションブランドで今でいうロハスな生活スタイルを提案し、ナチュラルな麻のシャツなどが発表されて人気となった。

「イージー・ライダー」を名作たらしめているのに音楽の力は欠かせない。冒頭で流れるステッペン・ウルフの「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」は本当にワイルドな気分を盛り上げ「イージー・ライダー」を象徴する曲だがその後現在までバイク乗りのアンセムとなっていてあれを聴きながら疾走すると気分は最高だ。
あれから半世紀以上経つがアンセムとして「ボーン・トゥ・ビー・ワイルド」を凌ぐ曲は未だに出てきていない。ロックの歴史上最初のヘヴィメタルでもある。
映画では密売をするシーンでは「ザ・プッシャー」とかクルージングしているシーンでは「鳥になりたい」とかLSDでトリップしてトランス状態のシーンではサイケデリックな「キリエ・エレイソン」など随所で効果的に当時のロックが使われているが、その選曲がまた素晴らしい。決して超大物のミュージシャンに曲作りを依頼したわけではなく(そんな予算を組める大作でもないし)、映画制作時のミュージックシーンの最新の楽曲からピックアップしているだけだ。その当時の勢いのあるミュージシャンばかりが選ばれている。この選曲は監督をしたデニス・ホッパーの功績だろうか。

そういえば私は長いこと「イージー・ライダー」はピーター・フォンダの映画だと思い込んでいた…主演ばかりではなく作り手でもあると。
劇中でビリーはワイアットのことを〝キャプテン・アメリカ〟と呼んで、この旅は本当のアメリカを探す旅だとも言っていた。〝キャプテン・アメリカ〟といえば今でこそ「アヴェンジャーズ」で星条旗を身にまとった愛国のヒーローとしてよく知られているがこの映画の公開時にはアメリカン・コミックの〝キャプテン・アメリカ〟は日本ではほとんど知られていなかった。〝キャプテン・アメリカ〟って何?という認識が普通だったと思う。私も一枚の絵として見たことがある程度だったので、この〝キャプテン・アメリカ〟はあの〝キャプテン・アメリカ〟のことを言っているのか半信半疑だった。ワイアットを〝キャプテン・アメリカ〟に例えたのは、現状のアメリカではなく本当のアメリカのために戦う…建国された時の本来のアメリカに戻すヒーローという意味を込めて使用されていたんだろうか?
 

それほどまでにピーター・フォンダが前面に出ていたので私にはどうしてもこの映画はピーター・フォンダの映画だという思い込みがあったのだ。脚本にもデニス・ホッパーと共に参加していると表記されているし。だがその後のピーター・フォンダの映画を観る限り、ピーター・フォンダにはそんな才能は感じられない。
「イージー・ライダー」はやはり俳優ばかりか監督もこなしたデニス・ホッパーの才能が作り出したものだった。この作品でのちの名優ジャック・ニコルソンを発掘した目利きぶりやその後にデニス・ホッパーが監督した数々の映画の評価も彼の才能を証明している。

話はずいぶん戻るが、前に「イージー・ライダー」に私が深く共鳴したと書いた。これは私が当時14歳の少年だったというのも大きな要因だ。
自分の人生でこれから待ち受けている競争社会に対する不安や不満を自分の至らない努力のせいではなく社会のせいにするという今でいう〝中二病〟というやつだ。
大人になって冷静に振り返ってみると「イージー・ライダー」の主人公たちも決して清廉で純粋というわけではない。ドラッグの密売という犯罪を犯しているわけだし、長髪で小汚い容姿の自分たちが周囲から疎外されるのも、そうされないように自分たちから歩み寄っているわけでもない。
それでも見かけだけで暴力を受けたり最後には理不尽に殺されたりというのは違うと思うが…
ま、こういった点を今になって分析して、それを踏まえてもなお〝自由に生きたい、何物にも束縛されたくない〟という生き方を描いた「イージー・ライダー」に対する憧れが消えることはない。
私が選ぶ史上最高の映画10本に入る1本である。