安孫子は「忍者ハットリくん」や「怪物くん」の後、「魔太郎がくる!!」や「笑ゥせぇるすまん」など今までの作風を一変してダークな作品を発表するようになる。
 

「魔太郎がくる!!」はいじめられっ子の中学生「魔太郎」が超魔術「うらみ念法」を駆使して理不尽ないじめを繰り返す人たちに対して報復をするという話。世間で陰湿ないじめが徐々に表面化し始めていた時代だ。
その画風は今まで「怪物くん」の〝怪物大王〟の表現などで時おり顔を覗かせていたシャドーを大胆に強調した〝黒〟の面積が多いものに変わっていった。以後は藤子不二雄時代の天真爛漫さは出てこなくなる。
 

さらに続いては「笑ゥせぇるすまん(黒ィせぇるすまん)」だ。〝魔太郎〟が子ども世界のいじめを描いていたのに対して大人の世界のいじめ(今でいうパワハラやセクハラなど)を描き、それ以外にもテーマを広げ人間の欲望や願望とそれを達成した後の帰結までを皮肉たっぷりに語っている。
謎のセールスマン「喪黒福造」がある悩みを持つ人の前に現れ、悩みを解決できる方法を教える契約を交わす。喪黒の不思議な力によってその客の悩みは解決できそうになるが、客が調子に乗って初めに交わした喪黒との約束(契約)を破った結果破滅を迎えてしまう…大抵はこうした内容で一話完結の短編集となっている。

古くからよくある物語り…悪魔と契約を交わして失敗した人間の末路を見せられているようだ。
喪黒の大黒様をデフォルメしたような笑顔が顔に貼りついたような風貌は笑っているにもかかわらず不気味で恐怖をおぼえる。安孫子表現の面目躍如といったところだろう。
人間の心の闇をブラックユーモアという形でとことん追求したこの作品は漫画家安孫子の本質を考えたときに最も重要な代表作といっていいんではないだろうか。


同時に我孫子は今までの路線を変更して自らの趣味でもあるゴルフをテーマとしたスポーツ漫画「プロゴルファー猿」を執筆した。
根っからの野生児である「猿丸」が木から自作したクラブを引っさげて〝裏のゴルフ界〟でのし上がっていくといったような話。闇の組織が次々に送り込んでくる刺客のゴルファーたちと死闘を演じる。
当時の少年スポーツ漫画らしく非現実的な相手と荒唐無稽な闘いを演じたりするが、そこが痛快で面白かった。
その頃ゴルフを趣味とする大人たちにも受けていたらしく、〝猿〟がスイング時にタイミングを取るために発する「チャー、シュー、メーン!」の掛け声が各地のゴルフ場から聞こえてきたとかこなかったとか。他にも〝猿〟が劇中放った奇跡の一打〝旗包み〟が現実にできるかどうか話題沸騰していたようだ。
少年スポーツ漫画の定石である対決シーンの連続は多くの少年たちを虜にし、ゴルフの認知度を上げた。この漫画に影響を受けてプロゴルファーを目指した人は少なくないだろう。

ではなぜ安孫子は自らの作風をガラリと変えていったのだろうか?
本人が語るところによると藤子不二雄として二人で活躍しているうちに徐々に藤本の才能には自分は敵わないと感じていったそうだ。
だが「ハットリくん」にしても「怪物くん」にしても何度もアニメ化されたり実写映画化されたりして成功している。藤本にそれほど引け目を感じる必要は無さそうに思うが、サリエリがモーツァルトの才能に嫉妬したように才能のある人はさらに大きな才能に嫉妬するのかもしれない。
しかし藤本の才能に敵わないと感じるのも無理はない。藤本は子ども向けのマンガをたくさん描いていてどれも素晴らしい、特に「ドラえもん」の世界的人気はゆるぎないものがある。天才藤本の描くキャラクターはとにかく〝かわいい!〟のだ。微妙な部分の差ではあるが我孫子の描くキャラクターと比べるとかわいさの面で圧倒している。
同じ土俵では戦えない…藤本に最も近いところにいる我孫子はそれを一番に感じていたのではないか。
だが安孫子が作風を変えていった理由はそれだけではない。二人で子供向けマンガを描き続けているうちに子ども向けマンガを描くことに苦痛を感じるようになったという。
これは正常進化だと思う。人はいつまでも子どもではいられない。人は経験を積み成熟すると変化してくる。私の好きなロック音楽で例えると、若いうちは元気いっぱいでシャウトばかりしていたロックバンドも人生経験を積みメンバーの人間が成熟してくると、自然な変化でもっと思索的な音楽に惹かれるようになる。そういう例はいくつも見てきた。
だから安孫子が成熟してくるにつれ自分の本質を見極め、それに正直に生きようと作風を変えていったのだろう。

安孫子はその後も藤子不二雄の自伝的漫画「まんが道」や柏原兵三の小説を漫画化した「少年時代」やマンガエッセイ「パーマンの日々」など多様なジャンルの漫画を描き続けた。そしてそれぞれに成功を積み上げてきた。その種類の多岐にわたっている点では藤本を大きく凌駕している。
安孫子の最大の功績は漫画のジャンルを多方面に広げ続けてきたことではないだろうか。

そしてそれが趣味の世界から食の世界、さらには企業のマニュアルまで百花繚乱の現在の漫画界を生んだ礎となったのではないだろうか。