藤本弘は「ドラえもん」の執筆途中に藤子・F・不二雄を名乗るようになった。藤子不二雄が藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aに分かれたためである。
その藤本の作品の中で「ウメ星デンカ」や「キテレツ大百科」などはオバQやドラえもんの系譜で主人公の家に非日常の者が居候をする藤本マンガの王道を行く作品群。主人公や家族や友人たちを新しいキャラクターに置き換えて別なシチュエーションで描き、登場する特殊な能力についても新しいアイデアを凝らしている。オバQやドラえもんと同じように面白い作品だがエポックメイキングなオバQやドラえもんという巨大な壁の前には見劣りがする。

むしろ同じ子ども向けでも少し方向性を変えた「21エモン」のほうが私は好きだ。

21世紀(当時は未来だった)のトウキョウで宇宙人観光客を相手に営業するオンボロな老舗ホテル「つづれ屋」の跡取りの「21エモン」と宇宙生物「モンガー」やロボット「ゴンスケ」が巻き起こす未来SFギャグ作品。
主人公の21エモンは少し年齢層が上がって中学生くらい。その当時私も小学校を卒業して中学生になろうとしていたので世代としても「ウメ星デンカ」などより共感できたのだろう。
21エモンは「つづれ屋」の跡取りだが、本当は宇宙パイロットになりたい。パイロットになる夢を実現するために本気で勉強もしている。だから厭々ながら家のホテルの手伝いをしている状態。ちょうど反抗期でもあって父親の20エモンとも時々衝突する。
ここまで書いてきてふと気付いたがなんか見た事あるような光景。そうだ「スターウォーズ4」の惑星タトゥイーンのルーク・スカイウォーカーのような設定だ。「21エモン」の場合はここから劇的に物語が動くわけではないけど。 
ただしこういう日常の中で宇宙からやってきた宇宙人観光客のヘンな習慣や習性につき合わせられて様々な騒動に巻き込まれてしまう。
宇宙人が宿泊代の代りに置いて行ったどんな環境でも生きられる絶対生物モンガーや芋ほり専用に開発された生意気なロボットゴンスケを仲間に宇宙に旅立ち波乱万丈の冒険をすることもあった。
こうやって物語をおさらいしてみると絶対生物なんてハリウッドSF映画の「エイリアン」そのものだし生意気なロボットも同じく「スターウォーズ」のR2D2に重なる。どちらもハリウッド映画よりも10年くらいは早い。藤本を形作っているものの真ん中にある骨格はやはりSF作家だったんだなと再認識される。

「21エモン」の連載が一旦終わったあと、その続きが描きたくなって似たような設定の「モジャ公」という作品を描いたらしい。…発表する雑誌が違うという大人の事情があるため別の作品という形になるが。
私は残念ながら「モジャ公」のほうは読んだことはない。私はその頃はもう高校生だったからで、当時の風潮として受験勉強にいそしむべき高校生にマンガなんて御法度だったからだ。ましてや大人にもなってマンガを読むなんて子どもじみててあり得ないはなしだった。大人専門のマンガも普通にある現代からすると時代は変わるもんだなと実感する。
その後藤本も高校生くらいの年代向けに「T・Pボン」や「エスパー魔美」を描いていたが、子どもや少年向けSFだけでは物足りなさを感じていたんだろう、子ども向けの制限を取りはらったSF作品を描きたくて自らのSFをSF(すこし・フシギ)なお話と控えめに位置付けたシリーズを大人向けに描いていた。「ミノタウルスの皿」などの連作短編でSF作家として高い評価を受けている。藤本は生涯手塚治虫を尊敬していたというが、藤本自身も手塚同様に本当にSFが大好きだったんだろう。

手塚治虫のSF作品は壮大なスケールに重厚な人間ドラマを兼ね備え、手塚はまさに神のような才能を持っている。藤本は残念ながら自分には手が届かないその才能に憧れていたんだと思う。ただ藤本自身も違うタイプのSFの才能に恵まれていた。「ドラえもん」の膨大な数のひみつ道具の発想や大人向けのSF短編がその証拠だ。
前に手塚治虫をSF界の巨人A・C・クラークに例えたことがあったが、その例えでいうと藤本弘は個性的な仲間と共に宇宙で大冒険を繰り広げる「キャプテン・フューチャー」のE・ハミルトンだろうか?それともちょっと独特の叙情を漂わせるC・シマックだろうか?あるいは「アルジャーノンに花束を」のD・キイスか?うーん、どれもしっくりこない。やっぱり藤本弘は藤本弘なんだろう。