この世には性善説と性悪説がある。つまり人は全て生まれ落ちた時には善性を持ち、もし人が悪性を持つとしたらそれは成長していく段階で生活環境により後天的に得たものである…とする性善説。そしてその真逆を主張するのが性悪説。
 

だがこのふたつの説のいずれかだけが本当に正しいのだろうか?真実は他に無いのだろうか?

全人類が生まれた時にはすべて善である(あるいは悪である)などという事があるんだろうか?

このふたつの説の根本には人は地球上の他のすべての動物とは異なる特別な存在だというキリスト教的な傲りがある。

 

人は本当に他の動物とは一線を画すのだろうか?

動物たちの中にも我が子のために生命を投げ出す母親もいれば、他者の獲物を横取りするために悪知恵を働かせる者もいる。
これを善や悪とは言えないのか?

人も結局はこの地球上に発生しては滅亡してゆく生命のひとつにすぎない。人類だけが特別だというのは単なる思い上がりに過ぎないのではないか。
人類の歴史はわずか500万年。恐竜の時代は1億6000万年も続いている。

人は自然の中で生まれ、死んでいく。

自然界には0か1、オンかオフかという事はひとつもない。

それは数学の抽象的な世界だけの話だ。

自然界ではすべてがアナログ。すべてが0%から100%の間にゆるやかに存在する。
 

ところで人類の人口は現在約70億人といわれる。では70億とはどれほどの数字なのか?

「7,000,000,000」…数字としては読み取れるがそれは単なる羅列でその実体を想像することはできない。
人は一度の出産でたいていは一人生まれる。ただ双子だったり三つ子だったりすることも珍しくはないし四つ子、五つ子ということもある。双子の場合には二卵性の場合もあれば一卵性で全く同じDNAを持つ二人の人間という場合もある。

また人は健常な状態で生まれてくることが多いにしろ、そうでない場合もそう珍しくはない。健常かそうでないかは出産時の状況にも左右されるし、DNA自体に異常がある場合もある。

時に自然界で動物はとんでもない奇病や難病を持って産まれることがあるが人間であってもそれはかわらない。

70億も人がいると70億すべてが正常に生まれてくる事など望めないのだ。それは70億分の1人かもしれないし、70億分の10人とか70億分の100人とかかもしれないが、確実に一定の確率で遺伝子の異常によって奇病や難病を持った人たちが出て来る。
70億という数字はそれほど天文学的なものなのだ。

一見健常者であっても膨大な数のDNAの中のどこかにキズがあったりすることはよくあること。そのせいで人によってかかりやすい病気が異なることもある。

しかも人は健常であってもすべてが異なる。顔も異なれば髪の毛も異なる。背が高い人もいれば低い人もいる。太っている人もいれば瘦せている人もいる。まったく同じ人間というものは存在しない。

つまりそれは70億通りの人間がいるという事を意味する。肉体的な面だけでもこれほどの違いがあるのに精神面だけすべてが一律に善とか悪とかで生まれてくることなどあり得ないはず。人は始めから善性悪性を含めて様々なバリエーションを持って生まれてくるのだ。
 

私はこう考える。頭のなかに図を描いてほしい。
自然の中に存在する全てのものはそろばん玉の断面のようなダイヤモンド型のグラフ内に分布する。善悪という観念もそう。

例えば100%善の人だと言っても過言ではない仏陀やイエスキリストなどがダイヤモンドの上の頂点に在り、逆に100%悪の邪悪な存在がダイヤモンドの下端に在るとすると、善性と悪性を併せ持つ我々のような存在がそれぞれが持つ善性と悪性の比率によって分類されてその数は上端や下端に近いほど少なく、中央部分が膨らんでいる。
つまり世に聖人と言われるような人が上端に近く、かつ上端に近づけば近づくほど数が少ない。逆に悪の極みのような人が下端に近く、かつ下端に近づけば近づくほど数が少なくなる。大多数の何十億もの平凡な人びとは、その人が持つ善性と悪性の割合によって上端と下端の間に広汎に分布する。その場合には善性50%悪性50%を併せ持った人が最多数の層になるに違いない。

 

なぜならば人生においてただの一度もウソをついた事がないという人、虫一匹も殺したことがないという人はまずいないだろうからだ。

「いや、そんな事はしたことがない」という人でも花を手折った事ぐらいはあるんじゃないだろうか?

女性が自らを美しく飾るために自然の花を摘んで身に着ける。または摘んできた花を部屋の花瓶に挿すということはよくある。それは植物が子孫を残すためにようやく実らせた花を奪ってしまうという行為だ。

暑い日本の夏に二の腕やふくらはぎに止まった蚊に血を吸われて、何もせず吸われるままにしている人が果たしているだろうか?

その蚊にとっては自らの遺伝子を次へつなぐためにどうしても必要な行為なのだが。
 

…どうだろう「私は罪を犯したことが絶対ない」という人がどれだけ居ることか。
それとは逆に他人のために何か良いことをしたことが一度もないという人もまたほとんどいないはず。

あらゆる人は遺伝を含めて生まれ持つ性質とその後の生育環境がどうだったかによって、単なる善人か悪人かというたった二つの区分ではなく何%かの善と何%かの悪を持つ多種類の存在となる。
そのように分類された人々はダイヤモンド型の善悪グラフ上でそれぞれのレベルに振り分けられることになる。そして結果次第でその人は死後に天国に行けたり行けなかったりするのかもしれない。