11がつ29にち | 少女勅使河原の混沌たる日常
母親が、少し前に京都のとある神社に行ってきたらしい
っていっても、直接聞いたわけじゃなくて、母親のTwitterに書いてあったのを見ただけだけど…
あ、でも少しだけなら直接聞いてたっけ

私もあの神社に行きたいな
この季節は、電車のところも周りの道も全部、秋色に染まっていて綺麗なんだろうな

ずっと前に行った
父親と私で、その日は用事があって、二人で行った

今は違うけど、昔は父親がそこの神社で働いていた
駐車場が隣にあるのに、父親の軽トラは、裏口?の坂の上に停められていた
その日は私もその軽トラに乗せてもらってたから、裏口の坂に上がるときにも軽トラの中にいた
その坂は凄く斜めで、なんで父親はわざわざここに停めるんだろうって思ってたけど、坂を軽トラで上がるのは、なんだか楽しかった
例えるなら、ジェットコースターみたいな感じだった
二回か三回ぐらい、その擬似ジェットコースターに一緒に乗せてもらって、楽しかった

もう一度、父親と一緒にあの神社に行きたいな

赤く染まった紅葉の道を、父親と一緒に何気ない会話をしながら歩きたい
石で出来た階段を一緒に歩いて、敷き詰められた砂利の上を、音を鳴らしながら歩きたい
手水で手を洗ったら、本殿に行って、昔父親に教わった二礼二拍手一拝でお参りをしたい
その後は水占いをして、結果が浮かび上がってきたら、一人で見た後に、父親に見せながら笑いたい。濡れた手で父親の顔に水を跳ばしたら、多分怒られるんだろうな

父親の知り合いのおばちゃんが作ってくれた御手洗団子、美味しかったな
また食べたいなぁ

御手洗団子のおばちゃんのところのおばあちゃん、今も元気にしているのかな?
父親の知り合いのおばちゃんとおじさん、元気にしてるかな?
小さい頃に行ってた、名前が思い出せない旅館の、女将のおばあちゃんとおばちゃん、元気にしてるかな?

昔見たあの景色も、赤く染まった紅葉の道も、川の水が流れる音も、光っていた蛍たちも、あの砂利の感触も、水占いも、ぜんぶ、父親がくれたものなのかな

また遊びに行きたい
でも、今行っても、母親と二人で行っても、景色は綺麗でも、もうあの頃見えてた景色とは絶対違うし、もう父親と一緒には行けないし、おばちゃんたちにも会えるわけない

昔の私の目に映っていたものと、今の私が見ているものは、同じ場所でも、きっと別物だ

隣に父親がいなくなって、ねこも会えなくなって、母親も変わってしまって、おじいちゃんとおばあちゃんは何も分かっていなくて、父親のほうのおじいちゃんは記憶が薄れていってずっと会えていなくて、おばあちゃんは入院していて声が上手く出せなくて、それなのに私は何もできなくて、ただひたすらに怯えてばかりで、逃げてばっかりで、甘えてばかりで、ずっと部屋に隠れて、学校にも行かなくて、さみしいとかもう嫌だとか、消えたいとかなんてそんなの、ぜんぶ私のせいだ。

昔私が見た景色を、もう一度見てみた
私は私じゃなくなってしまったけど、それでも、一度だけでいいから見させてほしい

私は私のはずなのに、私が考えていることが、私がどうしたいのかが分からない
家に帰りたいのかも、ぜんぶぜんぶ分からない

父親のこと、あれだけ暴力を振るわれ続けていたのに、どうしても嫌いになれない
母親のことも、父親のほうのおばあちゃんも、おじいちゃんとおばあちゃんも、嫌いなのに、嫌いになれない

私は私が考えていることが分からない
それがどうしてなのかも、分からない

早くしないと時間が経ってまた後悔するのも知っているのに、どうしたらいいのか分からない。

ずっと現実から逃げてばっかりだ



最近はブログを書いていなかったけど、やっぱり書こうと思います
自分が思っていることとか、日記とか、やっぱり残しといたほうがいいなって思うからです

私がブログに書いてるのは日記だけど、紙に書くよりここに書くほうが書きやすいから、やっぱりここに書こうと思います

見てほしいとか、そういうんじゃなくて、日記としてここを使っているだけです


みおちゃん、元気にしてるかな?

なんか、友達とか、勝手に嫌われたのかなとか被害妄想してばっかりで、だから私はだめなんだなって思うけど、治せるわけない…


今タイトルに今日の日付を書いて気付いた。
もうすぐ12月で、もうすぐ2013年で、もうすぐ来年で、今年が終わるんだなぁ

いつもこの季節は、家にいたときは忙しくて、親がずっと喧嘩してた
懐かしいのかな、よく分からない…


神様って、ほんとにいるのかな
昔から神社にいたけど、神社は落ち着ける場所だけど、神様がいるのかはずっと分からないままだ

家に帰りたいのかは分からないけど、家の神社には行きたいな

神様には会いたくない
でも、小さい頃の私の心の中には、神様がいてくれた、そんな気がする